斎藤義龍、謀反?DAIGOが。性格は?有能か無能?死因は?生きていたら?身長が高い!強い?父と母は?濃姫の兄。

豊臣兄弟

2026年大河ドラマ「豊臣兄弟」でdaigoが、斎藤義龍(さいとうよしたつ)の役で出演しました。

大河ドラマでは、無能としての評価がありますが、そうでない研究も最近出てきています。

父を殺しても、父を超えられない武将としてのイメージがいつまでも残っているからでしょうか。

非常に背の高い武将とでした。

ここでは、ワンシーンほどしか出なかった、斎藤義龍を掘り下げて、性格を探り、面白い人物だった、という点を中心に、ここで語っていきます。

斎藤義龍、DAIGO、似ている?

大河ドラマ「豊臣兄弟」ではdaigoが「斎藤義龍」役に抜擢されました。

初回のみの登場というのは残念ですが、武将ぶりが似合っています。

DAIGOが、斎藤義龍に似ているかというと、風貌は肖像画に似ていません。

上背は、伝えられているほど高くはありませんし、横幅の方のほっそりとしています。

しかし、立場的に見た時、通じるところがあるのかな、と私には、見えました。

斎藤義龍は、戦略的に優れた武将。一方のDAIGOは、某政治家の孫。

自分の血筋を超えたい、何かをうちに秘めていたのではないでしょうか。

斎藤義龍、謀反人?

それは、斎藤義龍は、父、斎藤道三と敵対してしまったからです。

斎藤義龍は、父に対し不満を持っていました。

これが親子の対立でしょうか?親は子供を頼りない、と思い、子供は親をうっとおしく思う、ということなのでしょうか。

父からは「愚か者」と呼ばれ、後継である斎藤義龍よりも、弟たちの方が父から可愛がられており、後継者の地位も弟、孫四郎に継がせようとしていたのです。

斎藤義龍は、自分の将来に危機感を持ち、弟をだまして暗殺し、父と完全に対立しました。

確かに父がとった政策は、強硬で残忍さが見えていたので、それに対する反発もあったでしょう。

斎藤義龍と父・斎藤道三は、1556年に長良川の戦いで敵対し、息子の斎藤義龍が勝利し、父は討ち取られました。

この戦いは、家の後継者を争いであるのですが、兄弟同士の戦いではなく、父と子の戦いであるために、謀反、ということばが当てはまるのだと、私は思います。

というのも、第2次大戦より以前の時代は、ずっと、親の命をとる、ということは、「尊属殺人」と言われ、とてつもない罪だったからです。

下剋上と呼ばれた戦国時代でも、親を殺害した、ということは、他の武将たちからも悪く言われる事件でした。

斎藤義龍は、「謀反」以上の罪を犯した、ということなのです。

斎藤義龍、性格は?

斎藤義龍が、父に敵対するところから考えると、自我が強く向上心のあり、激しい性格の武将と自分は見ています。

「信長公記」では、粗暴で人を疑ってかかる性格がある、ということがありますが、それは弟たちを殺害したところに現れています。

「美濃国諸旧記」には、家臣の心を掴むのが上手な武将ということも書かれています。

歴史に残っている、織田信長と繰り返された戦いの様子からは、父、斎藤道三に似た戦略を立てる、言われ、その能力は高いようです。

母実家である、土岐氏(ときし)の勢力も再び立て直したい、という意識もあった、ということが後世の研究でわかってきています。

土岐氏とは

戦国の守護大名であったのですが、1552年斎藤道三との戦に負け、領地だった美濃国を追放されています。

その子孫は、残っていて、江戸時代に旗本などになって残ってます。

斎藤義龍は身長が高い?

斎藤義龍は、背が高かったと伝えられています。

「美濃国諸家系譜」には、『大力量天下無双、も、身の長高六尺五寸あり』と書かれています。

どれくらい高かったかというと、一尺は現代では30.3cmほどなので、センチに直すと約197cm、馬に乗った時、足が地面に付いたほど、ということです。

馬に乗って地面に足がつく、これはちょっと誇張しすぎでしょう。

戦国時代の、男性の平均身長は160cmを下回る、という統計が出ていますので、斎藤義龍は相当な大男だった、と印象付けたいために、『〜足が下につく』と表現したのでしょうね。

あだ名も「六尺五寸殿」でした。身長そのままのあだ名です。

現代のバスケットボールがバレーボール選手顔負けですね。

2020年大河ドラマ「麒麟が来る」で、斎藤義龍にキャスティングされた伊藤英明は身長183cmとありますから、その伊藤さんより背が高い、ということになります。

対し「豊臣兄弟」で、斎藤義龍にキャスティングされたdaigo.は178cm、ということですから、背についてはちょっとどうかな?と自分は思ったのですが。

斎藤義龍は無能か、有能か?

