安倍晴明、「光る君へ」のギャップ?陰陽師への道は火事?イケメン?道長、花山天皇との関わり ライバル蘆屋道満 妻は 最期は

安倍晴明「光る君へ」に出ていますね。

大河ドラマを見て、安倍晴明も、紫式部藤原道長と同時代だったのですね。

安倍晴明は、これまで見てきた映画、小説では、悪霊を次々やっつける正義のスーパーヒーローそして、風流人というイメージでした。

ですが、「光る君へ」ではちょっと期待はずれ?

それでも将来は活躍してほしい、という願いはあります。

今は、力あるものに逆らえない(?)安倍晴明ですが、一体どのように立身出世していったのかをここで見ていきましょう。

安倍晴明、「光る君へ」では

日本史上、有名な陰陽師 安倍晴明(あべのせいめい)は、紫式部(むらさきしきぶ)や藤原道長と同時代の人物です。

しかし「光る君」では、2024年1月、登場したあたり、全くカッコよくない。

平安時代は、占いが非常に重要にみられていた時代です。

天皇や大貴族といったエラい人たちも、陰陽師の助言によって動いていました。

ここでは、あべのはるあきら、と呼ばれていました

夜勤上がりのところ呼び出され、自分としては気乗りのしない仕事を頼まれる。

でも、仕事をもらっている以上、断ることができなくて・・・渋々受けるという感じでした。

しがない公務員、という感じに見えます。

そして、権力に逆らえない小者のようです。

それも、そのはず。

この頃、安倍晴明はまだ陰陽師ではなく、陰陽道を勉強する見習いのような身分でした。

だから、映画で見るようなかっこいい姿ではありませんでした。

「光る君へ」では、藤原家からかなり危ない仕事を頼まれています。

もし本当に、帝毒殺などの事件に関わっていたとしたら、これは安倍晴明は闇の世界の人物に?

将来の正義の味方のイメージが、崩れてくるのですが、平安時代の夜の闇のように得体の知れない人物像がここで浮かんできます。

安倍晴明、陰陽師の勉強に励む

陰陽師とは、占い師と言ってもいいですが、単なる占い師ではなく、天文学などを勉強し、霊感などを持ち、通常の人になない力を持つ人のことです。

安倍晴明だって、最初から、有力な陰陽師ではありませんでした。

それでも子供の頃から、陰陽師としての才能があった、ということでした。

それでも、最初は見習いからの出発です。

それには、大学寮という、貴族の子弟が行く学校に入り、学問の課程を終え、太政官(だじょうかん、政府の役人のようなもの)の試験に合格する必要があります。

こうしはじめて、天文学などを左右する陰陽を学びます。

この時の師が当時の一流陰陽師 賀茂忠行(かものただゆき)、賀茂保憲(かものやすより)親子でした。

しかしこれだけではまた、陰陽師になれません。

陰陽師になれたのは961年、内裏の火事事件での、剣製作に関わったからでした。

安倍晴明、火事が名をあげるきっかけに

安倍晴明を一人前にする事件が起きました。

960年、内裏(皇居)でひどい火事が起こりました。安倍晴明この時40歳。

その火事で、天皇家にとって大切な剣が、焼けてしまいました。

40本ほど焼けたのですが、中でも特に重要だったのが、護身剣(ごしんけん)と破敵剣(はてきけん)でした。

天皇はこの剣を作り直させました。

新たな剣が作られた時、その剣に霊的な力を宿らせなければなりません。

霊的な力を与える役目を負うのが陰陽師でした。

魂入れみたいなことでしょうか。

この時の陰陽師は、賀茂保憲(かもやすなり)といい、安倍晴明の師匠でした。

刀剣を清める儀式には、安倍晴明も同行しました。

賀茂保憲は、儀式の手順、祈りの言葉などを教え込みました。

安倍晴明の名前が歴史に上がってくるのは、この出来事からです。

しかし、安倍晴明は、刀の儀式について後に語るとき、いつの間にか自分が執り行った、と話を盛っています。

安倍晴明はずるいのか・・・それとも、本当に自分でやったものと錯覚していたのか。どちらでしょうね?

翌年 961年、安倍晴明は正式に陰陽師となりました。

安倍晴明、イケメン?

