2025年大河ドラマ「べらぼう」に、田沼家の人物がもう1人出演しています。
田沼意致と言い、田沼意次の甥です。
一体どのような人物なのでしょう?
一橋治済との間に主従関係を結んでおり、当時の政治事情に振り回される人物です。
もう1人の田沼家の重要人物、田沼意致、どんな役割をしたのか?詳しく調べてみました。
田沼意致、どんな人物?
田沼意致は、たぬまおきむね と読みます。
田沼意致は1741年生まれ、というのだから、1749年生まれの従兄弟 田沼意知より年上です。
経歴は、徳川将軍 徳川家治(いえはる)の息子 で時期将軍の家基(いえもと)の元で、西の丸目付を任命されます。
1779年には、一橋家の家老になりました。
急な転職のように思えますが、実は 田沼意到は、10歳の時に、一橋治済の世話役を務めていました。
田沼意到はどんな性格をしていたかを、示す史料はないのですが、
田沼意到が、陰謀家だった、などということを書いてある文章は見当たらないので、伯父 田沼意次と折り合いが悪い、などということはなかったようです。
むしろ、伯父とともに、田沼家の発展のために尽くした人物ではないかと、思えます。
田沼意致の家系図は
田沼家は、元々は紀州藩の足軽の生まれでした。
「足軽あがり」といことで、田沼意次(たぬまおきつぐ)がよく由緒ある旗本、御家人たちに下に見られていました。
当時の田沼家の当主は、田沼意行(おきゆき)と言いました。
紀州藩でしたから、徳川吉宗(とくがわよしむね)に仕えていました。吉宗は紀州徳川家の出身ですね。
田沼意行の長男が、意次。次男が、意誠(おきのぶ)でした。
意誠は、一橋家の初代当主 一橋宗尹(ひとつばしむねただ)の小姓になります。
一橋家は、徳川吉宗の息子ですから、吉宗の家臣だった、田沼家の人間にとっては当然のことでした。
田沼意誠は、宗尹に気に入られ、一橋家の家老に任命されました。
そして、その流れで、意誠の息子、田沼意到も一橋家に入ります。1751年 意到が10歳の時のことです。
一橋家で、2代目当主になる 治済の世話役から、田沼意到のキャリアは始まります。
33歳で、父 意誠が亡くなり、息子の 田沼意到は父の後を継ぎました。
将来、田沼意到も、一橋家の家老となるのです。
田沼意致どんな活躍を?
田沼意致の仕事ぶりで、一番知られているのは、一橋治済(ひとつばしはるさだ)の息子 家斉(いえなり)を、徳川10代将軍 家治(いえはる)の養子につけたことです。
田沼意致が、一橋家の家斉を、家治の養子にするためには、やはり、伯父の田沼意次というコネを使いました。
もちろん、田沼意次も、家斉の将軍養子を望んでいました。
家斉 を将軍の養子にした働きぶりが認められて、田沼意致は 小姓組番頭格・西丸御側御用取次見習い、となります。
西丸とは、次期将軍の御殿ですから、時代将軍つきの秘書のような役割です。見習いだから秘書の補佐の仕事ですね。
ですが、従兄弟の田沼意知(たぬまおきとも)が暗殺され、同時に、伯父の田沼意次が失脚すると、それに合わせて、田沼意到も、御用取次を辞めさせられるハメになります。
田沼意次親子のとばっちりですが、江戸時代では、一族で誰かが、事件をおこす、巻き込まれると一族全員への風当たりは強くなる、という習慣、しきたりでした。
だから田沼意到への処分も仕方のないことでした。
しかし、のちになって、役職に復帰させてもらっています。
ということはそこそこに有能な人物だった、と考えて良いでしょう。
田沼意致は、田沼意次とどのような関係?
田沼意致は、田沼意次の甥です。
田沼意次の身内であることは、田沼意致の出世に、有利に働きました。
田沼意到、田沼意次とは良い関係だった?
田沼意到・田沼意次もともに、紀州藩関係で、一橋家とは主従関係にある立場でした。
田沼意到のほうは一橋家に仕え、伯父の意知のほうは、老中として、中央政権である幕府に仕えていました。
これはどちらにとっても、都合の良いことでした。
田沼意次は元々、一橋家で信頼を得ていた弟の田沼意識のコネクションを大切に思っていました。
ともに得た情報を共有していた様子が、当時の政治の動きから推測できます。
田沼家は、田沼意次が失脚、田沼意知が暗殺で、直系の後継者がいなくなったことで、甥の田沼意致の息子が田沼家の後継者になります。
その話を聞いた時に、意次の甥 田沼意到は陰謀をくわだてて、当主の地位についたのかな?と思ってしまいましたが、違っていました。
なぜそう思ったのかというと、一橋家とのつながりが強いからです。
田沼意致は、伯父 田沼意次の失脚の影響が出ていました。
田沼意到の血筋が田沼本家に?
田沼意到 本人は田沼家の当主になりませんでしたが、その子供が継ぐことになりました。
その経過を説明すると、
田沼意次が失脚し、引退したので、孫の田沼意明(おきあき)が当主になります。意明は暗殺された田沼意知の息子です。
しかし、田沼家は、知行(ちぎょう、所有している土地のこと)が二段階に分けて減らされ、田沼意次の時代の半分以下までになっていました。
田沼意明は20代のうちに亡くなり、そのあとは、意明の弟、意壱(おきいち)が継ぐこととなりました。
その田沼意壱も、20歳そこそこで亡くなってしまい、その後をさらに弟 田沼意信(おきのぶ)が継ぎ、意信も22歳でなくなります。
まさに呪いでもかかっているような一族?
