ユディト、実に衝撃的な絵です。複数の画家に取り上げられているテーマです。首を掲げている、または切り落としている最中の絵もあります。
でもその物騒な絵が、見る人を惹きつけているのです。
それはユディトの美貌のせいでしょうか?それともユディトはファムファタールだからなのでしょうか?
では一体どんなあらすじでしょうか?首の持ち主はホロフェルネスと言いますが、どんな人だったのでしょう?
また、果たしてこの女性は実在したのでしょうか?
ユディトはまた、トランプのハートのクイーンのモデルでは?とも言われています。
「ユディト」絵画・・・ジェレンティスキ、カラヴァッジョ、クラナッハ、クリムト、
ユディトの物語は多くの画家を魅了しました。どの絵も人気があります。何点かは来日したことがありますが、どの絵もその前に行列が出きるほどでした。
ジェレンスティスキ
1620年ごろのアルテミジア・ジェレンティスキの「ホロフェルネスの首を斬るユディト」。これは衝撃的な絵です。まさに殺人最中の絵画。
アルテミジアの父親がカラバッジョと親交があったので、アルテミジアもカラヴァッジョの影響を受けています。
アルテミジアのユディットは力強い感じです。カラヴァッジョの楚々としたユディトのイメージと大分違います。
腕にはしっかりと力が入り、その表情も荒いです。また侍女もしっかりと手伝っています。かなりのリアリズムを感じます。
こんな絵を描いたのは、あるエピソードがあります。
この頃女性画家は珍しく、ついた師の一人に乱暴されました。それにより男性に憎しみを感じるようになり、性的関係を迫る男性を容赦しないという意志を込めてこの絵を描いた、とも言われています。
なるほど、それだからこそ、ホロフェルネスに対し渾身の力を込めて首を落とそうとしている、その情景がひしひしと伝わってきます。
カラヴァッジョ
カラヴァッジォのユディトは約1600年前後の作品ですが、こちらのタイトルは「ホロフェルネスの首を斬るユディト」です。
文字通り、ユディトがホロフェルネスの首を斬っている最中です。
ユディトは腰が引けています。首を斬られているホロフェルネスは苦悶の表情を見せています。女性の細腕で屈強な軍人の首を切り取るのですから、恐ろしいことこの上ありません。
怖さの中にも絶対斬ってやる、というユディトの信念が滲み出る表情です。そばで侍女らしき老女が首を包むための布を手に緊張しています。
侍女も手伝えばいいのに、と思うのですが。それに剣を持つユディトの手が片手だけというところに無理がありそうです。もっとも片手はホロフェルネスの髪をしっかり掴んでいるので仕方がないかもしれませんが。
人物にスポットライトのように光が当たっているところが非常にカラヴァジョの特徴がよく現れています。
クラナッハ
ルーカス・クラナッハ(1472〜1553)、ドイツ(神聖ローマ帝国)は結構な数のユディトを描いています。
当時は注文を受けて描くのが画家の仕事でしたので、「ユディト」の題材を数多く求められたのでしょう。
片手に剣を、もう一方の手で敵将ホロフェルネスの首をもち、机、あるいは台の上に置いています。その光景からゴトンという首を置くときの音が聞こえてきそうです。
クラナッハのユディトはどれも、冷たい表情をしています。中には口の端を片方だけあげて嘲笑していうかのような表情もあります。私には勝利の女神のように見えます。
後世の評論家によると、ホロフェルネスの首の断面は非常に精巧で解剖図のように描けているのだそうです。
そうらしいのですが、血まみれであること、グロい(?)ので正視できません・・・当時の人はこんな絵を注文したのか・・・?いったいどこに飾ったのでしょうね?
