朝ドラ(2026年4月〜)「風、薫る」で清水卯三郎(しみずうさぶろう)、という初老の西洋雑貨屋さんの主人が登場します。
得体の知れない人に見えますが、実は、この時代の有力な貿易商で、パリ万博でも活躍した実在の人物です。
そして、勝海舟(かつかいしゅう)など、有名人と知り合いなのです。
「風、薫る」では清水卯三郎さんが、文明開花の風をたっぷりと吹かせてくれます。
そして、それが主人公・一ノ瀬りんにどんな影響を与えるでしょう?
ここでは、清水卯三郎のハイカラぶりをご紹介いたします。
清水卯三郎のモデルは?
「風、薫る」の清水卯三郎さんは、「モデルがいる」どころではなく、実在の人物です。
その名前も、役名と同じく、清水卯三郎と言います。
「風、薫る」での登場するの様子は、青い服を着、黒い帽子をかぶり、そして、主人公・一ノ瀬りん(実在は大関和)の前に現れ、名刺をりんに渡していました。
清水卯三郎、実在はどんな人?
清水卯三郎は、通訳であり、商人でありながら外交官の役目を果たす人物です。
1829年(江戸時代末期 文政12年)に埼玉県羽生、造り酒屋の三男として生まれました。
学問に面白さを感じ、中でも特に語学に興味を示しました。
将来は通訳(当時は通詞、と呼ばれていた)となります。
清水卯三郎は、英語を勉強して、相当な英語の使い手になったのでしょう。
清水卯三郎が生まれたのは江戸時代末期です。
1862年の、生麦事件がきっかけで起きた、薩英戦争では通詞として、イギリス艦に乗った、という実績もできました。
ここから、清水卯三郎という人物を見ると、通訳の他に交渉力も身につけた人物といえます。
それに生家が、酒屋だったことから商人としても活躍できたわけです。
清水卯三郎は、江戸時代後期に生まれ明治時代に育ったからこそ、身分に左右されずに、大商人となり、世界に羽ばたいていく人物になったのだと、私は思います。
清水卯三郎「風、薫る」の中では?
清水卯三郎は、「風、薫る」では西洋風雑貨店の主人、というのが2026年4月での状態です。
のちには、主人公の一ノ瀬りん(大関和)や、大家直美(鈴木昌)と関わってきます。
清水卯三郎は今の所、ドラマで、目立つ特徴はというと、常に洋装で歩いており、りんに名刺をあげています。
現在、りんは、清水卯三郎の店で働いて、給料をもらっています。
そしてりんを、優しく見守っています。そして私には、その中から何かしらの才能を見出すような予感がします。
店の名前は「瑞穂屋」(みずほや)ですが、この店名は史実と同じ店の名前です。
清水卯三郎の「瑞穂屋」とは?
清水卯三郎は、「風、薫る」では瑞穂屋(みずほや)という洋物雑貨店を開いています。
そこでは洋書も扱っていますね。
史実の清水卯三郎も、「瑞穂屋」という西洋の、雑貨、書物を扱う店を持っていました。
清水卯三郎が最初に、瑞穂屋を開いたのは、浅草。パリ万博に参加し、日本の物品の展示に行って帰国してからのことです。
いつ開店、というはっきりした記録は残っていませんが、1868年、パリ万博からの帰国後です。
清水卯三郎の店は、西洋雑貨屋、というイメージですが、西洋のものなら何でも扱う、といった「西洋風何でも屋」と私は言いたいです。
その翌年(1869年)、清水卯三郎は、店を、浅草から日本橋に移転させます。
店を移転させた理由は見つかりませんが、浅草より、日本橋の方が、商売も上手くいきそうと、清水卯三郎は思ったのかもしれない、と私は想像するのですが。
それに日本橋の方が、国際的イメージが強い感じがします、銀座も近いし。
「風、薫る」で、主人公・りんが雇ってもらえた瑞穂屋も、日本橋でしたね。
清水卯三郎の店の「うさぎ」の意味は?
清水卯三郎の店「瑞穂屋」の店頭には、きれいに盛装したうさぎが飾られています。
このうさぎについては、番組の設定です。
番組制作者側は、イギリスの小説「不思議な国のアリス」のうさぎのイメージと説明しています。
「不思議な国のアリス」ではうさぎが、主人公アリスを不思議な国に誘い込みます。
だからうさぎが、ドラマで画面に映る時、私たちには、胡散臭く見えているのかもしれませんよ。
そのシチュエーションとちょうど同じように、「風、薫る」の主人公・りんを未知の世界に誘い込む、のです。
実際、りんは、清水卯三郎に出会い、新しい世界に向けて目を開くことになったからでsう。
店は、西洋の物品を扱う、のちに、りんは、看護師という海外から来た新しい職業につく、
西洋物、西洋への道標、店に置かれた、と私は思っています。
ちょうど、「不思議な国のアリス」がうさぎに導かれて、異世界にいくように。
もう一つ、うさぎは「卯」ともいい、このうさぎは、ある意味、清水卯三郎の存在そのものを表すているのかもしれません。
清水卯三郎、勝海舟と知り合い?
