新春早々「イザボー」というミュージカルが始まります。
元宝塚トップスター 望海風斗さん主演です。
イザボーはイザボー・ド・バヴィエールという名前で、フランス王妃でしたが、悪女として名高い人物です。
悪女からイザボーという名前が生まれました。
一体どういうところが「悪女」だったのでしょうか?
人生を見てみると、中世ヨーロッパという窮屈な時代にここまで、悪女ぶりを見せつけてくれる女性に、気持ちの良ささえ感じてしまいます。
ここでは、イザボーの悪行を取り上げてみたいと思います。
イザボー、名前の由来
まず、「イザボー」という名前、ちょっと変わっていると思いませんか?
イザベルならわかるけど・・・・
発音で「イザベル」が「イザボー」に聞こえる、とか・・・?フランスでは、イザボーというのだろうか?それとも故国のドイツではイザボーというのだろうか?
という疑問が湧きますが・・・そうではない理由があるのです。
イザボーの名前は、フランス王妃としての行動がよろしくなかったなめ、蔑称(蔑む意味)として、「イザボー」と呼ばれるようになったのでした。
イザボーの「ボー」は「beau」で「belle」の男性形を使っているのでは、と言われています。
belleは美女の意味。
それを男性形にした、というのは、男性関係が派手な王妃だったことを表し軽蔑しているのです。
そして、他のイザベルという名前を持つ人たちと区別するために、イザボー と呼んでいます。
イザボーには、フランス王 シャルル6世との間に「イザベル」という名前の王女がいます。
イザボーは「血まみれの中世王妃」と呼ばれて
イザボーという名の王妃?
この女性はフランス史上、一番人気がない、というか悪名高いフランス王妃です。
1370年〜1435年の65歳の生涯を送った女性です。
生まれた国は、ドイツ バイエルン。家名はヴィステルバッハ家。
ヴィステルバッハといえば、現代で大人気のミュージカル「エリザベート」の故郷です。
バヴィエールはバイエルンのフランス語読みです。
そう、イザボーは、エリザベートの遠い先祖に当たります。
元の名は「エリザベート・ド・バイエルン」
時代背景はちょうど、イギリスとフランスの100年戦争真っ最中、中世時代の人物です。
12人もの子供を産んだ、というから、フランス王家のためには大変喜ばしいことのような気がしますが、単純に喜んでいいものではなさそうです。
イザボーが産んだ子は男子6名、女子6名・・・なかなかのものですが、男子は一人を除いて全員幼い頃亡くなりました。
中世という時代を考えると、子供の早死には珍しいことではないのですが、子供が次々死んでいくのを目にするのは、親として悲しいことに違いありません。
11番目の子供、5人目の男子こそが、シャルル7世・・・ジャンヌ・ダルクと共に活躍する王です。
娘たちは皆成長し、次女と7女はイングランド王と結婚しました。
7女カトリーヌは、イギリス王ヘンリー5世と結婚し、男子を産みます。
その子供がフランス王の血を引いているため、フランスは王位をイギリスに渡さなければなりませんでした
「血まみれの中世王妃・・・」と言われる理由
「血まみれの中世王妃 イザボー・ド・バヴィエール」という 桐生操(きりゅうみさお)の書物から、イザボー・ド・バヴィエールと「血まみれ・・」が結びついたといえます。
イザボーの夫シャルル6世の発病
イザボー・ド・バヴィエールを描写するにはまずその結婚の話から始めなければなりません。
王は精神の病にかかりましたから、王妃がどうにかしなければ、と思ったのでしょう。
あるいは、王の意識が正常ではないから自分が好きなように振る舞える、王の代わりも務まる、と思ったのかもしれません。
しかしせっかく、フランス王シャルル6世のもとに嫁に来たというのに、夫のシャルル6世は精神に異常を抱えていた王様でした。
生まれた時から症状が出ていたのではなく、1392年、王が20歳をすぎて、突如の発症です。
戦争に行く途中、ル・マン(現在、カーレースで中名な地)の森で、みすぼらしい老人が王に向かって「すぐに戻れ、これ以上進めばあなたは裏切りに会う」とわめきました。
最初は気にせず進んだ王でしたが、おつきのものの一人が手に持っていた、槍を取り落として大きな音を立てると、王は恐れおののき、暴れ出しました。
王の家来が、一生懸命王を取り押さえましたが、それを王への攻撃と勘違いして王はますます暴れ、ついに昏睡状態に至りました。
この時がきっかけです。
ここで、王の部下の何名かが、暴れた王によって命を落としました。
この事件以降、王には上記を逸した行動が見え始めてきます。
自分が何者か認識できなくなったり、周りの者がわからなくなり、入浴を拒む、狂乱状態で、城の廊下を駆け回る、などの行動をとります。