クリムト
近代になると、グスタフ・クリムトの「ユディト」(1901)があります。このユディトにはまた別の魅力があります。
ここで何より特徴的なのはユディトの表情です。
これまでは、無表情だったり、冷たい微笑み、恐れ、苦悶が現れていたのですが、この「ユディト」には恍惚の表情が現れているのです。
ホロフェルネスの首は半分だけではっきりと描かれていません。
ユディトの恍惚の表情の意味は何なのでしょう?寝首をとったまさにその瞬間のユディトの気持ちを表したのかもしれません。
この表情が従来のユディトとは異なる特徴です。
そこに官能さを感じるファンもいます。実際この絵を目の当たりにしたら離れることができなくなります。官能さ、というよりその微笑みにいた表情の謎解きをしたくなるのです。
その謎は「モナリザ」の微笑みの謎と同種のものかもしれません。永遠の謎を探ろう・・・そんな魅力がクリムトの絵から感じられます。
さあ、あなたはどのユディトが好きですか?
ファムファタールユディト
ファムファタール・・・・「運命の女」という意味です。
「運命の女」といってしまうと、自分にとって一生の相手である女性、会った途端に恋に落ち・・・というイメージがありますが、ファムファタールは全くそういう種類の女性ではありません。
男性の運命を翻弄してしまう女、という意味です。時には命まで奪われる可能性アリ、といったいわく付きの女性といったところでしょう。日本語で言ったらむしろ「魔性の女」そう呼んだほうが良さそうおです。
ユディトはその「ファムファタール」に分類して良いのでしょうか?悪女というイメージではありませんね。悪女というと多くの男を惹きつけては、骨抜きにするあるいは命まで奪っていくのですが、ユディトの場合は殺した男とはホロフェルネスのみですから。
その理由はひたすら自分の街を守るため・・・そのために自分の身を使って相手を滅ぼしたのです。自分で図らずも殺人者となっていまいました。
殺人を犯したときのユディトの気持ち・・・誰一人知るものはいません。
特にクリムトの絵から、ファムファタール性が特に感じられます。やはりクリムトの描くユディトの謎の表情のせいでしょうか?
クリムト以前の「ユディト」の絵からは、ユディトの使命感が強く現れている気がします。
しかし、クリムトのユディトに見られるような恍惚とした表情をしてはいなくても、人の首を切って平然とその首を手にしているシーンは、壮絶です。
多少腰が引き気味になっている絵もありますが、それでも首を切っている最中のユディトは怯むことなく、説教的に首を切っているシーンからは目が離せません。
クラナッハの絵のように、平然と切った首を手にしている場面からは緊張感がただよい、冷徹なユディトの表情と、切られてだらんとした表情になってしなったホロフェルネスの首の対比にまた目が惹きつけれます。
こうして、後世の画家、ひいてはそれを鑑賞する私たちまで、首をきるというシーンに目を釘付けにしてしまうユディットはまさに、運命の女「ファムファタール」なのです。ユディト自身は自分がファムファタールだとは全く自覚していないと思いますが。
いえ、ユディトに魅せられたのは画家だけではありません。
音楽もあります。モーツァルト「救われたベトーリア」という宗教劇曲を作曲しました。宗教劇曲はオラトリオと言われています。
モーツァルトはオラトリオをこの1曲しか書いていません。
15歳のときの作品で依頼があってうけた作品です。15歳という年齢ではまたユディトの心情などはよくわからなかったかもしれませんが、それでも美談としての作品に仕上がっています。依頼する側も美談的な作品を要求していたのだから、そのように出来上がるのかもしれませんが。
首を切り落とされたホロフェルネスだけでなく、私たちの心まで奪っていく女性・・・・それがユディトなのです。
映画もあります。「ベッスリアの女王」と言います。1913年という古い映画ですが、評判は良いようです。
壮大感があって、歴史物らしい面白さがある、ということです。
「ユディト」あらすじは?
