「豊臣兄弟」、前田利家の秀吉との仲は仲良し?いつから親友?秀長の場合?秀吉、太閤後は?娘は?妻達も仲良し?

豊臣兄弟

「豊臣兄弟」に前田利家(まえだとしいえ)が登場してきました。

これまでの「大河ドラマ」では、豊臣秀吉と前田利家は親友の設定になっていましたが、今回はちょっとお互い闘争心丸出しの感じです。

史実では親友だったのに、ここで敵対するとは?

秀吉は最後まで、前田利家を信頼していました。

そんな2人の友情の強さを、ここで確認しようと、調べてみました。

「豊臣兄弟」、前田利家と秀吉の仲は?

豊臣秀吉は、前田利家を信頼しており、その信頼関係は、生涯続きました。

2026年大河ドラマ「豊臣兄弟」を見ていると、親友というよりライバル関係を感じさせます。

もともと2人は、尾張の出身で、秀吉(藤吉郎)は農家の生まれ、

一方、前田利家は、豪農の息子だった、ということで、前田利家の方が少しばかり身分が高かったといえます。

前田利家・豊臣秀吉は仲良しだった!

この2人が同郷と言われていますが、実際はそうではなく、藤吉郎は尾張国中村。

前田利家は、尾張国愛智郡荒子で、地理的にそんなに離れていません(現代では電車で20分以内、自動車なら15分以内くらい)。

それでも、ご近所というわけではなく、幼少期から顔見知りだったわけではありません。

豊臣兄弟が清洲城の足軽・小侍たちが住む長屋に住んでいたときに、近所の長屋に住んでいたのが前田利家だったのです。

ここから、豊臣秀吉と前田利家は、友人同士だった、と言われているのです。

前田利家・豊臣秀吉との仲の悪さは、創作?

豊臣秀吉(木下藤吉郎)が前田利家と仲が悪かった、という史実はありません。

しかし、時には豊臣秀吉と前田利家は敵対したことはありますが、それはもっと後のこと(1853年、賤ヶ岳の戦い)。

全体的に見て、豊臣秀吉と前田利家は、若い時から親友で、生涯を通じて友情と信頼で繋がれた関係、と歴史物語などで語られています。

ということは、「豊臣兄弟」の2人の対立心は、これから友情を育てていくための伏線になるのだと、私には思えます。

もう一つ、面白い偶然があります。

木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)のあだ名は、「猿」、そして、前田利家の呼び名は「犬千代」、これはまさに、犬猿の仲!

初段界で2人がお互いを嫌い合えば、その後の友情がより強いものに、視聴者には見えてくるようにするための、創作なのでしょう。

「豊臣兄弟」、前田利家と豊臣秀吉はいつ親友になる?

史実では、足軽、一兵卒だった時から、近所付き合いから親しくして行った、のですが、

「豊臣兄弟」では、ライバルからいつ親友への道につながるのでしょうか?

そのあたりは、「豊臣兄弟」のあらすじでは、まだ明らかにされてませんが、

ライバル → お互いの強さを認め合う → 親友、という図式に展開すると、私は期待しています。

その日は近いうち来るでしょう。

前田利家は、織田信長からにらまれていた!

「豊臣兄弟」ではちょうど桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)が行われたのですが、この少し前まで、前田利家は、織田信長から、出所停止命令を受けていました。

その理由は、前田利家が、織田信長、お気に入りの茶坊主を切り捨ててしまったからです。

それは、前田利家が、その茶坊主に嫌がらせを受けていたのが、理由で切り捨てたのですが、信長はそれを許しませんでした。

許されたのは、桶狭間の戦い(1560年)に参加して、手柄をあげたからでした。

「豊臣兄弟」、前田利家と豊臣秀長の仲は?

歴史で物語やドラマで語られているのは、前田利家の場合、秀吉と親友だった、と伝えられているのですが、豊臣秀長の場合はどうだったのでしょう?

前田利家と豊臣秀長との、エピソードが、物語で見られない、ということは、利家・秀吉の間ほどには、2人は親友関係を築いていなかった、と見ています。

しかし、前田利家と豊臣秀吉が盟友である以上、秀吉の弟・秀長との接点があるのは当然です。

前田利家&豊臣秀吉、と同様の仲は、前田利家&豊臣秀長、からは見られません。

これから見られるのは、豊臣秀長も前田利家も、豊臣秀吉を支えよう、と言う思いはありました。

秀吉を通じての、豊臣秀吉・前田利家・豊臣秀長の3人で作り上げる、時代がドラマで見られると、私は予想しています。

「豊臣兄弟」、前田利家は豊臣秀吉の太閤就任後はどうなる?

豊臣秀吉は太閤となり、前田利家より立場が上になり、前田を加賀の領主にします。

前田利家は、豊臣秀吉に信頼されていた?

その時の、豊臣秀吉は、前田利家を優遇していたと見られるところがあります。

太閤は、太閤検地(年貢の量の取り決め)を行いましたが、前田利家は、それを無視していました。

そのことは、加賀藩の史料、藩内の村の史料に見ることができます。

前田利家の、太閤検地のがれは、エコひいきに見えなくもないのですが、理由がありました。

前田利家の領地は一向宗が多く住んでおり、何かあると一向一揆がすぐにでも起こりそうな勢いでした。

ここをまとめるのは、豊臣秀吉に忠実なものでなければならない、秀吉はそう考えていたはずです。

これまでの、豊臣秀吉は、裏切りをたくさん見てきましたから、加賀を任せて、一向宗と一緒になって、秀吉を攻めてくるような人物は、困るのでした。

頼りになる人物、裏切りが心配ない人物、といえば、ということで前田利家に加賀を任せました。

前田利家は、一向宗を抑える政策として、太閤検地を受け入れなくても良いとしたのです。

他の領地から見ると、確かに、秀吉は前田利家を「えこひいき」している、と見えますが、これは止むに止まれぬ手段だった、と私は思います。

前田利家は豊臣秀吉の晩年後はどのように?

