2024年 NHK大河ドラマ「光る君へ」で藤原実資(ふじわらさねすけ)を演じるロバートの秋山竜次さんが好評です。
藤原実資は、今回のドラマの主要人物、藤原道長(ふじわらみちなが)と親戚同士です。
藤原実資は「小右記」という日記をつけていて、その内容は今日に当時の様子を知らせる大事な資料です。
その中には、面白いエピソードがたくさん出てきます。
小右記には、藤原実資の性格や人物像そして魅力が満載です。
一体どんな人物だったのか、ここで見ていきたいと思います。
藤原実資、少右記(しょうゆうき)を残す
藤原実資は、日記をまめにつけていました。その日記が「小右記」です。
藤原実資は約25年間つけ続けました。
小右というのは、藤原実資は、藤原家の小野宮(おのみや)家に属する家柄、右とは右大臣を務めたという意味です。
単なる日記ではなく、藤原道長や、藤原実資が生きた時代そのものを記録していた、と言っていいでしょう。
そして、小右記があるからこそ、紫式部が実在したと証明されているのです。
全部で60巻ほど、5,000以上の条があります。
当時の、出来事、それに関して、感じたことなどが非常に細かく書かれています。
例えば、ある儀式を行う人たちの所作を見て、「今時の人たちは、作法がなっとらん」とか・・・現代に見る、「イマドキの若いものは・・・」というグチのようなもの。
また、当時の不満を、和歌にするなどというところが現代の、サラリーマン川柳に似ているところもあります。
当時の、生活、風習がかなり細かく描かれており、良い参考書になっています。
今回の「光る君へ」のドラマ作りにも役立っています。
でも、分量がすごく多いので、全部読むのはしんどいと思います。
残念ながら、原本は残っておらず、鎌倉時代に書かれた写本しか残っていません。
写本するうちに、またはその後にでしょうか、失われてしまったものが数多く、元の3分の1しか残っていません。
藤原実資のエピソード
「小右記」に出てくる藤原実資のエピソードを、いくつか紹介しましょう。
どれも藤原実資の性質をとてもよく表しています。
屏風に入れる和歌作りを拒否
藤原道長の娘 彰子(しょうし)が、一条天皇のもとに嫁入りします。
天皇の元に嫁に行くことを、入内(じゅだい)と言います。
入内で得意満面の喜びでいるために、公家たちに娘への結婚祝いを頼みます。
どんなお祝いかというと、彰子の部屋への調度品に金屏風を送ろうということになりました。
屏風そのものはいいでしょう。その屏風に公家たちに和歌を書いてもらおうとしました。
今でいう、お祝いの寄せ書きみたいなものでしょうか?和歌なので、単なる寄せ書きよりはもっと拡張高いものではありますが。
公家たちは書きました、法王(引退した天皇、同じく天皇を引退した上皇よりもさらにくらいが上、つまり前の条項)も歌を詠みました。
ただ、藤原実資だけは、「そんなことは前例にない」と言って全く無視しました。
実資は前例というものに大変こだわる人でした。
権力者の依頼ごとを聞かなかったのだから、普通の公家なら位を下げられる、左遷されるなどあったかもしれませんが、それでもなんのお咎めのなかった、藤原実資って・・・
能力的には、藤原道長のような優れた面は見られなくても、藤原家内で、小さくなりつつある一派であっても、無視できない人間性があったのでしょう。
急死した人の場面で
これは、藤原実資、すごい!というエピソードです。
ある時、御所でおおやけの会食の際、蔵人(宮中で秘書的な事務仕事をする人)藤原高貞が、突如倒れ、急死してしまいました。
多分心臓発作、または脳溢血?でしょうか
そこにいた人たちは、「穢れ」をおそれて、全て逃げ出してしまいました。
平安時代は「穢れ」を非常に嫌いました。「穢れ」を祓うまで外出を控える習慣がありました。
「死」は最大級の穢れです。居合わせて人が全て逃げ出すのも当然です。
前例を大切にする、藤原実資も、逃げ出すかと思ったら・・・
下人(当時の身分の低い、下働きをする人々)を呼び、急いで一目に触れないようにして遺体を運び出させました。
何日かして、藤原実資の夢枕に、亡くなった藤原高貞が現れて涙ながらに礼を告げた、という話があります。