もちろん妻もわかりません。
王は自分の身体が壊れるのではないかと耐えず心配していました。
そこから、王の症状は、ガラス妄想、と言われていました。
中世では、ガラス妄想という病名が当てられていましたが、現代ではメランコリーの一種で、裕福で高度の教育を受けたものだけがかかる症状と、考えられています。
イザボー、素行不良
夫の精神状態が、正常でない・・・となると、王妃イザボーが気の毒・・・と思われるのですが、イザボーは、しおらしく辛抱する女性でありませんでした。
ここから「血まみれ・・・」の王妃が少しずつ現れ始めます。
イザボーはまず、王の弟シャルルと不倫の関係を持ちます。
イザボーと夫、シャルル6世の間に子供が12人いたのですが、シャルルが精神に病気を持つようになってからも、子供を産んでいたことに、世間は疑問を持ちました。
シャルルは、一年のうち何ヶ月も意識不明になっていました。
そうするとイザボーがそんなに子沢山だったことがおかしく思えてきます。
イザボーと王弟ルイの関係があるから、ジャンヌ・ダルクと王太子シャルル(後のシャルル7世)は兄妹、だったのでは・・・という噂があるのです。
イザボーは、国の財務係を自分の言うことを聞く人に関わらせ、贅沢三昧。
高価なドレス、宝石などに国の財産を使いまくりました。
この散財は、フランスの歴史資料に残されています。
フランス史上の、悪女はマリー・アントワネットなどと、言われてましたが、イザボーの悪行を見るとマリー・アントワネットが可愛らしく思えるほどです。
二つの勢力の対立
フランス王シャルル6世が、まともに政務を取れないとなると、フランス国内では、いくつかの勢力が現れて、不穏な状態になります。
そこで2つの勢力が出来、対立していました。
1つは、王の弟ルイ、イザボーの恋人であります。もう1つは、王シャルルとルイの叔父フィリップ(ブルゴーニュ公)。
国王の病気と二つの勢力の対立、その隙をイギリスにつけ込まれました。
イギリスに付け入る隙を与えるきっかけとなったのが、イザボーだったので、フランスで憎まれる原因の一つになります。
イザボーはルイの方に味方すると思われるでしょうが、イザボーはずるい人物で、贅沢さえできれば、どちらについても良い、と言う感じでいました。
言ってみれば、イザボーは日和見主義?なのでしょう。
そんなかで、イザボーの恋人 ルイが真昼間、パリのど真ん中で惨殺されたのでした。
頭をマサカリで切り付けられる、と言う非常に凄惨な事件。
犯人は、叔父 フィリップ息子 ジャン(ブルゴーニュ派)でした。
イザボーはこれまで頼りにしてきた、ルイがいなくなったことで、今度はブルゴーニュ派に擦り寄っていきます。
本当に節操のない人ということで、フランス国民からはやっぱり嫌われています。
もう一つの殺人事件
またまた血生臭い話が起こります。
今度は、ブルゴーニュ側のジャンが、殺されます。
またまた、マサカリで頭をかち割れれて殺される事件です。
以前のルイ撲殺事件から10年後、フランスのモントローという場所です。
二つの勢力の話し合いのために、両派が集まったのですが、またまた悲劇に終わりました。
両方の人物に関わったのがイザボーだったのですから、イザボーは「血まみれの中世王妃」なんて、呼ばれてしまうのです。
イザボー王妃は活躍する?
イザボー、ことイザボー・ド・バヴィエールは、贅沢三昧、不倫に走るなどと、王妃としては全くいいところがありません。
ただし、王が狂気であるとなると、気の毒な運の悪い王妃と多少は同情したくなります。
歴史を見てみると、王の不貞行為は許されるのですが、王妃の場合は全く許されず、そこが理不尽の気がします。
フランス王妃、イザボーの時代は、100年戦争の真っ最中でした。
フランス国内が分裂しそうな気配を狙ってイギリスが攻めてきました。
時のイギリス王はヘンリー5世。ヘンリー5世は、1415年アジンコートの戦いで勝利し、フランスと和平条約を結びます。
その時の契約の一つが、フランスの王女とヘンリー5世の結婚でした。
イザボーも、会談に出席して、縁談の手伝いをします。
ヘンリー5世とキャサリン王女についてはこちらを参照してください。
シャルル6世は亡くなり、イギリスとフランスは再び戦争になります。
今度はジャンヌ・ダルクの活躍で、シャルル6世の息子がシャルル7世として正式にフランス王になります。
ジャンヌ・ダルクによる、オルレアン解放、シャルル7世の戴冠、ジャンヌ・ダルクが裁判になり処刑・・・この全ての事件が、イザボーの在命中に起こります。
大事件が次々と起こる中、イザボーは何も知らずに、自分の居城で遊び呆けていました。
イザボーがいた城は、パリにあったのですが、シャルル7世もパリに来たのに、気が付かなかったのでしょうか?
