2026年4月から始まるNHKの朝ドラ「風、薫る」は、日本初の看護師になった女性です。
ドラマのモデルは、大関和(おおぜきちか)で、役名は「一ノ瀬りん」です。
もうひとりの主人公は、鈴木雅(すずきまさ)、ドラマでは「大家直美」。
この女性の生まれは、元は武士の家系です、
ここでは大関和にスポットを当て、大関和がなぜ、看護師を目指すことになったのか、
結婚、離婚が、看護師として生きる、大関和にどんな影響を与えたかについて、解説します。
大関和の夫は?
大関和は19歳(18歳)で結婚します。相手は、同じく黒羽藩の士族・渡辺福之進豊綱(わたなべふくのしんとよつな)。
渡辺福之進豊綱も、戊辰戦争に参加しており、陸軍少尉補で、なかなか偉そうな人物です。
ドラマでは「奥田亀吉」という名前で登場です。(三浦貴大さんがキャスティング)
なぜこんなに歳の離れた男性と結婚?と思いましたが、大関和の父・大関弾右衛門(おおぜきだんえもん)が決めた結婚でした。
明治時代になってもまだ女性は家長の、取り決めに逆らえなかった、のでしょうか?
しかし、夫・渡辺福之進豊綱には、複数の妾がいたことが判明しました。
それおは大関和に、息子が生まれた時、初めての男子だったんも関わらず「六郎」という名前を夫がつけたからです。
そこを、和が追求したところ、夫にはすでに5人の息子がいて、今生まれた子供は6人目の男子、と言われたからです。
大関和はショックを受けました。
男性も40歳ともなると、結婚した過去があるかもしれないし、また妾がいる、というの珍しくないでしょう。
それでも耐えなければいけなかった、のが明治の女性だった、と私は思います。
大関和、離婚へ。
大関和は、夫に何人も妻がいることを知ってショックを受けました。
すぐにでも離縁を考えましたが、自分が生活できないと知って、離婚に踏み切れませんでした。
女性が、1人で生きていくには経済力が必要で、明治時代の女性たちは、経済力を身につける方法をまだ知らなかったからです。
大関和は、再び妊娠をした時は、お産で実家に帰り、女子を出産したのちは、夫の元に帰ることを拒みました。
東京に出ることを思いつき、今度こそ離婚に踏み切りました。
江戸時代なら、このように夫に妾がいることは、そんなに珍しいことではなかったので、なんとか我慢したかもしれない。
大関和は、江戸時代を抜け出した「文明開花の音がする」明治時代の女性だったのです。
大関和の「離婚」が、和の人生のターニングポイントになった、と私は信じています。
離婚に踏み切ったの行動も、思い切ったものですが、その後の行動、生活こそが大関和の人生を切り拓いたのです。
大関和は看護師に
私は、大関和は、少女時代から看護師を目指して…と考えていましたが、そうではなく、結婚→離婚、をしてからの決意でした。(当時は看護婦と呼ばれていました)
ですから、大関和は24歳ぐらいになってからの決意です。
牧師の弟が経営する英語塾に入り、やがてその兄である牧師・上村正久とも話をする機会が増え、牧師から、看護師の道を薦められました。
大関和は、最初は看護師になりたくなかった?
でもすぐに、大関和は「はいそうですか」と言ったわけではありません。
看護婦がどう見られていたかは、『職業婦人調査』という当時のことを書いた雑誌に、次のことが書かれています。
「出戻りか然(さ)もなくば あばづれのしたたか者と思われる様な者ばかりであった」
だから、看護婦になるものはよっぽど生活に困っている人、と見られていました。
きっと、「あばづれ」と見られるのは、武家出身の大関和にとっては、屈辱的だったのではないでしょうか?
大関和、植村牧師の熱意に負ける?
その時、植村牧師は、フローレンス・ナイチンゲールの話をして、大関和に看護婦としての仕事の尊さを訴えたのでした。
大関和は、植村牧師が熱心に話してくれた、キリスト教の信条、人を救う、という教えに共感して看護師を目指すことにしたのでいた。
植村牧師の説得力は、すごいものだな、と私は感じました。
キリスト教というものが、日本で異教と思われなくなったのは、さすが明治と思いますね。
大関和のような武家出身の女性が、そんなにキリスト教に説き伏せられることはない、とこれまで、私は思ってきたので、
「キリスト教って威力あるもの」、と私はここで感じてしまいました。
キリスト教的な考えで言えば、大関和は、看護婦になることが「神が与えた道」と思えるようになったと、「明治のナイチンゲール 大関和物語」には書かれています。
大関和が、クリスチャンになったのは、看護師の学校に入って、卒業の少し前の話です。
大関和は鈴木雅(大家直美)と、いつ出会ったの?
