漫画に、アニメに大人気の「鬼滅の刃」が映画で、その最終章を描き出しているところです。
物語の敵役は、鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)という名を持つ鬼です。
鬼舞辻無惨は、なぜ鬼なのか?モデルはいるのか?
日本古来から恐れられている、鬼を「鬼滅の刃」の鬼舞辻無惨を通して調べました。
鬼舞辻無惨のモデルは?
鬼舞辻無惨は「鬼」である。
「鬼」は架空の妖怪ではありますが、人々は古来より「鬼」恐れています。
なぜ怖いのか?それは人を喰うからです。
鬼舞辻無惨のモデルに一番近いとみなされているのが、酒呑童子(しゅてんどうじ)です。
もう1人、平将門(たいらのまさかど)もモデルのと考えられます。
「鬼滅の刃」の作者は、鬼舞辻無惨のモデルをはっきりとは言っていませんので、推測あるのみです。
鬼舞辻無惨のモデル、平将門か?
それは 平将門が怨霊となった、という伝説から来ています。
怨霊となり、世を呪った、ということです。
鬼舞辻無惨も平将門も平安時代の生まれ、というところからも、モデルなのでは?という推測が生まれました。
また、どちらも藤が苦手、というところも共通点として挙げられます。
平将門を討ち取った武将が、藤原秀郷(ふじわらひでさと)、またの名を俵藤太(たわらのとおた)という人物でした。
平将門にとって、藤は天敵です。
鬼舞辻無惨が藤を嫌うのは、藤の花の成分に弱く、鬼の力を弱めるものだからです。
また、反対に鬼舞辻無惨のモデルは、平将門ではない、とみているファンもいます。
その理由として、鬼舞辻無惨と平将門の性格の違い、が挙げられます。
平将門は反乱を起こして、破れて処刑されたことで恨みが生まれるのですが、その反乱を起こした理由が、将門の領民が、重税に苦しんでいることに心を痛めて挙兵したことに始まります。
対する鬼舞辻無惨は、自分の身体の弱さ、健康に苦しに、人を世を恨むようになりました。
平将門が、正義を求めた結果、怨霊になり、鬼舞辻無惨は自分のために鬼になった、という鬼になる動機が違っている、ところからです。
なお、「鬼滅の刃」では平将門の首塚の下に、鬼の本拠地「無限城」が作られている、という設定です。
平将門が鬼舞辻無惨のモデル、という説はここからきています。
参考までに平将門の物語を軽く載せておきます。
平将門の伝説
将門は10世紀初め頃の関東の武士でしたが、朝廷の圧政に苦しむ領民を見て、反乱を起こし新皇を何乗るまでになります。 それでもついに朝廷の討伐軍に敗れ、首を刎ねられ、首は京都で晒されます。 しかしその首は死んでおらず、目はらんらんと光、みる人に恐怖を与えました。 その首は関東地方にまで飛んでいったのですが、力尽きて、東京大手町あたりで落ちてしまいました。 そこには現在、平将門の首塚が建てられています。 一方関東に残された体は、首が飛んできた時、合体しようと思い走っていったのですが、それは神田あたりで、力尽きて倒れた、ということです。 そこで倒れた場所は、「からだ」という言葉が変化していって、「神田」になった、という言い伝えです。 体が倒れたところが、「神田明神」というわけです。 |
鬼舞辻無惨のモデルは、酒呑童子か?
酒呑童子は、鬼としては強く、鬼の頭領で、酒好きなため、酒呑童子という「酒」を使った文字の名前を持つ、という言い伝えです。
京都北部の兵庫県と接する地域にある、大江山あたりを棲家にしていました。
『大江山絵詞』(おおえやまえことば)という絵巻物があり、作られたのは室町ごろですが、物語の内容は、平安時代中期に差し掛かる頃、995年ごろと読み取れます。
酒呑童子の、存在を発見したのは、安倍晴明(あべのせいめい)、2024年 大河ドラマ「光る君へ」にも登場しました。
「光る君へ」の安倍晴明は、「陰陽師」の時ほど活躍はせす、道長に忖度する一官僚でいました。
酒呑童子は、部下も茨木童子(いばらきどうじ)という鬼で、手下の鬼を使って悪行のやり放題でした。
若者や美しい姫をさらうこと。さらって、奴隷にしたり、食べてしまったり、とひどい行いをしていました。
確かに、平将門より酒呑童子の方が、鬼舞辻無惨に近い気がします。
しかし、鬼舞辻無惨というより、美しい娘を食べたりする行動は、無惨の手下 童磨(どうま)のほうが似ているのでは?
酒呑童子は、最後は、帝からの討伐隊 源頼光(みなもとのよりみつ、または らいこう)によって、討ち取られます。
そのうち取られ方、は一筋縄ではいかず、首をとってもその生首は、まだ、頼光に食いつこうとしていた、とあります。
酒呑童子の、最後を賭けた源頼光との死闘、鬼舞辻無惨と鬼殺隊の最後を、思い出させます。
ついいう血とられた酒呑童子の首は、宇治の平等院 宝蔵に納められている、という伝説です。
鬼舞辻無惨、血を与え仲間を増やす?
