「豊臣兄弟」、ともは実在?名前が知られる理由。長生き!息子たちの悲劇を!夫は?聚楽第の生活?

豊臣兄弟

豊臣兄弟には、姉妹がいます。

妹のあさひが有名ですが、おねえさんの「とも」の人生も波乱万丈でした。。

兄弟ゆえに有名になり、長生きもした人物ですが、幸せな人生だった、とはいえないでしょう。

どうして、「とも」の人生が悲劇になったのか、「豊臣兄弟」の陰に隠れた、「とも」の人生をご紹介します。

「豊臣兄弟」、ともは実在

「豊臣兄弟」の藤吉郎、小一郎には「とも」という姉がいます。

姉に、ついては、実在していたことがわかっています。

ドラマの中では気の強そうな、さすが長女と思えるほど勢いがあり、気の強そうな女性ですよね。

戦国時代の女子の本名は、伝えられていないことが多いですが、「とも」の場合は、その名前が知られています。

母親は、「なか」、父は2つの説があって、木下弥右衛門(きのしたやえもん)と、竹阿弥(ちくあみ)の名前が出てきます。

これは、「なか」が再婚したからでは、と考えられています。

しかし秀吉兄弟は2人とも、木下の姓を名乗っているところから考えると、竹阿弥の存在はどこから出てきたのかのでしょうか?

「豊臣兄弟」の中でも、父は、藤吉郎・小一郎の父は同じ、木下弥右衛門、となっていましたね。

「豊臣兄弟」、ともの名前はなぜ知られている?

  • 天下人となった、豊臣秀吉の姉であること。
  • 「とも」の息子も当時の有名人になったから。

以上二つの理由から寺の記録に名前が残っているのです。

残されているのは京都にある瑞泉寺(ずいせんじ)で、秀次の菩提を弔うお寺にありました。

寺には、「日秀尼」(にっしゅうに)という名前が残されており、「寛永諸家伝図」には、「とも」の名前が書き込まれています。

日秀尼とは「とも」の出家後の名前です。他の軍記作品にも、藤吉郎・小一郎兄弟の姉は、「とも」という名前で出てきています。

近江八幡にある瑞龍寺の記録には、「羽柴智」(はしばとも)という名前が残っています。

「瑞龍院日秀」が正式な法名として、記録にあります。

「瑞龍」は「とも」の法名に入ってので、この寺は、「とも」が、息子・秀長の菩提を弔うために建てたお寺だからです。

名前のことだけ考えると、「とも」という女性は、農民の生まれながら、名前も残っている幸運な人だ、と思えるのですが、それだけが幸せではありません、

ということを私たちに感じさせてくれるのが、この「とも」の生涯です。

「豊臣兄弟」とも、長生き!

「とも」は戦国時代の女性にしては、驚くほど長生きしています。

1625年、92歳で亡くなりました。

1595年、息子たちが、亡くなった後、仏門に入り、「日秀尼」となり、京都に瑞龍寺をたて、その寺で、祈りの日々を過ごします。

特に自害に追い込まれた長男「秀次」の菩提を弔いたかったからだろう、と私には思えます。

仏門に入ってから、約30年。

その間に、弟の秀吉は1598年、亡くなります(秀長は1591年、没)。

1600年には、関ヶ原の戦い、そして、1615年、大坂夏の陣で、豊富家の親族のほとんどを亡くします。

豊富家の滅亡を、見届けた、という悲しい余生でした。

「豊臣兄弟」、ともの息子たち

「とも」の名前を有名にしたのは、秀吉ではなく、「とも」の息子のお陰です。

長男と三男は養子に出ています。

「とも」の長男、秀次

1人は、「秀次」(ひでつぐ)、「とも」の長男です。

長男の秀次は、ともの兄の秀吉(藤吉郎)の養子になり、関白の後継者となります。

しかし、その後に、秀吉に実子・秀頼が生まれ、秀吉は関白の地位をを実の息子にやりたくなりました。

やがて秀次には、秀吉に対する謀反の疑いがかけられ、処罰されて、1595年、切腹においこまれました。

「とも」の三男、秀保の場合

秀保は、豊臣秀長の元に養子に出され、豊臣秀長の後継者になります。

というのも、豊臣秀長のところは、1男2女の子供が生まれますが、男子は小さいうちに亡くなり、「とも」の3男・秀保を娘(みや)の婿として養子に取ります。

秀保とみやの結婚は、秀保が13歳の時に執り行われましたが、秀保はその4年後、1595年17歳で亡くなります。

その死因は、不明です。

「とも」の次男は?