父の斎藤道三は、斎藤義龍を「無能」呼ばわりしました。

しかし、後世では、有能だった、という説も出ています。

斎藤義龍が「無能」と呼ばれるわけ?

斎藤義龍が、「マムシ」と呼ばれた斎藤道三の息子で、父親から「無能」と呼ばれ辛い状態。

斎藤道三が息子、義龍を無能呼ばわりしていたことは、「信長公記」、「江濃記」に書かれています。

斎藤道三は、もともと斎藤姓だったのではなく、最初は西村という名字で、次に長井、そして斎藤と名前を変えていっています。

その様子を、斎藤義龍は10代の時から見ていましたから、息子の目から見て父親のことはどうも信じられないでいました。

変わり身が早い、とか?そういう印象ではなかったかな、と自分は考えてしまいます。

斎藤義龍は、父親、斎藤道三のやり方が嫌いだったのです。

ですから父と対立し、自分の思うように反応しない、斎藤義龍のことを、「無能」と呼んでいたのでした。

斎藤義龍、実は有能?

斎藤義龍の能力は、16世紀では過小評価されているのではないでしょうか?

のちに、1556年、長良川の戦いで、斎藤義龍が、父の斎藤道三を打ち破った時、父は息子の戦いぶりを「見事な采配」と認めました。

そして、「しばらく斎藤家は安泰」といい、自分が見ていた斎藤義龍の能力を見誤った、といった、と司馬遼太郎の小説「国盗り物語」の中に書いてあります。

私が思うには、強くなって、父を打ち負かした、斎藤義龍に対し、父はこんな言葉をいったのだろうな、斎藤道三のファン(?)の気持ちになって、作者は書いたのでは?

斎藤義龍の死因は?

30歳前半で、急病で亡くなりました。1560年〜62年あたりです。

父の斎藤道三を打って、やっと5年ほど経った頃です。

「濃陽諸志伝記」では病死、と書かれていますが、どんな病気だったかは書かれていません。

残されて入る肖像画からは、病気の気配は読み取れませんが、顔の大きさが気になり、もしかしたら、肥満気味を私は疑っています。

身長が高い人だったので、血栓が出来やすかったり、心房細動の不調が起こりやすいリスクはあります。

斎藤義龍は武将で、戦場を馬で長時間移動する機会が多かったので、血栓が出来やすかったのかもしれません。

つまり、今でいう、エコノミー症候群、というものなのか?

さらに太めとなると、循環器系の病気が影響したかも、と私は考えるのですが。

斎藤義龍、生きていたら?

斎藤義龍が亡くなった時は、織田信長と互角に戦っている時でした。

その策略は、敵対する織田信長、家臣たちから、「さすが、斎藤道三の息子だ!」と言われるほどの名将ぶりでした。

もし、斎藤義龍が長生きしたら、

美濃国が織田信長の手におちる時期がもう少し遅くなる、あたりでしょうか?