これって、西洋の伝説、ドラキュラに似ていませんか?
鬼舞辻無惨は、自分の血を与えることで、人を鬼に変え、仲間を増やしていく、というのが、原作の設定です。
主人公、竈門炭治郎(かまどたんじろう)の妹 禰豆子(ねずこ)も鬼の血が体内にはいることで、鬼になりました。
これまで伝説の鬼は、鬼の血を飲むことで、人が鬼になる、という話はありません。
そういえば、ドラキュラを日本語ていうと、吸血鬼、鬼ですね。
それに、太陽の光に弱い、これもドラキュラによく似ています。
しかし、ドラキュラの場合は、生身の人間が血を吸われた時に、吸血鬼となる。与える、とはちょっと違います。
血を与えることで、吸血鬼になるのは、萩尾望都 作の漫画「ポーの一族」です。
こちらも血を与えて、仲間を増やすことで、永遠の時を生きる、設定です。
しかし「ポーの一族」は、永遠を生きなければならない哀しさが描かれているので、鬼舞辻無惨のモデルにはなりません。
あるとすれば、血を受け継ぐ、永遠に生きる、鬼 がつく名前、これらの設定だけにすぎません。
鬼舞辻無惨のモデルが、誰なのか?
これは1人ではなく、複数の人物が持つ様子が少しずつ集まって、鬼舞辻無惨を作り上げたのだと思います。
鬼舞辻無惨、なぜ鬼になった?
病弱な鬼舞辻無惨を治療していた医者が、作った薬の副作用で鬼舞辻無惨は鬼となった。
いえ、鬼という姿になったのは、ほんの一つのきっかけだったような気がします。
鬼舞辻無惨は、薬で鬼となった?
実は、鬼舞辻無惨は、ずっと心の中に鬼をひそませていたのでは、と思われるところがあります。
かっとなって医師を殺してしまったところがそうです。
鬼舞辻無惨は幼少の頃から、身体が弱く、医師がいろいろ手を尽くして、薬を調合していました。
が、一向に良くなってこない状態に、ついに鬼舞辻無惨は、医師を殺してしまうのです。
しかし、医師の調合した薬は実は効力があって、それが分かったのは医師が死んだのちのことでした。
鬼舞辻無惨の身体能力はすぐに上がったのですが、日の光の下では生きていけないことがわかったのです。
医師は、薬の調合に青い彼岸花を使っていたことが判明しました。
まだ未完成だったその薬、青い彼岸花をさらに使えば、太陽の光の下でも平気になる、そう鬼舞辻無惨は考えました。
青い彼岸花を探すことが、鬼舞辻無惨のライフワークになったのでした。
しかし、1人で青い彼岸花を探す旅、なんて生やさしいものではありませんでした。
途中、多くの人を襲い、1000年かけて、多くの人を鬼にして、生きてきました。
鬼舞辻無惨は、こうして心身ともに本物の鬼になってしまいました。
鬼になって、人を殺し、鬼にすることをなんとも思わなくなっていったのです。
このように「鬼」の仲間を増やす、ということを自分で憎んだり、良心の呵責に耐えられなくなった、ということではなさそうです。
鬼舞辻無惨は、その残虐性をかなり早いうちから出していた、いや、人間である時から、心のうちはすでに鬼だったのかもしれませんね。
鬼舞辻無惨は、鬼になる運命だった?
鬼舞辻無惨の性格だけではありません。
生まれながらにして、人から忌み嫌われる存在だったのです。
確かに病弱、ということもありますが、実は、生まれる前から、母の胎内にいた時から、何度も心臓が止まり、ほとんど死産で生まれました。
しかし、生まれた赤子(無惨)が火葬されようとする寸前に産声を上げたのでした。
さて、時は平安時代、昨年の「光る君へ」でもありましたように、人の死は、穢れ(ケガレ)なのです。
穢れは非常に嫌われました。
死の穢れだけではなく、死からよみがえってきました。
これはもう平安時代の人々にとって、穢れ以上の忌まわしさを感じさせる出来事でした。
もはや、鬼舞辻無惨は、生まれながらの化け物扱いをされる以外の道はありませんでした。
鬼舞辻無惨、藤の花が苦手?
「鬼滅の刃」には、鬼が藤の花を嫌う場面が多く出てきます。
藤には、鬼よけの効力があるのでしょうか?
鬼舞辻無惨は、藤の香りが苦手だった?
藤の花そのものに、魔除けの効果はそれほどありません。特に香りについては魔除けになる、という話はありません。
鬼舞辻無惨は、「藤」が持つイメージに怯えていました。
「ふじ」の負のイメージに苦しめられていた、といえます。
「藤」の読み方「ふじ」の音が「不死」につながり、縁起のいい名前とされています。
漢字は違いますが、「フジ」の読みは「富士山」の「ふじ」、そして、二つとないを意味する「不二」、死なないを意味する「不死」にもつながり、これまた縁起良さが現れています。
しかし「不治」という感じを当てはめることもでき、これは「不治の病」につながります。
そうすると、これは悪いイメージになります。
鬼舞辻無惨の場合、治ることのない病気に冒されていたので、「ふじ」は忌むべきことでした。
鬼舞辻無惨は、藤原氏が嫌い?