そこでやっと出てきた、田沼意致の家系。
意到の四男 意定(おきさだ)が継いだのですが、意定も継いだ翌年に亡くなり、今度は、意知の弟 意正(おきまさ)がついで、元の本家に戻りました。
ここで全て落ち着いたようで、田沼意次が失脚して失った、遠江相良藩(とおとうみさがらはん)がここで与えられ、田沼も若年寄りに復帰できました。
これが1804年、田沼意正 45歳のことで、田沼意次の失脚からわずか18年しか経っていません。
この辺りの移り変わりは、激しいですね。
そして、その家系の流れのまま、明治維新まで続きました。
それにしても、どの田沼家の人物は、名前に「意」の漢字を持っていますね。
こう次々、不幸に見舞われる田沼家なら、「意」という文字は不吉だったのではないでしょうか?
田沼意到、一橋治済との関わりは?
田沼意到は、10歳の時に一橋治済の世話係になった、ということで、一橋家からの信頼が厚い人物と思われます。
一橋家と、田沼家は、どちらも紀州藩出身なので、深い繋がりをお互い持っています。
一橋家としては、田沼意次親子が、老中となって中央にいると、田沼側に有利に働きます。
一方の田沼家の方は、田沼意誠・意到親子が一橋家にいることで、一橋家の内情を知ることができる、という点で有利に働きます。
一橋治済は、やがて田沼意次を失脚させています。
その理由は、自分が幕府を操作できる立場になりたかったからなのですが。
その時の幕府は、将軍 家治が死去し、一橋治済の息子 家斉が将軍につき、松平定信と一橋治済で、幕府の主導権を握った時代です。
田沼の一族は、(と言っても、田沼意次の息子 意知 はすでに死去)中央の地位から、追われてしまいました。
やがて、徳川家斉と老中の松平定信の、政策が合わなくなると、松平定信をクビにし、再び、田沼意到を、将軍のお側御用取次に再雇用しました。
これは、徳川家斉とその父 一橋治済は、田沼意到の能力、仕事ぶりを認めていたから、だと思われます。
これから後も、田沼意到の家は、ずっと残っていくので、実直に勤めを果たしていく一族だったのだ、ということが伺われます。
田沼意到、「べらぼう」でどんな活躍を見せるか?
2025年 6月初めの時点では、この田沼意到がどのような活躍をするかは未知数です。
一橋家と田沼家の間の、橋渡し役をしながら、どちらの側により忠実でいるべきかのジレンマに苦しむ人物になりそうな予感がします。
田沼意次の失脚とともに、田沼意到も、不遇な時代を迎えますが、それをどう捉え、どう乗り越えるかが、描かれることともいます。
そして、復活することになりますが、その時の人間性の器がどのようなのか、注意して見届けたいところです。
田沼意到の最後は?
田沼意到は、1796年 55歳で死去しました。
死因については、特に取り上げられていません。
自然死にしては、少し若い気もしますが、江戸時代では、50歳ほどで寿命が終わってもそれほど早死にとはされていませんでした。
田沼家という家を守っていくことがストレスになったのではないかと、自分は思うのですが。
なにしろ、当主になる人が次々と早死にしていくのですから、ストレスは溜まりますよね。
死亡記録には「卒去」(そっきょ)と書かれています。
これは身分が高い人が亡くなった時に使われる、用語です。四位、五位といった官位を与えら得た人で、かなり社会的に高いことがわかります。
相当、重きを置かれていたのでしょうね。
田沼意致 役 宮尾俊太郎!
田沼意到 役にキャス亭がされているのが、宮尾俊太郎さんです。
この方は、元はバレエダンサー。バレエダンサーでバレエ団を主宰する熊川哲也の、Kバレエカンパニーに所属していました。
そしてバレエをやりながら、バレエ振り付け、そして俳優業までこなす、タレントです。
バレエ・ダンサーだけあって、所作が美しいです。
バレエの方達は、皆 姿勢が見事です。例えば、バレリーナだっだ役者では、草刈民代が有名ですが、宮尾俊太郎さんの場合も、芝居の動作が流れるようです。
宮尾さんは、田沼意到 役について、次のようにコメントしておられます。
幼少の頃より家族でテレビの前に集まり拝見しておりましたので大変うれしく、また視聴者の方々から長く愛され続けている大河ドラマに出演させていただける事、大変光栄に感じております。
横浜流星さんはその甘いマスクの中に漢気のようなものを感じます。田沼意次役の渡辺謙さん、田沼意知役の宮沢氷魚さんとは同じ田沼家として共演させていただく事楽しみにしております。
田沼意致は、どの様な想いで動いていたのか、また田沼派が失脚した後、時を経て再登用されておりますが、その内側はいかに…史実とスタッフさん、共演者の方々と共にその人物像を描き出していけたらと思っております。
まとめ
田沼意到は歴史上では、伯父の田沼意次、従兄弟の田沼意知 のような華々しい活躍ではありませんが、なかなかいい働きをした人物、ということが感じられました。
ですが、気苦労も多かったのではないでしょうか?
最初に、想像していた、田沼意次への裏切りがなかった、というところは、ほっとしましたが。
それでも、田沼家と一橋家との間の板挟みになったのではないでしょうか?
「べらぼう」の蔦重の時代の人物たちの中では、実直な登場人物ですが、実直であるがために、見る人に安心感を与えたと思います。
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