「とも」には3人の息子がいた、というわけで次男は、秀勝(ひでかつ)と言いました。

この次男は、秀吉の朝鮮出兵の命令で、朝鮮にわたり、その地で亡くなりました。

戦死ではなく、病死と伝えられています。

 

秀次と秀保は同じ年に亡くなっています。

しかも秀次は、謀反人とされて、処罰されて亡くなっていますし、他の息子たちも亡くなっています。

仏教の思想では、子供の方が親より先に亡くなることは「逆縁」と言われ、非常に不幸なことでした。

3人とも親より先に命を落とす、それだけでも、不幸のどん底に落とされたようなものです。

さらに、実の弟に息子を滅ぼされた、「とも」の想いは、私たちの想像を超える悲しみだったことでしょう。

「豊臣兄弟」、ともの性格

「とも」は、藤吉郎が秀吉になっらから、名前が知られるようになりましたが、「とも」本人には目立つ活躍がありませんので、性格、など特筆したものはありません。

豊臣兄弟たちと共に、農村の生まれ、育ちですので、「田舎のねえちゃん」というイメージです。

なにしろ、4人兄弟の長女なので、その性格は立場上しっかりしていたはずです。

「豊臣兄弟」の番組の公式サイトでも「しっかり者」とあります。

「しっかり者」を表す様子は、第1話で次のように現れています。

盗人になるのが嫌だから、と言って、戦に行かない弟の小一郎を、「ぐずぐず行っていないで、銭、食い物を取ってこい」叱り飛ばすシーンでした。

これは弟に戦争に行って、盗みを働いてこい、と勧めている過激な発言と見えますが、自ら動いて生活の糧を集めなければならない、

少しでも油断すれば、自分の食糧・蓄え、命も奪われてしまうのが、戦国時代の庶民たちだったのだ、と私たちに想像させるようなシーンでした。

戦国時代の過酷さを、「とも」のセリフひとつで表した場面だったと思います。

戦国時代、食べ物にも困る日々を乗り切らなければならない農民は、女や子供とはいえ、自分で自分の生活を守らなければなりません。

一家の長女に生まれた「とも」は、生活力と逞しさを、身につけないと、生きていけない宿命だったのだな、と私は痛感しました。

「豊臣兄弟」、ともの夫は?

「とも」は、弥助という男性と結婚します。

ともが、長男の秀次を出産した時は、35歳くらいとされています。

しかも、ともは、夫・弥助との間に3人の息子が生まれますが、

これは「とも」の亡くなった年、そして、秀次が処罰された年から逆算すると、35歳くらいになるということで、ともの結婚は、当時としては遅い方だったのかもしれません。

弟や妹の面倒を見る、などして結婚が遅れた可能性はあります。

夫の仕事は、大名や名家の武士たちが楽しんでいた鷹狩りの獲物を準備する係でした。

この弥助、という名前の、確かな筋からわかっている名前でなく、通称です。

1564年、豊臣秀吉の部下に取り立てられます。

この年号は、「祖父物語」という物語に描かれていますが、この物語は尾張の人物が、自分の祖父の記録を描いたものに出ています。

しかし、その書物も、明治時代に編纂され直したもので、正確さには欠けていると思われます。

夫は、仕事についていたし、「とも」は働き者だし、出世を望まなければ、それなりの生活が続けられたのかもしれない、と私に思わせるような、生活ぶりだったと思います。

「豊臣兄弟」とも、聚楽第で優雅な暮らし?

ともの息子・秀次が太閤秀吉の後継者に指名され、関白となります。

息子の出世に合わせて、秀次と共に、大阪の聚楽第に住みます。

ともは秀次の身の回りのこと、また、相談役をこなしていたこともあって、秀次のそばにいたのでしょう。

1582年に、秀吉の上司だった織田信長が本能寺で、滅びると、豊臣秀吉はあっという間に出世し、関白太政大臣となり、秀次は秀吉の後継者になりました。

1591年、豊臣秀次は、関白に任命され、秀吉が建てた城、聚楽第(じゅらくだい)も一緒に引き継ぎました。

その時の、「とも」は57歳になっていました。

戦国時代の武家の習わしとして、武将の家には、その一族が一緒に住むことになっていました。、

ですから聚楽第には、秀次の妻子、側室以外に、母親(とも)も、そしてまたとも・秀吉兄弟の母、なかも一緒に住んでいました。

秀次一家が、聚楽第に住む様子は、当時、日本に来ていたイエズス会の宣教師、ルイス・フロイスが日記に記録として書いています。

聚楽第には、当時の天皇も訪れた記録があり(『聚楽御幸記』、『天正記』)、また、聚楽第跡地と見られるところから、金箔張りの瓦が見つかっているところから、豪勢だったのでしょう。

農民育ちの「とも」にとっては、目の眩むような住居だった、と思います。

と言っても、ボロ屋から急に美しい城に移ったのではなく、住居が少しづつアップグレードしていった感じでしょう。

その時、ともはどう感じていたでしょう?

こんな華麗な城に住むのはもったいない?それとも、天下人の身内だから当然?と思ったでしょうか?

まとめ

豊臣兄弟の「とも」役は、宮澤エマにキャスティングされています。

豪快ながら、一家のことを気に掛ける、良い長女ぶりが良いと思われます。

これ以降、「とも」はどんな変化を遂げていくでしょうか?

予想としては、一家を率いる、「強い姉さん」というイメージが浮かびます。

だから、「とも」の人生後半に襲いかかる悲劇への対処の仕方も非常に興味があります。

2月現在では、藤吉郎・小一郎を送り出した、だけですが。

これから大物となっての活躍が期待される人物です。

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