三浦庄司は、田沼家の公用人です。
田沼家に忠実であるはずの人物ですが、今や、三浦庄司は、スパイである疑いが視聴者からかけられています。
そのうわさはホントかウソか?
ここでは、三浦庄司の、生まれ、田沼意次、一橋治済との関係を見ながら、内通者になる可能性があるかを、考察しました。
三浦庄司はスパイ?
三浦庄司(みうらしょうじ)は、番組の中では、かなり怪しいです。
その根拠を挙げてみましょう。
- 田沼意次(たぬまおきつぐ)が佐野政言(さのまさこと)から預かった家系図を、「由緒など必要ない!」と言って池に投げ捨ててしまった
- 佐野家の、名のある桜を田沼家が利用したたこと。利用とは、佐野家にあった桜を田沼家が自分の家の桜、と言って、寺に寄進した。
- 蝦夷地とロシアが密貿易をしていたらしい、ことを田沼親子が知り、蝦夷地を松前藩から取りあげ、幕府直属の土地にしようと計画をしていた
- 田沼親子が松前藩の蝦夷地を没収を計画中に、松前藩に間者を潜入させていた。
上記4つのことは、田沼親子以外では、三浦庄司しか知らない話だったからです。
桜の木のことを、知っていたのは、家族以外では三浦庄司だけでした。
「赤蝦夷風説考」(あかえぞふうせつこう)を持ち出して、田沼親子の興味を引き出したのも、三浦庄司でした。
松前藩の様子の情報を田沼家に流していた煙草屋が、火事になり、田沼に情報を流していた、松前藩士が殺される。
情報を探る話も、田沼親子以外では、三浦庄司しか知らないことでした。
佐野政言に田沼親子への疑い植え付けたのは、「丈右衛門」という人物ではあるのですが、系図のことを「預かり、無くしてしまった」という、田沼親子、三浦庄司のみが知る事実を語っていました。
この経過を見ると、スパイである疑いが濃くなってきます。
三浦庄司、「知りすぎていた男」です。
もし、三浦庄司が田沼家に恨みでもあれば、それから他にもっとおいしい誘惑があれば、あるいは?
三浦庄司は、内通者ではない?!
上記の話題とは、矛盾しますが、三浦庄司は内通者と考えるのはむずかしい、とも見えます。
それは、三浦庄司の、生まれと、田沼意次 失脚後の、行動から感じられます。
三浦庄司、内通者でないのは田沼意次の失脚から?
田沼意次のブレーンであったために、責任を問われ、遠州相良藩(えんしゅうさがらはん)で、投獄されてしまいます。
まず、ここがポイントです。
もし、三浦庄司が内通者だったとしたら、ここで、三浦庄司は田沼の敵から優遇されていたはずです。
三浦庄司は、田沼親子のもとに仕えていた時には、給金もよく、貯蓄をたくさん貯めていました。
そのため、追放されても生活にさほど困ることはなかったのですが、田沼家の勢いがなくなったところで、田沼家の足軽たちは困って、三浦庄司を頼ってきたのです。
かなり多くの家人が押し寄せてきたので、三浦庄司は面食らって、自分の蓄えを分けあたえて、助けてやりました。
このエピソードは、 肥前国平戸藩主 松浦静山(まつうらせいざん)著の「甲子夜話」(こうしやわ)に書かれています。
ここで三浦庄司はケチって、家人たちを追い返したら、それこそ、「やはり三浦庄司は内通者だった」と噂されたのではないでしょうか。
福山藩に仕えていた、三浦庄司の兄と弟は、田沼意次の事件とともに藩から追放されてしまいました。
そんな事実を見ると、どうも、三浦庄司が内通者だった、という疑いは薄らいでくるのですが。
三浦庄司、内通者でないのは、待遇が良かった?