死者に出会うのは、穢れではあったのでしょうが、死んだ者を、位に応じたきちんとした弔いをすることのほうが、大切と思ったのでしょう。
ここ、平安時代の怪談風で、ちょっと怖いです。
和歌「望月の歌」
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の かけたることもなしとおもへば」
藤原道長の有名な和歌です。
この歌に関しても、「小右記」に書かれています。
世の中は全て自分が思う通りになった。あの満月が欠けることがないように、これからも自分の望むことはなんでもかなうのだ。
という意味の、すごく自分のこの世の成功を喜んで誇示するような歌です。
この歌を詠んだのは、自分の三女が後一条天皇の皇后になった時です。ちょうど10月16日、というから、満月だったのでしょう。
道長は、この歌を即興で詠み返歌を求めました。
しかしここで、藤原実資はこう言いました。
「和歌がとても素晴らしいので、返歌はとても作れません。皆でこの歌を味わいましょう。ではみなさんと一緒にこの曲を唱和しましょう」
と言って一斉に、口ずさんだということです。
ちょっと異様な風景が想像されますが、この様子を見た道長は、非常に気をよくして、返歌がなくても怒らなかった、という話でした。
藤原実資のちょっとヒョーキンな一面を見た感じです。
案外、持ち上げ上手の実資だったりして。
藤原実資、秋山竜次が好演!!
2024年、NHK大河ドラマ「光る君へ」で、藤原実資にキャスティングされたのは、お笑い芸人の
トリオ ロバートの 秋山竜次。
秋山さんの日頃の活躍をテレビで見ていると、「お公家さん?」のイメージがあまり沸かず、ちょっと笑いを堪えそうになりますが・・・
パロディっぽいお公家さんのイメージですが・・・ふたを開けてみればなんと、適役ではありませんか。
NHKの、登場人物紹介のところから引用しますが、
藤原小野宮流の当主。道長の先輩格で有職故実(ゆうそくこじつ/政治や儀式のしきたり)に詳しく学識がある。正義と筋道を重んじると同時に、プライドが高い頑固者でもある。道長にとっては尊敬しつつも煙たい存在。
全身真面目さのかたまり、それがよく表現されています。
のちに、女好きな一面が・・・なんて性格もあります。ここ、うまく演じてくださる感じがします。
大河ドラマ「光る君へ」の中で、緊張を解きほぐしてくれる人物になりそうです。
そういう役には、お笑い芸人というのが合っている気がします。
公家風の衣装もよく似合っています。
むしろ、平安時代の絵巻物に出てくる、藤原道長の姿によく似て見えるのは、気のせいでしょうか?
難点を挙げるとすれば、色黒のところでしょうか?
平安貴族は、もっと顔色が白っぽかったと思います。
藤原実資と藤原道長は良好な関係
藤原実資は、藤原道長のことを、横暴な政治家と思っていたような気がするのですが、実はそうでなく、むしろ、道長のことを高く評価していました。
時にはおかしいと、思うこともあったようですが・・・
藤原実資と藤原道長は、血縁的にはまた従兄弟の関係になります。
つまり、祖父同士が兄弟だったのです。どちらも藤原北家です。
道長の家系が「九条家」、藤原実資の家系が「小野宮家」という流れで、元はと言えば、「小野宮家」のほうが本家に当たります。
しかし、勢力は道長一家の方が大きくなって、いつしかこちらの方が本家となっていました。
年齢は実資の方が道長より9歳上です。
ですから、藤原道長は、地位が上になったとはいえ、藤原実資に遠慮しているところもあり、また、実資の、豊富な知識を頼りにしているところもありました。
藤原道長は、ただ権力を振りかざすだけの、横暴な政治家ではなかったということです。
朝廷の政治を円滑に進めるために利用できるものは利用する、これが藤原道長でした。
藤原実資は、道長に向かって、直接に批判できた人物です。
批判すると同時に道長の能力をしっかりと認めてもいました。
それに、藤原実資は、筋を通した考え方をする人なので、賄賂などでなびく人では、ありませんでした。
反対の見方をすると、藤原実資がいたからこそ、道長は偉大な政治家として後世に名を残したのではないか、と思えるのです。
藤原実資は長生き!
