マーガレット・ポール殉教者に。敗者の運命とは?「スパニッシュプリンセス」に登場

Netflix、Amazonプライム・ビデオで最近配信されている歴史ドラマ「スパニッシュプリンセス」。イギリスのヘンリー8世の王妃キャサリンを主人公にしたドラマです。スペインのお姫様が輿入れをしてきたから、スパニッシュプリンセスです。

ドラマに注目している女性がいます。マーガレット・ポールです。通称、マギー・ポールと呼ばれています。

薔薇戦争の敗者の運命に弄ばれた人生を送りました。当時としては長生きと言われる60歳越えての死でしたが、決して安穏な最後を迎えることができませんでした。

どんな人生だったのでしょう?殉教者と言われていますが、どんな最後だったのでしょうか?

「スパニッシュプリンセス」に登場した役です。そこから「スパニッシュプリンセス」も合わせて見て見ましょう。

マーガレット・ポールって誰?

マーガレット・ポールはイギリス、ヘンリー8世の時代の人物です。1473〜1541を生き67歳の生涯を送った女性でした。

プランタジネット家とチューダー朝二つの王朝に翻弄されながら生きて、最後は処刑されて終わってしまいます。

なぜそんな運命をたどることになったのでしょうか?

マーガレット・ポールが生まれた頃は丁度、イギリスの王位をかけた内乱薔薇戦争の真っ只中でした。

マーガレットが4歳の時に父親は亡くなっています。父はジョージ・プランタジネット。ヨーク家出身のクラレンス公爵で、母親はイザベラ・ネヴィル。

そう、マーガレット・ポールはプランタジネット家ヨーク朝のお姫様だったのです。父ジョージの兄はエドワード4世、弟はリチャード3世。もう生粋の王家。王位継承権を持ったこともあるのですよ。

ところが、ヨーク家はリチャード3世で終わりを告げ、プランタジネット朝の直系男子はいなくなりました。

世の中はチューダー朝となると、前の王朝の生き残りは厄介です。王位を再び取り戻しにやってくるかもしれないからです。

残党はそんなに多くはありません。王位に関係ありそうな生き残りはクラレンス公ジョージの遺児たちです。

その子供達を、なんとかこじつけの言い訳をつけて、男子たちは投獄したり、罪状をつけて処刑して排除しました。

マーガレットは貴族と結婚させて、自分の子供の侍女にしました。身分的に貶めたかったのかもしれません。

マーガレットは、王妃エリザベスの従姉妹なのに。結婚させただけまだマシ、ということでしょうか。

やがて幼い王女、メアリー(のちのメアリー1世、ブラッディメアリと呼ばれた)の養育係を務めました。養育係になるのだから、かなりの学問と教養を納めた女性だったと思われます。

実際、メアリーは利発な子供で、父ヘンリー8世や周りの高官たちを驚かせていましたから、マーガレットの手腕はかなりのものだったのでしょうね。

マーガレット・ポールはなぜ殉教者に?

殉教者とはキリストの教えに殉じて殺されたことを意味します。

マーガレット・ポールは神の教えに逆らう内容のことを時の権力者から命じられましたが、逆らって神の教えに従おうとしたために処刑されました。それが殉死なのです。神に殉じているからです。

ではなぜ処刑されなければならなかったのでしょう?

一言で言うと、仕えていたメアリーの父王ヘンリー8世の逆鱗に触れたからでした。

当時のヘンリー8世は王妃のキャサリン・オブ・アラゴンと離婚したかった。離婚してアン・ブーリンと再婚したかった。そのためにはローマ教皇からの結婚無効の証明書が必要でした。

ローマ教皇から支障なく結婚無効のお墨付きをもらうには、教学的な理論をローマ教皇に示さななければなりません。その協力を頼んだ聖職者がレジナルド・ポール、マーガレット・ポールの次男でした。枢機卿です。

レジナルド・ポールは協力を拒否しました。ヘンリー8世は勉学熱心なレジナルド・ポールを気に入っていたのですが、この知らせでヘンリー8世は烈火のごとく怒りました。でもどちらかというと横暴なのはヘンリー8世なのですけれどね。

強引に教会から離脱してイギリス国教会を打ち立て、キャサリン王妃と離縁し、娘のメアリーを庶子扱いにしました。

メアリーを庶子とすることに猛烈に反発した従姉妹そがマーガレット・ポールでした。

ヘンリー8世はメアリーを庇うマーガレットにも激怒し、マーガレット・ポールを宮廷から追放しました。

この時マーガレットは自費を使ってでもメアリーを育て上げたいと、声をあげましたがそれは却下されました。

マーガレット・ポールという女性、相当責任感が強く愛情深い人だったところがここに現れていますね。マーガレットの気性に感服する次第です。

この時代、上の位の人に逆らう、しかもヘンリー8世のような癇癪の強い気まぐれな人物に逆らうって・・・どちらかといえばやりたくないことではないですか?それをやってしまうのですから。日に油をそそぐような・・・?

