お万の方、美人?性格?尼だったの?子供は?お墓の所在は。

お万の方(おまんのかた)、三代将軍家光の側室になった女性です。

「お万の方」として名の知られた女性は2名います。

ここでは徳川幕府3大将軍「家光」の側室「お万の方」を取り上げます。

なお、家康の側室お万の方のサイトはこちらです

ドラマで放映されている「大奥」は男女逆転のドラマ。お万の方に当てはまる男性の人物が人気です。誰でしょうか?

合わせて、実在のお万の方の性格、なんで大奥に入ったか・・・見ていきましょう。

お万の方、美人だったの?性格は?

お万の方の姿形ですが、非常に美しい方だったと言います。

尼姿そのものって、どこか禁欲的な感じがしませんか?それの若く美しい人ってそれだけでゾクゾクします。

尼になるということは、女性的な欲を捨ててしまうというわけですが、姿形を変えても元からあった美貌というこのは隠せません。それから中性的な魅力が滲み出てくる、そんな感じでしょうか?

同性愛の嗜好があったと言われる家光が、のぼせ上がってしまったのは少年風な様子が中性的な中に現れているところ。

すっかりお万の方のおかげて同性愛が治ってしまったというのだから、よっぽど美しい人だったのでしょうね。

元々は公家の出身ということもあって、おっとりした性格と思われます。

そして誰にでも親切という人から好かれる要素を持った女性でした。後にお万の方の元で侍女となった光子という女性も、お万の方を実の姉のように慕っていたようです。

ですが、その光子さん・・・家光の側室になり子供を名したのですけれどね。

それでもお万の方は、嫉妬に狂ったりということはありませんでした。光子の産んだ子供を育てた、という話が伝わるほど、お万の方は気立のいい人でした。

実際は作り話で、お万の方が子供を引き受けた、という事実はないのですが、ただお万の方の性格を反映する意味での作り話だったのでしょう。

美貌も性格もいいとなれば、もうこれ以上のことはないですね。

お万の方、尼からリクルート?

公家の娘が伊勢にある臨済宗の寺「慶光院」の院主になってたと言います。その時代に家光に謁見する機会があり、家光がお万の方を見初めます。江戸から京都に向かう途中、あるいはその帰路でした。

春日局はやっと上様が女性に興味を持ってくれたと喜び、尼であるお万の方を説得し大奥入りが決まった、と言われています。

いわゆる引き抜きで、側室へリクルート、というところですね。

僧職からの転身、権力者が一声かければそんなことは造作ないのでしょうね。珍しいことではないようです。

その場合は尼から世俗に戻る、いわゆる還俗をします。女性が僧形になる場合は、男性ほどではありませんが一応髪を切ります。男性はツルツルに剃りますが、女性はおかっぱ風に髪を切りそろえるのが一般的でした。

それでも、髪が結えるようになるまでは時間がかかりますので、すぐには大奥入りというわけにはいかないようです。

ところが慶光院の記録では六条家の姫が入った、記載がないのです。

ではなぜ・・・院主だった話が通説になっているのか・・・・?

家光が同性愛・・・この性格は知られていました。でもお万の方が側室になりました、それなら尼であったほうが、女性らしさが削ぎ落とされ中性的なイメージが協調されます。

そうなると、同性愛で女性があまり好きでなかった人物を変えるのにうってつけの人物、それがお万の方、となります。

家光の女性嫌いを治すという点で説得性が感じられます。尼なら、なるほどあり得るかもしれない、納得されられるエピソードになります。

こんな意図がはたらいて、お万の方院主説が広まるようになった、と思います。

よしながふみ原作「大奥」のドラマでも、お万の方の男性版であるだろう万里小路有功は最初お坊さんでしたね。

お万の方、子供は?

お万の方と家光との間に子供ができませんでした。側室というのは子供を持つために迎える女性なのですが、お万の方の場合はどうも、何か理由がありそうです。

実は幕府の中にある不文律に、「皇室、公家との間に子供を儲けてはならない」と。そんな戒めがひっそりと流れていました。

天皇家、公家階級に江戸幕府を牛耳られたくない、それが理由です。皇室も武家の名家も然り・・・生まれた子供の母親の実家は外戚と呼ばれ、とにかく治世に口を出してくるものです。

古くは藤原家、平家とその横槍が支配者を悩ませていました。実際、徳川将軍の正室は、皇室または皇室に準じる公家から迎えていますが、どの正室、御台所(みだいどころ、将軍家の正室のこと)も子供を産んでいません。次期将軍は皆側室が産んでいます。

お万の方との間わざと子供を作らなかったのか、あるいはできなかったのでしょうか?

かつての老中の資料には、懐胎することを禁じる、という記述が残っています。その理由までは詳しく述べられていません。

子供が生まれなかったことで、子供が生まれないように、お万の方は毒を盛られたという説まであります。

毒というのは正確ではないかもしれません。懐妊するたびに堕胎薬をまた普段から不妊薬を使用された、というらしいです。

いずれにせよ、ピルなんて良い便利な薬がない時代でしたから、劇薬に近い薬を使ったのでしょうか?下手したら命を縮めます。

お万の方の死と墓

お万の方は家光より長生きましました。

家光の死後は、春日局のように大奥を取り仕切る役についています。その時は「お梅の局」という名前になっています。

その後は、江戸で大火があり(1657年)その火は江戸城本丸にまで及びました。多くの者たちはここにいることができず、小石川の無量院に避難した記録があります。

記録に残っている没年は1711年です。88歳だったということです。

墓は、雑司ヶ谷霊園にあります。

非常に長生きされた方です。その生涯を本人はどう感じていたのでしょうか?幸せだったか?それとも・・・・

一生を静かに送りたい、と思っていたのなら、ずっと院主でいた方が幸せだったかもしれません。

ですが、もし波乱万丈の人生を望むなら、非常にスリリングな一生になったと思います。ただし還俗したにも関わらず、子供を持つな、と言われるのは厳しいかもしれませんが。

それだけならず、毒をもられる恐怖に怯えるのは辛い毎日だったと思います。

それでも88歳まで生きられた、というのはひょっとしたら家光が亡くなった後の方が安心してのびのびと生きられたのかもしれない、と想像してしまうのです。

お万の方、NHK「大奥」のドラマでは?

NHKのドラマ「大奥」の原作はよしながふみの漫画「大奥」です。

あの世界の大奥は、男女逆転しています。といっても最初から男性と女性の役割が違っていたのではなく、ある事情から、女性が主に働かなくてはいけなかったのです。

家光は女性だったのです。また老中や幕府の要職も女性。男性は子孫を作るためにのみにしか必要とされませんでした。

だから将軍家の側室男性。遊女も男性(この場合遊女、と呼ぶ?)

漫画の世界では将軍の名前は同じですが、側室の名前は違ってきています。

お万の方は「万里小路有功」(までのこうじありこと)という名前になっています。最初の苗字に「万」が使われていて、「お万」の名残が残っています。

お万の方は、家光に一番愛された側室と言われています。

将軍様と側室というと、一人の将軍に対してたくさんの女性ですから、それぞれの女性が子供を産むことになるのですが、将軍様女性となると、一人でたくさん産まなければならないので、体力的にも大変だと思いますが。

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