鬼舞辻無惨が平将門をモデルにしていたら、藤を嫌う、理由は、藤原秀郷が自分を討ったから、「藤」のつく名前を嫌っているのです。
東京の神田明神は、平将門を祀っていますが、そこへは、名前に「藤」を持つ人は、あまり参拝しない方がいい、という言い伝えがあります。
そのあたりは、平将門と鬼舞辻無惨が、藤嫌いということで共通点があるように思えます。
藤原には、もう一つあり、鬼舞辻無惨が平安貴族、藤原氏の家系に生まれたから。
「鬼滅の刃」の作者は明かしてはいませんが、平安時代で、大貴族というとどうしても、藤原氏が連想されます。特に「藤」というと藤原氏ですね。
生まれてからの、藤原家での生活が最悪なものだったから、という理由です。
藤原氏という家が、鬼舞辻無惨を病弱な形で産まれさせたからです。
鬼舞辻無惨の病気は、藤原氏の中にいて、そこでは助けてくれるどころか、穢れもののような扱いを受けてきたからです。
藤の花を鬼舞辻無惨が嫌うのは、その毒性よりも精神的なものにあるようです。
鬼舞辻無惨だけでなく、「鬼滅の刃」ではその他の鬼たちも、藤の花を嫌って寄りつきません。
それは鬼たちが、鬼舞辻無惨の血を分け与えられて鬼になったから、ということですね。
鬼舞辻無惨と、産屋敷との関係は?
鬼舞辻無惨は、鬼殺隊の当主 産屋敷耀哉と同じ一族の出身ということが、「鬼滅の刃」の中で、産屋敷耀哉の口から語られました。
君と私は同じ血筋なんだよ 君が生まれたのは千年以上前のことだろうから 私と君の血はもう近くないけれど
となると、産屋敷家も藤原氏の生まれなのか?という疑問が出てきますが、「鬼滅の刃」には、同じ一族のあたりが、描かれていません。
鬼舞辻無惨は、産屋敷と同じ血族である、ということを知りませんでした。
名字を見てみると、一方は「産屋敷」、もう1人は「鬼舞辻」と全く違う。
「鬼舞辻」の場合は、鬼となってから、自分でつけた名前のようですが。
「鬼滅の刃」での話によると、産屋敷家の中から、鬼舞辻無惨という鬼を生み出したから、産屋敷家は呪われたのだ、という。
呪い、とは、産屋敷家の男子は、早死にする、というのです。
作品中で、鬼舞辻無惨は、「鬼になった本人(鬼舞辻無惨)には呪いがかかっていない」と言っていおり、矛盾が見られます。
本当なら、呪いを受ける人は、鬼舞辻無惨本人でなければならないはずです。
ところが、産屋敷家が、罰の形として呪いを受けなければならないということは、理不尽に思えます。
それとも、鬼舞辻無惨が生まれ、生活をしていく中で、忌むものとして扱った結果、鬼舞辻無惨の心根が歪んでしまったことへの罰と取ることもできますね。
鬼舞辻無惨は、かわいそう?
鬼舞辻無惨の身の上を考えると「かわいそう」に見えます。
しかしその、やったことを考えると、とても「かわいそう」な人物には見えません。
たった1人で1000年間も孤独に生き続けてきた、これ自体はかわいそうなことです。
しかも、治療の副作用で鬼、となってしまったら辛い、以外の何物でもないですね。
平安時代は、鬼、といえば非常に忌まわしい存在でしたから、人々に追われ成敗されることになります。
自分に危害を加える相手を排除するのは、当然のことと思います。
仲間が欲しくなって、人間を鬼に引き抜いて、鬼の仲間としたというのなら気持ちはわかりますが、手下とした使っているので、全く同情心が湧きません。
しかも、手下の1人、猗窩座にはひどい暴力までふるっている、このどこにも同情はできません。
まとめ
「鬼」というものが、身近にいるのでは?と思わせて、私たちにゾッとする思いを起こさせる、そんな、漫画、アニメが「鬼滅の刃」です。
ドラマ、映画では、悪役にはある程度、同情される余地を残していることが多いのですが。
同情される要素というのは、生い立ちに苦しみがあった、成長する過程でも苦しめられることが多かった。
そこで、心が荒み、悪役となる、というのですが、鬼舞辻無惨からは全くそれが感じられません。
最初の病気の箇所だけが、多少哀れみを感じさせるところでしたが、それ以降は全く。
それこそまさに鬼、と思える人物でした。
鬼の恐怖が大正時代によみがえった、というストーリーは、大正ロマネスクの中の、一つの耽美的要素を盛り上げている、という感じがします。
まさに、恐ろしさと美しさが共存するような世界です。
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