豊臣秀吉は、晩年、自分の息子・秀頼の後見人として前田利家を任命しました。

また、徳川家康とも上手に付き合い、豊臣家と徳川家との対立を防いでいました。

前田利家は、他の大名達とも仲がいいため、豊臣秀吉が死んだ後も、諸大名達は豊臣家に手を出さないでしました。

前田利家が、豊臣家が滅亡しないようにとストッパー役を務めていたのですね。

前田利家は1599年、「関ヶ原の戦い」の1年前に亡くなり、そうして息子の利長が1600年、関ヶ原の戦いで、徳川家康の東軍につきます。

家康への味方になることが遅れたために、前田家は、外様大名という、禄高は高いけど、多くの出費を求められるなど、厳しい規制の下に置かれた大名になりました。

関ヶ原の戦い、ギリギリまで、豊臣家についていた、前田家はやはり友情と忠義の人だった、と私たちは言っていいと思います。

「豊臣兄弟」、前田利家は娘を豊臣秀吉に託した?

2人の仲の良さは、豊臣秀吉が太閤になっても続いていました。

その証拠が、娘の件です。1人の「豪」は娘として育てられましたが、

もう1人の娘「摩阿」(まあ)となると、関係が変わってきます。

「豪」の場合は?

1575年、前田利家の娘「豪」(ごう)が、豊臣秀吉・寧々(ねね)夫妻の幼女となりました。

この時の、「豪」はまだ2歳。

豊臣秀吉と妻・寧々の間に子供はいません。

前田利家と正室・まつの間には子供がたくさんいたから、というわけではないのですが、前田利家と豊臣秀吉が強い信頼関係で結ばれていたことの証拠となります。

豪は、秀吉・利家の仲の良さをあらわすように、秀吉に大切に育てられました。

妻同士(寧々とまつ)どうしも仲が良かったから、まつも安心していられたことでしょう。

「摩阿」の場合は?

1586年に、前田利家の娘「摩阿」(まあ)が、豊臣秀吉の元に側室としてやってきます。

前田利家は、「筑前守』(ちくぜんのかみ)に任ぜられます。位は、従四位。

「筑前守」はかつて豊臣秀吉が受けていた位。

豊臣秀吉の方が位は上(天下人)で、前田利家は家臣という立場ですが、秀吉は今でも利家を大切に思っているよ、と証明したのでしょう。

「摩阿」は、「豪」とは1歳ちがいの妹。豊臣秀吉とは35歳も年が違います。

「摩阿」はのちに、「加賀殿」と呼ばれるようになります。

今度は、前田利家の娘、を養女でなく、側室にした、という事実は私を驚かせました。

「摩阿」の両親(前田利家とまつ)にしたって、自分とあまり年の違わない相手に愛娘を嫁がせる、そんなことを許可するのでしょうか?

確かに、豊臣秀吉の「女好き」は知られており、子供も長年いなかったから、若い女性なら子供を産める、と思ったのかも知れません。

これには、地位による関係も裏に働いた、と私は思います。

前田利家よりも偉くなった豊臣秀吉。相手が自分とその一族を裏切らないようにするための手段、を取ったのでしょうか?

後の世に出てくる、人質に近いものかも知れません。

「豊臣兄弟」、前田利家・豊臣秀吉、妻達の仲の良さ!

前田利家の妻「まつ」、豊臣秀吉の妻「寧々」この2人も、歴史上仲が良い奥さん同士、と呼ばれています。

「豊臣兄弟」では、お互い対抗心を表していますが、これは夫同士が「犬猿の仲」なので、必然的に、妻同士も、仲が悪くなります。

以前の大河ドラマ(1981年「女太閤記」)では、豊臣秀吉と結婚する前の寧々は、前田利家が好きだった、という設定になっていました。

史実を調べてみると、下記の二つの説はどこにも見当たりません。

  • 対抗心があった、
  • 寧々は前田利家が好き

対抗心があった、というのは「豊臣兄弟」の中で、前田利家と豊臣秀吉(藤吉郎)との間の試合で、まつが前田利家を応援するあまり、熱が入った、ことに見られます。

一方の寧々も、秀吉を応援するあまり、乱暴な(?)言葉が出てしまった、ここに対抗心を出しています。

「豊臣兄弟」第5話のあたりでは、もう前田利家とまつは結婚していました。

時代背景で言うと、1558年(永禄元年)あたりに結婚していたことが確認されています。

桶狭間の戦いは1560年なので、前田利家は結婚している、と言う設定で、ドラマは進んでます。

この時、まだ寧々は、「秀吉が好き」とは口に出していっていなかったのですけれどね。

寧々と前田利家・まつの家は近所にあったので、似たような生活環境の中で、まつと寧々も少しずつ仲良くなっていく過程が、「豊臣兄弟」で見られると思います。

まとめ

豊臣秀吉は、前田利家を、最後まで信頼し、友情を感じていました。

それは、たちまち仲間を裏切るような、戦国の世の中では、稀なことでした。

それでも、娘を側室にしてしまうのはちょっといただけませんが。

片方の娘が、自分の夫の側室、という辛い立場の、まつと寧々、

この2人の友情もまた、貴重で、女性同士の固い絆こそが、荒んだ戦国時代の女性達の心の拠り所であったのかも知れない、と私は思いを馳せるのでした。

「豊臣兄弟」では女性の友情は、一体どう扱われるのでしょうか?

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