ユーディトの物語は、ユディトがベトリアという街を守った、そういう話なのです。ですが武器を取って先頭に立って戦うというものではありませんでした。
時代はアッシリアが力を持っていた時代、アッシリアのネブカドネザル王の頃です。
しかしネブカネドザルというのは実は新バビロニア王国のネグカドネザル2世なのではないかと言われています。この王の元にユダヤ侵攻が行われ、イシュタルの門が作られたのもこの頃だと言われています。当時ユダヤにいた民族はヘブライ人です。
ネブカネドザルの部下にホロフェルネスという将軍がいました。ホロフェロネス諸軍はベトリアを狙います。そしてベトリアから水源を断ちます。
ベトリアは街をホロフェルネスに明け渡しを決めましたが、ユディトが反対しました。「頑張るのよ、なんといってもこの街を守り抜くのよ」といった具合に。
ユディトはベトリアの街の有力者の未亡人でした。
ユディトは「自分に任せて欲しい」といって、ある計略を実行します。
それは美しく着飾って、侍女を一人連れて敵将ホロフェルネスの陣営に行くことです。行って自分が、ベトリア攻略のお手伝いをします、ということを仄めかしました。
ただ着飾っただけでなく実際、ユディットは大層な美人でした。
そしてユディットはホロフェルネスに酒やご馳走を振る舞ったようです。そしてたっぷりと酔わせて眠らせ・・・・
おそらくそれだけではなくユディットは女の武器も多分使ったのでしょうね。ホロフェルネスは自分のテントから部下たちを引き上げさせてもようです。
徹底的に酒と美貌と美食に酔わせ、深い眠りに落としたところで、ホロフェロネスの髪を掴み剣を振るって、首を切り落としました。
将軍を失ったアッシリアの軍勢は腰砕けになって敗走していきました。
という以上がお話しです。モデルになる女性がいたのでは?と言われています。ユディト時代がユダヤ人の女という意味でもあります。
多くの画家、作家、たちを魅了し、それを見る私たちをも魅了するユディト・・・単なる伝説だけではいて欲しくない人物です。実在性を願う気持ちがモデルあり、こう見てしまいます。
征服されていく土地の中でこのような話が美談となって受け継がれていくのですが、女性に取ってみればあまり美談、で片付けられていい話ではないと思いますが。
「ユディト」は旧約聖書から?
ユディトの話はキリスト教で知られているものの、聖書にどう載せられているかが宗派によって違っています。
カトリックと正教会(ロシアとか東欧の)聖書では旧約聖書に載せられています。一方プロテスタントおよびユダヤ教では外伝として載せられています。
外伝というと、伝説や伝記では知られている一般的な記述をしたものを意味し、それを捕捉する記述が外伝と言われています。そこで伝説、伝記本体を正伝という言い方をしています。
「ユディト」はなぜ、正伝と外伝の違いがあるのでしょうか?
プロテスタントの方が、カトリックに批判的な意見を持つ人たちが起こした派閥です。そしてプロテスタントはだんだんと勢いをつけ始めました。これまでラテン語でしか書かれていなかった聖書を、人々の使う普通の言葉(この場合はドイツ語)に書き直したことで、信者を集めつつありました・
それに危機感を感じた、カトリック側が聖書に元々アポクリファと呼ばれていた外伝を聖書内に取り込むことで、他の派閥との差別化を図りました。それは、聖書以外にもあった教え、また決まり事であった祈りの言葉を聖書に取り入れて、人々に伝えやすくするためでした。
つまり元は聖書成立後にまとめられた話だったのです。
ユダヤ教は、キリスト今日の母体となった宗教でした。ユダヤ教は元来の聖書以外を認めませんでした。
プロテスタントはカトリックから離れたものの、聖書はカトリック以来のものを使用していました。そして外伝は外伝として残しました。
西洋の人たちに取っては外伝であろうとなかろうと聖書の逸話に馴染んでいます。ですから絵画などで、こうした聖書の人物がテーマであるのはそれほど、驚くことではなさそうです。
私たち日本人はそうした聖書的なバックボーンがありませんが、絵を見ながらさまざまな文化、習慣のあり方を知るのは面白いことです。
ここで疑問が一つ出てきました。
聖書では婚姻関係以外の男女関係を否定しています。そしてそのような関係を持ってしまったものに対しては罰を与えます。あるいは汚れ者と呼び、村八分状態にします。
ユディトは、未亡人ですが敵将ホロフェルネストの結婚など全く考えていません。それどころか女性であることを利用しての行動。
男性と関係を持つ・・・さらに殺人まで・・・理由はどうであれ、許されない行動なのではないでしょうか?