それでも結局は、織田信長の狙う天下布武の道を阻むことはできなかったに違いない、と私は思うのです。

それだけ織田信長の勢いは強かった、というのが世の流れだということです。

斎藤義龍の父

斎藤道三が父親です。

斎藤義龍は自分の父が、実は斎藤道三ではなく、土岐頼芸(ときよりのり)と思っていた。

それでどう道三を討とう、と決意した、という話も、「土岐累代記」など、一部の史料で見られます。

しかし、それは史実からは外れていると思われます。

「土岐累代記」はもっと後の史料で、「土岐〜」以前の資料「信長公記」、「江濃記」には、載せられていません。

土岐頼芸、父親説は、江戸時代以降にできた話です。

「大かうさまくんきのうち」(太閤様軍記のうち)には、斎藤道三が死に際に、斎藤義龍のことを「さすが道三の子」と言っている様子を書いています。

斎藤義龍の側から見ると、斎藤道三が実の父ではない方が、「親殺し」の罪に問われず、実の父の仇を取った、という方が世間的、受けがいいのかもしれません。

実は、斎藤道三は実の父ではない、と噂を流したのは、案外 斎藤義龍その本人だったのではないか?と、私は疑いを抱き始めています。

斎藤義龍の母

深芳野(みよしの)と、通説では言われています。

斎藤義龍の母は「深芳野」

この女性は、美濃一の美女といわれ、元は、守護大名の土岐頼芸の愛妾でした。

斎藤道三が、美濃の支配権を争ったことで、土岐頼芸から斎藤道三へ、深芳野を譲り渡したことで、深芳野は斎藤道三の側室になりました。

深芳野は、非常な美女だった、と伝えられているので、斎藤道三にとっては、戦利品に当たるのだと、私は考えます。

以上のような、深芳野の受け渡し事件があるから、斎藤義龍は土岐頼芸の息子ではないか、という疑惑が生まれたのでした。

斎藤義龍の身長の高さは、母親譲り、のようです。

というのも深芳野の身長が、六尺二寸(約187cm)ということなのですが、そのようなことを書いた史料がないので、どうも伝承だけのようです。

深芳野は稲葉家の出身で、母は一色(いっしき)家の娘でした。

一色氏は、将軍である足利家と関係のある家柄なので、深芳野を手に入れた斎藤道三は、美貌だけでなく、名家の血筋も手に入れたことになります。

全く有名でない家に生まれた、斎藤道三、これは支配階級に入っていく良い手がかりを、手に入れたことになる、と私は思います。

斎藤義龍の母、もう1人の候補者

実は深芳野ではなかった、という説もあります。

その人物は、稲葉良通(いなばよしみち)の妹あるいは姉、です。

稲葉家の出身というのは、深芳野も同じですが…

なぜ、稲葉の娘の説があるのかというと、こちらの娘は背が高かった、と言われているからです。

こちらの方は「翁草」という随筆にある記述があります。、

『稲葉の娘はすごい美貌だが、背が高く六尺(約180cm)ある。だから生まれた息子も背が高い』

とありますが、「翁草」は江戸時代に書かれた随筆なので、こちらもかなり後になって書かれたため、正しいとは言い切れません。

斎藤義龍は、濃姫の兄!

織田信長の妻、濃姫(のうひめ)、いえ、最近では帰蝶(きちょう)と呼ばれていますが。

この女性は、斎藤義龍の妹、といっても異母妹です。

帰蝶の母は、小見の方(おみの方)といって、斎藤道三の正室でした。

斎藤義龍と帰蝶(濃姫)とは特に仲が良かった、とか、そのようなことは伝わっていません。

正室と側室との間なら、その子供たちは特に一緒に過ごす、という生活ではなさそうです。

帰蝶は、父である斎藤道三にとても可愛がられており、一方の斎藤義龍は父からは「無能者」扱いわれていたから、特に親しく付き合うことはないと、私には思えます。

斎藤義龍は強い武将?

「強い」と言えます。

まずは、美濃を治めた斎藤道三を打ち取って勝利したのだから、強いです。

また、織田信長が自分の勢力の拡大をはかって戦いを仕掛けるところ、斎藤義龍は、信長を美濃に寄せ付けないように立ち回った、

ということから、かなり強い武将だったことがわかります。

親の七光りの武将ではなかったのだな、と私は感じ入るところです。

まとめ

「豊臣兄弟」で、斎藤義龍は初回でしか登場しません。

しかし、のちにその息子が、何度も戦闘に向かい、戦国時代を彩る武将になるため、斎藤義龍の存在は非常に大きな者なのです。

斎藤義龍の印象は、父に逆らい、父を殺してしまう単純な謀反人です。

実は、父の政策に違う意見を持つ、有力な戦国武将です。

ただ、有能ぶりを見せてくれる前に、突然死してしまったのが、残念なポイントです。

本の少ししか、画面に移りませんが、DAIGOが良い表情を見せています。

今後「豊臣兄弟」で斎藤義龍の息子、斉藤龍興(たつおき)が登場したら、このたたずむ、DAIGOの斎藤義龍の姿を思い出したい者です。

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