「ばけばけ」イライザべズルランドは実在?モデルは?レフカダヘブンとの関係?小泉セツと知り合い?活躍ぶり?最後?役はあの人?

NHK朝ドラ「ばけばけ」

NHK朝ドラ「ばけばけ」で、レフカダ・ヘブン(ラフカディオ・ハーン)の心の支えになっているイライザ・ベルズランドについて調べました。

イライザ・ベルズランドには、エリザベス・ビズランドという実在の女性がモデルです。

美しい女性のため、もしかしたら、ヘブン先生の昔の恋人?と思ってしまいますが、どうもヘブン先生の片思いで終わったようです。

世界一周も試みる、エリザベス・ビズランドと比較しながら、イザベル・ベルズランドの人物像を解き明かしていきます。

「ばけばけ」イライザ・ベルズランドは実在

「ばけばけ」に登場する、イライザ・ベルズランドは、実在した人物のモデルです。

「ばけばけ」では、レフカダ・ヘブン(モデルはラフカディオ・ハーン)の心のよりどことなっている女性です。

モデルの女性は、アメリカ人のジャーナリストです。

そして、アメリカにいた、レフカダ・ヘブンと同じ新聞社で働く同僚でした。

ヘブンのモデルのラフカディオ・ハーンの方がエリザベス・ビスランドより12歳年上です。

エリザベス・ビスランドは、才色兼備の上、ジャーナリストとして活躍しています。

イザベル・ベルズランドは19世紀に生きた女性ですが、その頃から女性がアメリカで活躍していたとは、私には衝撃的でした。

「ばけばけ」イライザ・ベルズランドのモデルは?

イザベル・ベルズランドのモデルとみられる女性は、エリザベス・ビスランドです。

エリザベス・ビスランドは、1861〜1890年の人生で、アメリカのジャーナリストそして編集者でした。

エリザベス・ビスランドは、ルイジアナ州のプランテーションと呼ばれる農園のお嬢様育ち。

アメリカの市民戦争と言われる南北戦争を経験していますが、戦争の後は経済的に困る状況に陥りました。

ルイジアナ州といえば、南軍側だったので、戦争後は敗戦側として、あまり良い境遇にいることはできなかったのでしょうね。

そこで、エリザベス・ビスランドは自分で稼いでいかなければならない、という自我に目覚めたのだと、私は思います。

確かに、エリザベス・ビスランドは、活躍した女性ではありますが、雇う方は、「見た目がきれいだから。名家の出身だから、会社にとっては良い看板になる、

と出版社がわは見ていたのかもしれない、と私には思えます。

「ばけばけ」イライザ・ベルズランドとレフカダ・ヘブンの関係

イライザ・ベルズモンドは「ばけばけ」で大変美しい人であるため、もしかしたら、レフカダ・ハーンの恋人?と思われますが、どうも違うようです。

ハーン(ヘブン)先生と、エリザベス・ビスランド(イライザ・ベルズランド)、史実と、「ばけばけ」の場合、少し関係が違っています。

イライザ・ベルズランドとレフカダ・ヘブンの場合

「ばけばけ」の中では、2人は非常に良い同僚同士、という仲でした。

しかし、史実では、ハーンにとって、エリザベス・ビスランドは恋心を寄せた「後輩」という立ち位置で、そこがちょっと違っています。

ラフカディオ・ハーンとエリザベス・ビスランドの仲の親密具合は、2人の間にたくさんの手紙がやりとりされたことからわかります。

ラフカディオ・ハーンの方は、エリザベスビスランドに惹かれ、好意を持っていたことが、手紙の内容から伺えます。

これは小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を記録した「小泉八雲 ー 日本を見つめる西洋の眼差し」に出てきています。