聖書、あるいは聖書外伝ではその点には触れず、むしろ救国の女性としての取扱をしているところがどうも???なのです。
しかも2022年度5月には一般初見演説でユディトの話をしました。話の中ではユディトのことを賢く勇気ある女性と称えています。
なお、ローマ教皇はユディトが長生きをし穏やかな晩年を過ごしたことまで言及していました。
現代的な解釈ではユディットのとった行動は、むしろ正しいと思ったことは、周りがなんと言おうと、どのように見られようと実行するのが大切・・・と変容を遂げてきているのかもしれません。
その懐の深いところを見せようとしたのがカトリックなのでしょうか。
ユディットとアッシリア、ネブカドネザル、そしてホロフェルネス
ユディットのいた年代はアッシリア、ネブカドネザル王の時代という設定です。
ネブカドネザル王ですが、もしネブカドネザルが当時の王だとすれば、この国はアッシリアではなく新バビロニア帝国ということになります。
でもちょうどこの二つの国が合い並んで、バビロニアの方が優勢になってきていた頃でした。
ネブカドネザル2世は非常に力のある王で、アッシリア人の国を滅ぼし、バベルの塔、イシュタルの門を建設という偉業を果たしました。それが紀元前600年代でした。
ですからユディトに出てくるネブカドネザルはネブカドネザル2世であると推測されています。
アッシリアを滅ぼす計画、ヘブライ人の国(ユダヤ人の国)を滅ぼすためにユディトのいる街ベトリアを襲ったのです。
ベトーリアは今ではその所在が知られていません。架空のまちだったのでは?とも言われていますが、今後の研究を期待します。
ネブカドネザル王の将軍がホロフェルネス。ネブカドネザル王は自分の意に従わない土地を、襲って自分に従わせようとしていました。征服者の常ですね。
ホロフェルネスはネブカドネザル2世の総大将でした。ですが総大将であった以外に知られておらず、どのような戦績を残したか不明です。
総大将というからにはそこそこに名前を知られていた人物だったのでしょう。
ですが、ユディトに首を切り落とされた将軍という話だけが有名になってしまって、ホロフェルネスその人に焦点が当てられていないのが残念です。
ボッティチェリの絵画に「ホロフェルネスの遺体発見」というのがあります。首がない死体が転がっている、というゾッとする構図の絵です。
ホロフェルネスはひょっとしたら、勇猛果敢な武人だったのかもしれない。でも知られていることは、女に寝首をかかれた・・・あまりにも悲劇的というか情けない結末でした。
女難の相が・・・と言われる人だったのでしょうね。もし、ホロフェルネスがすけべ心(?)を出さなかったら別の結末があったのかもしれませんね。残念な人です。
ハートのクイーンユディトとは?
トランプの絵札にはモデルがいると言われていますが、そのせつは一人ではありません。また国によっても違っています。
それはキングでもクイーンでもそうなのです。何しろトランプの絵柄が現在のような形になったのはフランス革命後だと言われています。革命以前は作り手によって違っていました。
フランス革命後にだんだんと画一化されてきたトランプ。その一つハートのクイーン。これはユディットだ、と言われています。
ハートのクイーンは「ジュディス」と呼ばれています。ユディトの英語系の読み方です。ユダヤ語読みではユディトです。ドイツ語圏でもユディトです。
しかし他にも説があります。シャルルマーニュ大帝の王子の妻の名前もジュディスといい、これではないかという人もいます。
だたしその行動での知名度はユダヤのユディトです。知名度で言えばこちらが有力候補かもしれません。
なお、イギリスの説では、この二人は全く候補に上がらず、エリザベス・オブ・ヨークが使われています。薔薇戦争末期のヨーク家の姫で、チューダー朝の当主と結婚しヘンリー8世を産んだ母である人物です。
トランプの絵柄の謎も面白いですね。
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