安倍晴明は、映画にもなり、フィギュアスケートで羽生結弦が演技で優勝するなど、非常にかっこいいイメージです。

実在はというと・・・・現代に肖像画が伝えられていますが・・・決してイケメンではありません。

割と、オッサン?ムーミンに似ている・・・なんて言った人もいます。

テレビや映画で、キャスティングされる俳優も、野村萬斎、市川幸四郎(当時は染五郎)、稲垣吾郎、山崎賢人・・・といずれもかっこいい!

ですが、NHK大河ドラマ「光る君へ」は、なんとなくしょぼくれて見える?

イメージとちょっと違う、と思った方は多いのではないですか?

じゃあ、なんで安倍晴明はイケメンだと思われるようになったのでしょう。

江戸時代になると、安倍晴明を扱った歌舞伎なども出るようになりました。

悪霊退治する人物ですから、当然カッコよく描かれますね、そこが始まりなのだと思います。

現代では、女性漫画家 岡野玲子が、夢枕獏の小説を漫画化した時から、イケメンな安倍晴明イメージが定着しました。

なんと言っても少女漫画だから、映(ば)える安倍晴明でないといけませんから、実在とズレができるのも仕方ないでしょう。

それに、映像を見る私たちも、やっぱり美形の安倍晴明の方が楽しいですし・・・

今回の、NHKではユースケサンタマリアさんですが、今後どんな活躍が楽しめるでしょうか?

安倍晴明と藤原道長

安倍晴明は、藤原道長の日記「御堂関白記」に書かれています。

安倍晴明の方が、道長より45歳年上です。

陰陽師になって、頭角を表した安倍晴明は、仕事ぶりが認められ、花山天皇、一条天皇、そして藤原道長の信頼を得るようになりました。

安倍晴明は、公家や朝廷からの依頼を受け、仕事をする官人でしたから、藤原兼家(かねいえ)親子は晴明にとって、依頼主のような存在でした、

1004年は、日照り続きでひどい旱魃の年でした。

藤原道長は、安倍晴明に雨乞いをさせることにしました。

安倍晴明は、雨を降らせることに成功!

これで道長からの信頼はますます厚くなります。

安倍晴明は、また、悪い呪術師から救う、なんてこともしました。

安倍晴明、花山天皇を助ける

安倍晴明は花山天皇のためにもたくさん働いています。

かつて、退位を避ける方法を取らなかったことで自責の念があるのでしょうか?

頭痛を治す

花山天皇は頭痛持ちで、雨の日は特に痛むようです。

現代でも頭痛で苦しむ人は、雨の日にひどくなるという話はよく聞きます。気圧の関係でしょうか?

花山天皇はどんな治療をしても頭痛が改善してきませんでした。

そこで、陰陽師 安倍晴明に聞くことにしました。安倍晴明は次のように言いました。

「花山天皇の前世は、徳のある行者。

徳のある人物だったので、天皇として生まれ変わりました。それが花山天皇です。

しかし、前世の人物の頭蓋骨が岩の間に挟まっています。

雨が降るたびに、岩は水気を含んで膨らみ、都のたびに頭蓋骨を圧迫してくるのです。

頭蓋骨を岩の間から拾い出して、開けた場所におけば頭痛は、直ちに治るでしょう」

頭蓋ことのあるところは、奈良県大峰山。修験者たちが修行する吉野山に属する山です。

花山天皇の前世が行者、ということは修験者だった、というのです。

花山天皇は命令して、安倍晴明の指示にあった通りの場所に行くと、確かに頭蓋骨が・・・

安倍晴明のいう通りに行うと、花山天皇は頭痛から解放されました。

大峯山は平安時代、人気の霊場で金剛山とも呼ばれ、貴族たちはこぞって、大峯山登山をしました。

紫式部の夫となった、藤原宣孝も登りましたが、派手な衣装で登り注目を集めました。

花山天皇の退位を予知

986年、花山天皇は、騙されて退位します。

それは藤原家の陰謀だったのですが、直接騙したのは、藤原家の息子 藤原道兼(ふじわらみちかね)です。兼家は藤原道長(ふじわらみちなが)の兄です。

藤原道兼は、花山天皇を京都の山科の元慶寺(がんけいじ、またはがんぎょうじ)に出家させるため連れていきます。

その途中に安倍晴明の屋敷があります。

屋敷の中から、晴明の声がします。「天皇が退位なさるという現象が天空から伝えられてきた。しかし、天皇の御退位はすでに決まっているらしい」と言ってました。

晴明は式神を使って、朝廷に、天皇に引退する意思があることを知らせようとしていた、まさにその時のことです。

すると、式神が「たった今、天皇がこの前をお通りになったようです」と告げました。

安倍晴明は、天皇引退を押し留めることができませんでした。

「式神」というのは、陰陽師がが使う、霊的存在のことです。鬼神でもあります。

式神は、人の心に起こる、悪行と善行を見分ける役目をしています。

鬼のような存在ということは、式神を扱い間違えれば、禍になる、ということでしょうか?