藤原実資は、957年〜1046年、というのですから90歳の生涯です。
妻となった、女性は4人いるとされますが、どの女性も皆早死にでした。
うち一人は、天皇の血筋をひき、花山天皇の女御(妃の位、結構高い)だった婉子女王(えんこじょうおう)です。
女王という位は、西洋のエリザベス女王のような女性の王を意味するのではなく、天皇家に関係ある家に生まれた娘という意味です。
直接の娘は、内親王ですが、それほど天皇との血筋は近くない場合は女王となります。
その女王とは、花山天皇の出家後、他の男性と競争して愛を勝ち得た女性です。
結婚した時は、藤原実資よりも15歳ほど若い妻でしたが、結婚生活は5年ほどで、27歳で亡くなりました。
妻は4人と言いましたが、実は藤原実資さんは、なかなかの女好きで、身分の低い女性にもいっぱい手を出していたようです。
藤原実資は自分の財産は、ほとんど娘の千古(ちふる)に残しました。
他の子には、ほとんど残していません。
千古は、道長の孫の元に嫁に行ったため、実資の財産は死後、みんな道長一族に取られてしまったことになります。
千古の早死にしたので、その財産が千古の子供にも渡ったのなら少しは救われたのかな?
藤原実資の娘
かぐや姫
藤原実資が「かぐや姫」と呼んだのは、娘の千古(ちふる)のことです。
母親の名前はわかっていませんが、早死にした妻、婉子女王の侍女(当時は女房、と言いました)だと言われています。
藤原実資の晩年に生まれた娘です。
藤原実資には、子供が多くはいません。妻は4人持ちましたが、みんな早死にしてしまいました。
息子がいましたが、母親の身分が低かったことで、出家しています。
千古の意味は1000年も、長生きしてほしいと父の祈りを込めてつけられ、呼ぶ時も「かぐや姫」と呼んで可愛がっていました。
「かぐや姫」とは竹取物語に出てくる、とても美しい主人公です。
本当にそれほど美しかったかは分かりませんが、親というものは自分の子供が可愛いもの、
それも歳をとってからできた子供は一段と可愛いものでしょう。
そんなに可愛いのだから、入内させたかったのですが、藤原道長一家に妨害されてかないませんでした。
結局は藤原道長の孫、藤原兼頼(かねより)の元に嫁に行きます。
父 藤原実資が長生きを願って「千古」とつけた娘ですが、それでもやっぱり父より先に亡くなってしまいます。
こういうところ、藤原実資は可哀想な人だったのです。
もう一人の娘
藤原実資は子煩悩なのでしょう。
千古の前にも、娘が一人いて、その子は7歳になるかならない頃に亡くなりました。
この時の藤原実資は、悲嘆に暮れました。もののたとえですが、血の涙を流した、と表現されていました。
なくなった娘の葬儀をしなければならないと思った藤原実資は陰陽師相談したところ、
7才までの子供は、完全のこの世のものになったわけではないので、早く生まれ変わることができるように葬儀は簡素にすべき・・
というアドバイスを受けました。
そこで、亡くなった娘にそれほど贅沢ではない着物を着せ、袋に入れて納棺、そして棺を山中に置いてきました。
ですが、やはり、こんな葬り方は嫌だ・・・と思い直して翌朝、思いかえして棺を拾いに行くと、すでに遺体は亡くなっていました。
野生動物の被害にあった様子はないので、おそらく盗まれたのでしょう。
現代では考えられませんが、人間の臓器は薬に使われることがあったので、臓器目当ての盗難のようでした。
これを見て、また藤原実資は嘆き悲しんだ、のです。
平安時代には、幼児の死亡は珍しくなかったと言っても、自分の子供が死ぬ、というのは昔も今の同じ人間の苦しみです。
もらい泣きしそうなエピソードでした。
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