田沼意次の元で、三浦庄司は、結構な権力を手にしていました。
大名でさえ、粗末な応対をしていました。
その例が、肥前国平戸藩主 松浦静山(まつうらせいざん)著の「甲子夜話」(こうしやわ)にあります。
田沼様と会うため、面会の約束をとって会いにきたところ、田沼ではなく、三浦が現れて「田沼様が直々お出ましになると目立ってしまうので、こっそり会っていただきたい」
と言われ、人目のつかない部屋に通された。
自分のような(藩主)身分の者なら、大広間以外は通されないはずだが、それ以外の部屋に通された、と不満な様子で、書かれています。
この時の、平戸藩主の思いは、田沼意次ほど権威のある人物は、その臣下までもがエラそうであると。
こんな、オイシイ思いをした、三浦庄司なら、田沼を裏切って、その敵方につくとは考えにくいです。
三浦庄司の最後?
三浦庄司は、追放された後、どうなったか?いつ死んだのか?それについての記録はありません。
肥前国平戸藩主 松浦静山 著の「甲子夜話」には、追放後、老婆に匿われていました。
その地で、田沼家の元足軽たちが、保護を求めてやってきたところに、金を分け与えてやった、という話までしかありません。
いくら、権力を持った人でも、落ちぶれてしまったら、それも罪人扱いになってしまったら、誰も注目してくれる人すらいない、という証拠なのでしょうか?
元は農民だったということも、軽く扱われて原因かも知れません。
三浦庄司と田沼意次との関わり合いは?
三浦庄司は、田沼意次の相談役でありました。
農民出身でしたが、天下の田沼様のブレーンになる、という大出世を遂げたのです。
三浦庄司は農民から、大抜擢?
最初は田沼意次の話し相手として雇われたのでしたが、生まれは農民です。江戸生まれという説もありますが、それでも農民の子供です。
福山藩(現在の広島県)出身で、田沼家の用人(庶務職)だった三浦五三右衛門(みうらござえもん)の養子になりました。
養子になった、三浦庄司も田沼家の家人となったのでした。
農民から、武士への出世ですが、田沼意次は出身にこだわらず、有能な人物を見抜く力があった、ということを表すようなエピソードです。
三浦庄司、調子に乗った?
確かに三浦庄司は、有能で、田沼意次の経済政策の原案を立てるなど、活躍しました。
しかしそのために、一般庶民から御用金を集めて、それを大名に貸付けるということをやってのけました。
三浦庄司の場合、御用金をさらに貸していたのだから、また貸し(?)したことになり、三浦庄司とその主人、田沼意次の評判は最悪なものとなりました。
これが、のちに田沼意次失脚の要因の一つと言われています。
こうなると、三浦庄司と田沼意次の運命は一蓮托生といえましょう。
御用金とは、幕府や藩が、財政上の困難に陥った場合、不足金を町民や農民から強制的に借り上げる金銭です。
「借り上げる」というのだから(強制的でも)、返さなければならないはずなのですが、実際、お上が返すことはほとんどありません。 悪質な、国債?みたい、という感じでしょうか。 |
三浦庄司と一橋治済、関係はあった?
三浦庄司と一橋治済との関係を、実際に証明する史料は見当たりません。
「べらぼう」のなかでも2人の関係を示すシーンはあんまりありません。
一橋治済から田沼意次がもらったムックリ(アイヌの楽器、を三浦庄司が使っている、くらいでした。
もしかしたら、そこに伏線があるかも知れません。
もし、三浦庄司が一橋治済のスパイだったとすれば、ムックリは重要なアイテムになります。
そうでなかった場合のムックリは、単にアイヌの文化・芸術を伝える一つの道具で終わります。
その場合、アイヌ文化の貴重さを伝える大切な一場面になりますが、三浦庄司の動きを視聴者に伝える手段にはならないようですね。
三浦庄司、「べらぼう」では?
「べらぼう」では三浦庄司役に、原田泰造さんがキャスティングされています。
アイヌのムックリを使うところなど、ちょっとコミカルに見えるシーンもあります。
原田泰造さんは、お笑いの世界で有名ですが、NHK大河ドラマの出演も多々あり、演技力にも定評があります。
「べらぼう」では、今 三浦庄司がスパイとして怪しく見えています。
展開はどのようになるでしょう?
視聴者皆さんの予想は当たるでしょうか?
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