蔦屋重三郎とTSUTAYA関係あり?なし?蔦屋書店への影響は?蔦重キャンペーンとグッズ。

2025年、大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺」の主人公は、蔦屋重三郎です。

「蔦屋」とレンタルCD、DVDや本を扱う「TSUTAYA」が関係あるか?無関係か?、が今世間で通り沙汰されています。

事実はどうなのでしょう?

また現代では、TSUTAYAがどのように、新しいエンタメを展開していくか、それは蔦重の時代の取り組みと似ているのか、をみてみました。

蔦屋重三郎とTSUTAYAは無関係?

蔦屋と聞くと、TSUTAYAを連想する人がほとんどではないでしょうか?

ですが関係はありません。

いきなりの結論ですが、TSUTAYAの創業者は、蔦屋重三郎と血縁関係は全くありません。

TSUTAYAは、貸本、レンタルCD、DVDの店舗が全国にありまし、スターバックスコーヒーと提携して、コーヒーを飲みながら、本の立ち見(座ってみる?)を楽しめるのですから、

ある意味、現代の私たちに、本の楽しみ方を提供しています。そのあたりが蔦重の提供するコンテンツに似ています。

こんなに似た点があるのに、関係がない、というのが少し不思議に思えてきます。

蔦重重三郎、それでもTSUTAYAと関係ある?

店の名前がTSUTAYAでブックショップとなると、蔦屋重三郎の子孫かと見えそうですが。

子孫ではなく、創始者は 増田宗昭(ますだむねあき)と言い、増田の祖父は、遊女の置き屋の主人でした。

置き屋の屋号が「蔦屋」だったために、創始者は「TSUTAYA」とつけたのです。

繋がりとしては、増田の祖父は、蔦屋重三郎から発想を得てつけた、というところにあります。

他にも、置屋をしていたことも関係あるのでは、と思われます。

蔦屋重三郎の育った家も、遊郭に関した稼業でした。遊郭繋がりですね。

いえ、それだけでなく、新しい娯楽の発信を目指しているのが、TSUTAYAである、ということが伺えます。

つまり、血縁関係こそありませんが、全くの無関係ではない、と言っていいと思います。

TSUTAYA創業者、蔦屋重三郎を知らなかった?

創設者 増田宗昭 氏が受け継いでいた名前を、いつか使いたい、と思っていたため、始めた本屋を「蔦屋」にしたのですが、

創業者は当時は、蔦屋重三郎の名前を、知らなかった、とインタビューで答えています。

さらにインタビューで

<じつは「蔦屋書店 枚方店」をオープンした日に、『広辞苑』の「蔦屋」の項目が印字されたお祝いのファックスが届きました。このとき「ああ、こういうことか!」と思わず膝を打ち、祖父が蔦重のことを知っていて「蔦屋」と名づけたんだと勝手に解釈して、それ以来、蔦屋重三郎の「蔦屋」なんだよと言いはじめたわけです(笑)。>

増田宗昭 氏は、蔦重のことを調べ始めて、蔦重をよく知ることとなりました。

そして、祖父は蔦重のことを知っていて、名前を「蔦屋」にした、と想像することにしました、という話もありました。

それにTSUTAYAの登録ロゴは全く蔦に似ていませんね。

蔦重の耕書堂は、富士山らしき山がありその下に蔦の葉が描かれていました。

一方の、TSUTAYAは、テレビの中に二つの顔が重なって見え、上に電波らしきものが流れている、といういう図柄です。

TSUTAYAとして登録ロゴを作ったときに、蔦重の(耕書堂)の屋号のデザインを全く参考にしなかったところが、創業当時は蔦屋重三郎をあまりよく知らなかった証拠ですね。

その後、蔦重を調べた段階で、増田宗昭 氏は、蔦重にあやかって、自分も、現代のプロデューサーでありたい、と思い続けてTSUTAYAの経営を続けている、のだと思われます。

TSUTAYA初めての店は?