「風、薫る」には、片岡鶴太郎が、勝海舟(かつかいしゅう)役で登場します。
では実際に2人は知り合いだったのでしょうか?
学習院大学の資料館に残されている史料に、明治6年〜7年、勝海舟が浅草にある「瑞穂屋」に洋書の輸入を頼んでいた、と記録があります。
清水卯三郎と、勝海舟は顔馴染みで、勝海舟は何度も清水の「瑞穂屋」に通っていました。
勝海舟は、清水卯三郎に頼めば、洋書など、取り寄せてもらえる、と思ったのでしょう。
現代でこそは、海外からのショッピングはネットを使えば、簡単にできますが、明治初め頃は、海外からの輸入は、想像以上に難しかったです。
清水卯三郎と勝海舟はかつて、海軍伝習所で顔を合わせていました。
勝海舟は海軍伝習所に入校していましたが、清水卯三郎の方は、伝習所に入りたい、と希望したものの、選抜や実施訓練の結果、入学できなかった、というものでした。
その時に一応面識があったようです。
その後清水卯三郎は、パリの万国博覧会に参加したことがあり、その時、勝海舟も一緒でした。
おそらく、その時から、勝海舟は清水卯三郎に信頼を寄せるようになったのではないか、と私は見ています。
清水卯三郎、パリ万博に行った!
清水卯三郎が行った、パリ万国博覧会は、1867年に行われました。
清水卯三郎、パリ行きを決意した経過は?
清水卯三郎は、自分が習っていた蘭学の教師から誘われたことが、パリ行きのきっかけとなりました。
幼少から海外という場所に憧れていた、清水卯三郎は二つ返事で、パリ行きを引き受けました。
最初は、自分のような商人の身の上では、許されないだろう、と思っていましたが、欧州(ヨーロッぱ)に憧れていた熱意、が伝わって、
親戚である地元の名主が、ヨーロッパ行きを賛成してくれたので、「行く」と決意しました。
卯三郎がパリ行き決めたいいきさつは、清水卯三郎の自伝「わがのよき」に書かれています。
その本は今でも、清水家にあります。
商人であることを、清水卯三郎が気にするあたりを見て、私はまだまだ江戸時代の色が強いな、と思いましたが、
こうした商人が、ヨーロッパ行きを志願できるようなった、ということは明治時代は、文明開花の舵を切り始めた、という感じがしました。
パリ万博の年、1867年には、日本ではちょうど大政奉還の年で、一行がパリにいる間に起きました。
万博出張組には、混乱した帰国になっていたでしょう。
清水卯三郎、パリ万博に何を出品した?
1867年は、江戸時代から明治時代への移り変わりの時期ですが、パリ万博へは、江戸幕府として出品しました。
清水卯三郎が、展示にまず必要と思ったのが、数寄屋造(すきやづくり)の茶室の再現でした。
茶室では、3人の芸者が、欧米人のお客様にお茶やお菓子を振る舞っていました。
芸者によるおもてなしは、欧米人に大変人気がありました。
他に、清水卯三郎が選んだ物品は、刀類、錦絵、扇子などでした。
パリ万博には、清水卯三郎の出品物以外には、浮世絵、陶磁器、水晶細工などがありました。
欧米人がかつていだいていた日本人のイメージ、『フジヤマ、ゲイシャ』はここから始まったのでなないでしょうか?と私は思います。
清水卯三郎が、パリ万博で得たもの?
お茶室で芸者によるおもてなし、が非常にウケたので、清水卯三郎は、当時のフランス皇帝・ナポレオン3世から、名前入りの銀製メダルを贈られました。
いいことばかりではありません。
清水卯三郎は、パリで、商取引を行なったですが、国際取引に慣れていない卯三郎は、うまくや流ことができず、それどころか詐欺ではと疑われ、裁判沙汰になりました。
でもその後、罰せられた記録がないので、なんとかうまく切り抜けられたのだと、私は推測しました。
パリ万博の帰り、清水卯三郎は、ヨーロッパからアメリカを回り、さまざまなことを学び、帰国しました。
まとめ
清水卯三郎にキャスティングされているのが、坂東彌十郎さん。
坂東彌十郎さん、というと、2022年「鎌倉殿の13人」で北条義時の父・北条時政にキャスティングされていたことが、記憶に新しいと思います。
「鎌倉殿〜」の役も人情味ある物でしたが、今回はまた違う意味で、人情があり、死闘者は、一ノ瀬りんに、どう接していくのか楽しみにして言えるところです。
優しく見える他に、やり手の商売人、外交官の役割を果たしていた、というから、清水卯三郎は本当に努力家だったのだな、ということを私は感じました。

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