「風、薫る」のもう1人の主人公、鈴木雅(すずきまさ)は、大関和とは、ともに桜井看護婦養成所での同期でした。
どちらも第一期生、で学校で1886年、初めて出会います。
大関和と鈴木雅の共通点がありました。
- どちらも1853年の生まれ、同い年
- シングルマザー
- 士族(武家)の娘
- 2人とも洗礼を受けてクリスチャンになる
シングルマザーと言っても、鈴木雅の方は、夫と死別していますが、夫が死ぬまで、鈴木雅は家族で幸福に暮らしていたところは、生活環境が違いますね。
士族と言っても、鈴木雅の親は、旧幕軍についた側で、その点が大関和とはちょっと違います。
大関和も鈴木雅も、信念を持って看護婦という職業に就くのですが、2人が意気投合するまで、すぐに友達になれたのか、それとも対立することになったのかは、これからまた見ていきます。
鈴木雅は、「風、薫る」の大家直美のモデルです。
大関和は、ナイチンゲールと呼ばれたのはなぜ?
大関和は「日本のナイチンゲール」と呼ばれていました。
それは何よりも、大関和が、看護師(当時は看護婦、とよんだ)という仕事を、金銭を得るに値する専門性のある職業として確立させた人だからです。
大関和、ナイチンゲールに似ていたところは?
- どちらも良家の生まれだった。
- 看護婦(現在は看護師)の地位を職業として明確なものにした。
という点でした。
フローレンス・ナイチンゲールは大関和よりも前の時代の人でしたが、その時代のイギリスは、
看護師とは、下層階級の人々がつく職業で、掃除婦のような仕事とみなされていただけではく、看護婦たちは、大酒を飲み絶えず騒いでいたような女性たちでした。
それに、小説などでは、時には患者の物品を盗んだりするシーンも描かれていました。
たまたま、中流階級以上の人が看護婦になったとしても、「失恋したか、生活に困った人か」という偏見がついて回りました。
ですからナイチンゲールが、「看護婦になりたい」と言って時、周囲から大反対されていました。
それでも、ナイチンゲールは看護師になり、やがて、偏見をなくし、看護婦を専門性のある職業としての地位を確立した女性でした。
そんな女性に、大関和は似ていたのでした。
大関和の生まれは?
大関和は、1858年、栃木県那須郡黒羽町に生まれました。当時は下野国(しもつけのくに)と言いました。
家系は、黒羽藩(くろばねはん)家老の家柄です。
生まれた年、1858年は、まだ江戸時代、安政5年で、歴史的には安政の大獄と言われていた、激動の時代です。
黒羽藩の藩主の名前は、大関(おおぜき)、主人公の家の名前も大関。
ということは、大関和の一族は、藩主と同じ一族ということを意味しています。
大関藩の藩主は、大関増裕(おおぜきますひろ)といい、幕府では要職についていました。
明治維新に入ってからは、新政府側について戊辰戦争を戦ったので、廃藩置県後は華族となって、生き延びることができた家系です。
前作の朝ドラ「ばけばけ」では、江戸時代までの武士が、維新後、苦労する様子が描かれていましたが、
今回の、黒羽藩の場合は、それほど苦労を味あわなかったのかもしれないと、私は推測しています。
大関和、なぜキリスト教信者に?
大関和はクリスチャンになりますが、そのきっかけとなったのが英語(英会話)を習ったことでした。
英語を習う、看護婦になったことが、クリスチャンになることに非常に影響しています。
大関和がクリスチャンになったのは、看護学校に入学した翌年、1887年、28歳の時です。
英語を習い、看護婦への道に、進んだことがきっかけとなりました。
英語も看護婦学校も、そのキーパーソンになったのは、キリスト教の牧師でした。
通った英語塾の先生の兄が、牧師でした。牧師は植村正久といいました。
植村牧師と話すうちに、看護婦への道を目指す意思が芽生え、女学校(桜井女学校)の看護婦養成所に入学したのでした。
日本の看護学校は、外国で学んだ人が始めたので、どうしてもキリスト教の影響が強くなります。
看護学校の生徒が、初めて看護婦としての実地実習に就くときに行われる、制帽式はキリスト教の儀式が源流にあるように、看護学校とキリスト教は、密接に関係していました。
大関和が入学した桜井女学校も、キリスト教系の女子学校でした。
まとめ
2026年4月から始まった、NHK朝ドラ「風、薫る」は、日本で初めて職業としての看護婦の地位を、確立させた2人の女性の物語です。
2人とも、名家の生まれで、そこがイギリスのフローレンス・ナイチンゲールと立場が似ています。
また、昔は日本でも、イギリスでも看護婦という職業が、相当低いものに世間では考えられていた、ということも面白いです。
主人公2人が、なぜ看護婦を目指したか、それをここでは解き明かしましたが、これ以降、2人はどのように、看護師の地位を高めていくか、
これからのドラマの展開が、楽しみです。

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