書店「蔦屋」としての日本での1号店は、大阪市枚方市(ひらかたし)「蔦屋書店 枚方店」として1883年3月にできました。

という時の書店は「〜屋」と屋がつくことが多かったというのが書店命名の理由でした。

TSUTAYAの創業者は 増田 なのですが、元は芸者の「置家」ということを書きましたが、それは副業で、本業は「増田組」という建築関係の仕事でした。

置き屋の方は、1958年にやめています。

その置き屋が、蔦屋の屋号があり、創業者もその孫の 増田 も「蔦屋」の屋号を愛着があった、

ということを、増田宗昭会長がインタビューで答えておられました。

それなのに、蔦重の耕書堂の図柄を、TSUTAYAに使わなかったのが、ちょっと残念です。

蔦屋重三郎、蔦屋書店に何か影響を?

TSUTAYAの創業者、増田宗昭さんのおじいさんの家の蔦屋の屋号の話だけでなく、増田宗昭さんご本人も、蔦重に習ったことが多い、とご自分で語っていらっしゃいました。

蔦屋重三郎は、江戸時代に、浮世絵、洒落本などの印刷物をたくさん出版し、江戸の町に快楽を届け、江戸中の人気の的となりました。

さらに新しい、作家や絵師、浮世絵師を発掘し、彼らの本や絵を自分の店「耕書堂」に取り込み、そこから彼らのキャリアをスタートさせました。

一方のTSUTAYAも、これまでにない書店づくりを提案してきました。

蔦重も、増田さんも娯楽を追求し、多くの人に楽しんでもらえるという精神で繋がっている、そう感じられます。

例えば、スタバなどのコーヒーショップを店内で開店させて、そこではコーヒーを片手に店内の本を読める、といったこれまでの本屋がしてこなかったシステムを作りだしました。

初めて、私たちがTSUTAYAを知った時は、DVDやCDのレンタル店でした。

ついでTSUTAYAは本のレンタルもやるようになりました。

今では、「蔦屋書店」となり、CD、DVD、本のレンタルだけでなく、これらの媒体の販売、またゲームそしてファッションも扱う、娯楽施設になりつつあります。

そのような、娯楽への提案の進歩性を目の当たりにしたから、TSUTAYAは蔦重の子孫ではないか、と私たちに思わせてしまうのです。

TSUTAYAが蔦屋重三郎のキャンペーン

2024年12月から蔦屋重三郎とコラボしたキャンペーンがありました。

それは展覧会ではなく、SNSに来場者の推しを書き込む、店頭では、一定以上の金額の買い物をするなどすれば、ポイントプレゼント、ということでした。

TSUTAYAからの、また新しいエンタティメントの魅力を発見するきっかけになりたい、と願ってのキャンペーンです。

特に、翌年 2025年でどんなことがブレイクするかの予想も募集していました。

今や新しい娯楽の形は、製作者側の提案だけでなく、その仕事に関係ない人からのつまり素人からの発信という形に移って来ています。

おそらく蔦重が現代にいたら、こうなっていただろう、ということを思わせるキャンペーンですね。

蔦屋重三郎をテーマにしたTSUTAYAグッズ

TSUTAYAでは、2025年大河ドラマ「べらぼう」を記念して、TSUTAYAが蔦屋重三郎をリスペクトした、オリジナルグッズを売り出します。

さすが、その名前をとった書店は、この蔦重ブームを逃さずにしっかり、自店の商品を売り出して来ました。

どんな商品かというと、江戸時代の柄の手拭い、グラスペイントで浮世絵を描いたお菓子缶。江戸時代をイメージした入浴剤、お香などがありちょっと欲しくなるものばかりです。

さすが、蔦屋重三郎の名前を抱いた書店、その名前をしっかり利用しています。

まとめ

蔦屋重三郎もTSUTAYAも、時代の先端に立って新しいエンタメを生み出していくような点が似ています。

蔦屋重三郎の場合は、政治の方針が変わることで、捕まり、苦しい時代を迎えます。

現代社会は、そのような困難な目にはあっていませんが(第二次大戦の終戦以降の話)、そのような規制を2度と受けることのないような社会であってほしいです。

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