イザボーの息子シャルル7世
シャルル6世の次の王はフランス王はシャルル7世なのですが、シャルル6世が死んですぐには王位につけませんでした。
シャルル6世の死後、血縁にあたるイギリス王が王位を要求したからなのですが、もう一つの理由は、シャルルが、狂王シャルル6世の子供ではないかもしれない、という噂からでした。
イザボーは自由奔放な女性で、王以外の人物を恋人にしていました。
DNA検査などない14世紀、どちらの子であるかの決定的な証拠がありません。
実際に、シャルル7世自身も、実際はどうなのか、悩みました。
しかし、妻や、妻の実家からは、王の子であるに違いない、と太鼓判を押されていました。
もっとも、妻は夫の正統性を信じないことには王妃になれませんから、信じている、と言わないわけにはいきませんね。
そして、ジャンヌ・ダルクと初めてあった時の、出来事。
王太子シャルルの顔を知らない、ジャンヌ・ダルクが、フランス王、と認めたこと、これが決め手です。
本当なら、シャルル7世はジャンヌ・ダルクに頭が上がらないはずなのですけれどね。
だからこそ、シャルル7世はジャンヌ・ダルク復権裁判に力を貸したのでしょうね。
この内容についてはシャルル7世とジャンヌ・ダルクの関係を書いた記事をご参照ください。
イザボー役、望海風斗
壮烈な悪女、イザボー・・・・
ミュージカルで、イザボーを演じるのが、望海風斗(のぞみふうと)。
元宝塚雪組のトップスターでした。
役の性格は、獣のように貪欲に生き、敵を容赦しない烈女。
国を滅ぼそうとも、とことん自分らしさを追求する女性・・・・彼女の究極の望みは幸せになること。
ではイザボーの幸せとは一体、何だったのでしょう。
狂気となった、夫の元で生きる、いや生きなければならない状況をどのようにうち破ったか?
時代にどのように逆らったか?
これは王妃であることを離れた、一人の女性の生き様を、私たちは見るのです。
宝塚の男役だったからこそできる、凄まじさ、迫力が楽しみです。
単なる悪女だけでは、終わらないと思います。
見終わった後、痛快さを感じるような気がします。
イザボーのあらすじ
この芝居は、シャルル7世が、義理の母、ヨランド・ダラゴンと共に、イザボーの生涯をたどっていくところから始まります。
なぜ ヨランド・ダラゴンかというとシャルル7世の妻の母であり、ヨランド本人がかなりの正義感の強い女性だったから、シャルル7世たち、宮廷人から信頼を寄せら得ていたからです。
乱れ切った宮廷の様子に一石を投じ、正常に戻そうと考えていた高潔な女性です。
シャルルとヨランドが見ていく、イザボーの道は・・・
バイエルンの王女として生まれた、イザボーがフランス王妃となり、国王シャルル6世との仲は良好だった。
しかし、ある事件がきっかけで、シャルル6世は狂気に陥り、イザボーは自由気ままに振るまう。
不貞をすることから、不貞相手が権力を持つようになり・・・
もさらに、自分の欲望のみに生き続ける、イザボーの姿を描き出す。そんなドラマです。
「イザボー」ミュージカル
実は、このミュージカルは日本で作られた芝居です。
作、演出を手がけた末光健一(すえみつけんいち)はジャンヌ・ダルクの芝居を書こうとした時に、王妃 イザボーを発見したのです。
その時、イザボーに単なる悪女以上の魅力を感じた、と言いいます。
そして世界に発信していきたいミュージカル、と言っていました。
ミュージカルを構成する音楽は、ロックベースのもの。
配役は、望海風斗の他に
上原理生(シャルル6世)、上川一哉(ルイ)、中河内雅貴(ジャン)、
シャルル7世(甲斐翔真)、ヨランド・ダラゴン(那須凛)
上演時間は、休憩を入れて3時間の予定です。
開演前に特別な演出が用意されているとか。
早めに劇場にいくといいかと思います。
東京公演は1月15日〜30日 Brillia Hall
大阪公演は2月8日〜11日 オリックス劇場
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