式神を使いこなせる、安倍晴明は、この頃には実力ある陰陽師になっていた、のですね。

天狗退治

979年、天狗退治をしたと言われています。

花山天皇が引退して、花山法王となった時、熊野の那智にこもっていた時、天狗からの妨害を受けました。

困った花山法王は、安倍晴明を呼び寄せて、相談しました。

安倍晴明は、二人の式神を用いて、天狗たちを岩屋に追い込んで閉じ込めました。

晴明の天狗退治については、京都の八坂神社の天狗退治も伝説になっています。

天狗というものの存在が、どのようなものかあまり現代でも明らかになっていませんが、天狗と信じられる、魔物あるいは妖怪、または怪奇現象を鎮めたのが、安倍晴明だったのです。

安倍晴明 vs 蘆屋道満(あしやどうまん)

蘆屋道満は安倍晴明のライバル陰陽師で、道満法師とも呼ばれています。

安倍晴明が正義として働くなら、蘆屋道満は悪役と見られています。

藤原道長を呪った呪術師が、蘆屋道満でした。

と言っても蘆屋道満が藤原道長に恨みがあったわけでなく、依頼を受けてのことです。

多分道長の政敵からの依頼でしょう。

蘆屋道満が道長に呪いをかけた・・・と、見抜いたのが、安倍晴明でした。

ある朝、道長の飼い犬が道長の出勤を止めようとしており、道長はそれがどこかおかしい、と思ったのでしょうか。

飼い犬の話を安倍晴明に相談したところ、安倍晴明は占いをして、蘆屋道満の呪いをかけようとしている、ことがわかったのです。

これは安倍晴明のおかげ、というより、道長の飼い犬がすごい、と思うのですが。

動物の勘を侮ってはいけません。

安倍晴明は、陰陽師としての力を発して蘆屋道満を京都から追放しました。

道満の追放先は、出身地でもある兵庫県播磨。

道満を祀った塚は、兵庫県佐用町にあります。

塚のあたりは今でも不思議な現象が出る、と言われています。

「風がないのに、木が揺れる。カメラで撮影しようとすると機材に不具合が起きる」らしいです。

また、播磨(今の兵庫県)では、出身者である、蘆屋道満の方が安倍晴明より人気があります。

道長に対する呪詛は、自分の欲に任せた政治をする道長を諌めるためなのだそうです。

ところ変われば、ですね。

安倍晴明の妻

安倍晴明に実際に妻がいたか、は不明なのですが、1662年に書かれた「安倍晴明物語」には梨花(りか)という妻がいた、とされています。

しかし晴明のライバル 蘆屋道満が梨花に横恋慕し、晴明の中学留学中に関係を持ってしまいました。

安倍晴明が道満に勝った時、安倍晴明の元で道満は仕えていたのですが、いつしか梨花に恋心を持つてしまったというわけです。

中国から帰るって、妻と道満の関係を見て、道満を打ち果たそうとします。

その時、道満は策略を持って安倍晴明を殺してしまうのですが、実は晴明はここから甦り、道満に復讐を果たし、妻の梨花も許さずに切り捨ててしまいました。

これは物語に描かれているので、道満の扱いも確かなものではありませんし、梨花という妻が本当にいたかどうかもわかりません。

安倍晴明の最期

安倍晴明について、晩年はどうだったか?死因?を書いた資料がありません。

ただ没年が1005年ということだけは言われています。

生まれた年が921年だったので、およそ84歳位まで生きた、と言われています。

安倍晴明の場合、一人前の陰陽師になったのが、40歳を過ぎてからです。

平安時代は大体も寿命が40歳そこそこだったので、大器晩成の長生き、といえます。

生まれが、母は妖怪だった、という。

安倍晴明の墓については、京都にも何ヶ所、また長野県木曽にもあるとされています。

公式の墓地と言われているのが、京都市内嵯峨嵐山のはずれにある、墓と言われてます。

京都中心部で京都御所に近い、晴明神社の飛地らしいです。

晴明神社は今での人手が絶えません。

墓の方はどうなのでしょうか?

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