一方、レジナルド・ポールは命の危機を感じ海外に亡命し、海外からヘンリー8世は神への冒涜を悔い改めるべき、と主張していました。

ヘンリー8世はひたすら激怒し、怒りの矛先をレジナルド・ポールの家族に向けます。ポールの兄と弟を逮捕します。罪状は「反逆罪」。この時代の権力者はとにかく罪状をでっち上げるのが好き。気に食わなかったら、とにかく反逆罪に仕立て上げます。

兄は処刑、弟は国外追放になりました。

母親のマーガレットも逮捕されます。

しかしここから先、全くブレない主張を続けた人こそがマーガレット・ポールその人なのです。し自分自身の持つ考え、宗教観全てをここからの生涯に捧げそして死んでいったのです。

マーガレット・ポールが周りに流されず、ずっとカトリック教義に殉じていた、そここそが殉教者と言われる所以なのです。

マーガレット・ポール、処刑台へ 殉教者の名誉を後世に受ける

逮捕された時、マーガレット・ポールは65歳でした。当時で言えばかなりの高齢です。容疑は息子たちの反逆に加担した、です。

しかしマーガレット・ポールは何一つ話しませんでした。拷問を受けました。老人虐待もいいところです。

些細なことも反逆の証拠として取り調べられました。持ち物までが謀反の印があると言いがかりをつけ。反乱軍の旗印と同じ模様がある、といって。

当時、イギリス北部では反乱が起こっており、マーガレット・ポールが関わっている、無理やり結びつけるなど。冤罪かも、と疑われますがその証拠はいまに至るまでどうかわかりません。

それでもマーガレット・ポールは何一つ話しませんでした。

このままじゃ、証拠不十分で釈放、と言うのが現代の考え方ですが、それでも釈放されずさらにロンドン塔で2年間幽閉するのが昔のやり方。衣食に窮する困難な幽閉生活でした。

当時提出された書類にはマーガレット・ポールの沈黙を「マーガレット・ポールは息子たちへの陰謀に本当に加担していないのか、あるいは非常に肝の据わった反逆者のどちらかである」と記録されています。

2年間の幽閉生活の後ついに処刑されることとなりました。斬首刑です。

その処刑はかなり悲惨なものでした。斧による斬首ですが、まず最初に断頭台に頭を載せるのを拒否しました。

そしてこう言いました。「反逆者は処刑台で死ななければなりません。私は反逆者ではありません。私の忠誠心は変わりません。ですから処刑台にはいきません」

こういって処刑に抵抗しました。そこを処刑はいきなり斧で後ろから切りつけたのです。

処刑は必ずしも一撃で成功するとは限りません。マーガレットの場合は何度か失敗しました。

マーガレットは転がって逃げ回るのですが、何度も何度も切りつけられた末の死だったとか。絶叫のうちに生涯を終えました。

マーガレット・ポールの死によって、プランタジネットの血筋は完全に絶えてしまいました。息子たちがいますが、彼らはマーガレットの夫の血筋となります。

母親マーガレット・ポールの最後を聞いたレジナルド・ポールは母の処刑を、ヘンリー8世が自分に対する復習だ、とそう考えます。

マーガレット・ポールは自分の最後に頑として、自分の主張を声高に主張し死んでいったのです。

これをカトリックの神が正当であると主張した姿勢が評価されて後の世に殉教者の名誉が与えられますた。

枢機卿であるレジナルド・ポール、マーガレットに育てられたメアリーなどはマーガレット・ポールの死を悼んでいたのは当然でした。

メアリーがメアリー1世となって即位したときには、レジナルド・ポールをカンタベリー大司教に任命しているのが、その一つの証ですね。

マーガレット・ポールはカトリックをも守った人物とされ、1883年ローマ教皇レオ13世によって列福されました。命日の5月28日が祝日となりました。

ここでようやく、メアリーや息子たちの想いが通じたのですね。

マーガレット・ポール敗者の運命

マーガレット・ポールの人生は、常に安定しない綱渡りのような一生でした。

イギリスの王位継承をかけた薔薇戦争の中で生まれた一人の姫君。血統は良いのに、その良さが禍し、生涯かけて追いかけられる人生となってしまいました。

二人の叔父がイギリス王となり、一度は王位継承権を持つことになりますが、薔薇戦争で敗北し叔父の一人は戦争で惨殺されて敵として死体は晒されます。

こうなると一気に敗者の一族です。天国から地獄へと言った感じでしょうか。これも敗者の運命と、諦めの気持ちもあったのかもしれません。

しかしチューダー朝の王ヘンリー7世の王妃エリザベスの従姉妹ということで、ある程度の優遇はされていたようです。

と同時にかつての敵方、チューダー家からは当然要注意人物としてマークされているでしょうね。

いつしか許され、チューダー朝のヘンリー7世の従兄弟、ソールズベリー伯リチャード・ポールと結婚して子供も生まれ、これで落ち着けると思ったことでしょう。

そしてチューダー朝の宮廷に召し抱えられて、メアリー王女の養育を任されるまでになりました。かつての姫君だった時から比べると、身分はだいぶ落ちたかもしれませんが、自分の才能を生かしたやりがいのある仕事を任され、満足感も得ていたのが当時のマーガレット・ポールだと思います。幼い王女に対して愛情を持って育てていた様子が見て取れます。敗者の運命としては上出来だ、くらい思っていたかもしれません。

しかし、突然王ヘンリー8世の気まぐれで、現在の王妃と離婚して違う女性を王妃として迎える。それに際して、今いる子供メアリーは庶子とする、王位継承権から外す。そのように王から宣言される・・・その時の気持ちはどんなものだったでしょうか?

マーガレット・ポールは自分が所属していた王朝が滅ぼされたからこそ、一つの血筋の正統性を守るべき、とここで決意したのではないでしょうか。特に自分だ育ててきたメアリー王女には絶対に自分のような思いをして欲しくない、そんな気持ちがあったでしょう。

それにカトリックを信じていたからこそ、カトリックによる神の祝福を受けた結婚から生まれた子供の王位を深く信じていました。

マーガレット・ポールは懸命に、ヘンリー8世の取り決めに抗議します。そしてマーガレットの息子もヘンリー8世の離婚とカトリックからの離脱を認めません。

だからこそ、ヘンリー8世の怒りがふつふつと湧き上がって、マーガレット・ポール親子を反逆者扱いとしました。

この親子がカトリックを捨てなかったのもヘンリー8世が癪に触ったところです。

ここでまたマーガレット・ポールは不遇の身の上となるのです。ここでもマーガレットは敗者の運命を味わっていました。

やはり敗者はどこまで言っても敗者なのだ・・・と。

と言うのも、ここでヘンリー8世のカトリック嫌いとともに、以前の王朝プランタジネット系を全て滅ぼしてしまおう、そんな様子がチラ見えしてきます

ヘンリー7世、8世親子共々、プランタジネット朝をこっそりと、少しづつ消していった?

マーガレット・ポールに無理やり反逆者の汚名を着せたのもプランタジネット朝の生き残りであったから、そう推理できます。

何よりも深く、チューダー家の手段を感じ取っていた人物が、マーガレット・ポールだったのではないでしょうか?いくつもの内乱を生き抜いて、敗者の運命とはどんなものかその身を持ってよく知っていたと思います。

ヘンリー親子に気取られぬよう用心して生きようとしていたのですが、このままヘンリー7世、8世親子の思うがまま、滅びていくのは悔しい、そう思ってとった態度が死に際して現れた気がします。

最後まで、自分が反乱に加担していたか言わなかった。死刑の最後の最後まで自分に罪がないことを主張し続けた。ここにマギー・ポールの全てがかかっているといっていいでしょう。

それでもヘンリー8世に振り回された厳しい生涯でしたね。

マーガレット・ポール、ドラマ「スパニッシュプリンセス」では

 

テレビドラマ「スパニッシュプリンセス」、2021年始め頃がNHKBSで放映されました。今でもNetflixなどで見ることができます。

ごく最近にイギリスの女王が亡くなられたからでしょうか?イギリス王室関連のドラマに人気が集まっています。

このドラマではマーガレット・ポールは視聴者の人気を集めつつあります。番組ではマーガレットではなく愛称のマギーと呼ばれています。

初めはマーガレットは王妃キャサリン(スペイン王女、ドラマのタイトルのスパニッシュプリンセスです)の侍女となります。

スパニッシュプリンセスのキャサリンは最初、王太子アーサーの皇太子妃でしたが、アーサーが病死し、弟のヘンリー(のちのヘンリー8世)と結婚することになります。

ヘンリー8世がマーガレット・ポールの従兄弟エドムンド・ド・ラ・ポールを処刑してしまいます。ヘンリー7世時代にチューダー朝に反対していたことが原因でした。

マーガレット・ポールは当然ヘンリー・キャサリン夫婦を恨みます。

が次第に、キャサリンの持つ強さに感銘を受けてキャサリンに次第に傾倒していきます。キャサリン王妃を尊敬するがゆえにその娘メアリーも立派に育て上げようと決意したのです。

「スパニッシュプリンセス」内ではマーガレット・ポール(マギー)はキャサリン、メアリー親子を支える役で、と同時にヘンリー親子の脅威ともなるべき大切な役割を果たしています。

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