エリザベス・ビスランドとラフカディオハーンの出会い

一方の、エリザベス・ビスランドにとっては、ラフカディオ・ハーンはジャーナリストになるきっかけをくれた人だったのです。

ラフカディオ・ハーンが書いた「死者の愛」という短編小説を読んだエリザベス・ビスランドは、その記事に感動を覚えました。

「死者の愛」を簡単に解説すると、ちょっとしたホラーストーリーの要素がある小説。

生きている男性が亡くなった女性に恋をし、その女性の墓に通い詰めます。

ホラーと言っても、死んだ女性が蘇るのではなく、生と死に分けられた男性の想いを描写した小説。

エリザベスビスランドはその時ニューオリンズにやってきたばかりの21歳。一方のラフカディオ・ハーンは32歳。

エリザベス・ビスランドは元々文才がある女性でしたので、すぐにタイムズ・デモクラット社の正社員となり、活躍していきました。

元々、名家の生まれなので、立ち振る舞いも優れており、ニューオリンズの社交界ではたちまち人気者となりました。

ラフカディオ・ハーンはエリザベスビスランドに対し、恋心を訴えるような内容の手紙を書くこともありましたが、「付き合ってください」という行動に移すことはありませんでした。

エリザベス・ビスランドの方は、ラフカディオ・ハーンの想いに答えるような手紙は送っていません。

エリザベス・ビスランド、ハーンの日本行きに影響を

ラフカディオ・ハーンが日本に行きたく思うようになったのは、エリザベス・ビスランドの勧めによるものでした。

エリザベス・ビスランドは世界一周で寄った日本の横浜で、アメリカ海軍のミッチェル・マクドナルドという人物と知り合いになります。

そして、ミッチェル・マクドナルとをラフカディオ・ハーンに紹介したことから、マクドナルドとハーンは友人となり、ハーンの日本行きにも助力したことでしょう。

エリザベスビスランドは、1891年のラフカディオ・ハーンとの交流は、エリザベス・ビスランドが死ぬまで続きます。

 

レフカダ・ヘブンにししても、ラフカディオ・ハーンにしても、イライザ・ベルトランドあるいは、エリザベス・ビスランドずっと抱いていたのは恋愛感情、でない、感情を持っていた、

もっと心の深いところで、いわゆる魂が憧れる、という存在だったのだと私は想像するのです。

それは、異国にいるヘブンあるいはハーンの心の故郷、であったのはないでしょうか?

エリザベス(イライザ)は、ハーン(ヘブン)と同じ故国を持った人ではありませんが、英語の中に共通という意識を感じていた、のでは、と私は考えています。

「ばけばけ」イライザベルズモンドと小泉セツは知り合い?

1911年、エリザベス・ビスランド(イザベラ・ベルズモンド)は世界一周旅行を再び、夫のウェットモアとはじめ、日本によります。

その時、西大久保にいた小泉家を訪ねます。

しかし、時はすでに遅く、ラフカディオ・ハーンはすでに亡くなってしまった後でした。(ハーン、1904年没)

ここで、小泉セツ(松野トキ)や、ヘブン先生の子供達と親しく付き合うようになりました。

きっと、同じ人を心のよりどころにしていた、ということで、セツ(トキ)とエリザベス・ビスランド(イライザ・ベルズモンド)と意気投合したものと、私は思います。

1911年以降にも何度か、エリザベス・ビスランドは小泉家を訪ねています。

1915年、大正天皇の即位式を見るため、夫とともに小泉家に行っています。

そいういった、国境を越えた家族ぐるみの付き合いができる、というのは見ていて微笑ましい、と私は思います。

エリザベス・ビスランドも、小泉セツもコミュ力の高い人たちだったのだな、と感心します。

「ばけばけ」イライザ・ベルズランドの活躍は?

イライザ・ベルズズランドのモデルエリザベス・ビズランド。まずは、そのエリザベス・ビズランドの活躍をご紹介しましょう。

10代の頃から、新聞社に「B・L・R・デーン」というペンネームでお詩を投稿しており、やがて原稿料が払われるようになりました。

やがて、詩を投稿していた新聞社ニューオリンズ・タイムズ・デモクラットに雇われるようになり、エリザベス・ビズランドはニューオリンズに移ります。

ニューオリンズにて、ラフカディオ・ハーンにであいます。

その後は、エリザベス・ビスランドはニューヨークに活躍の場を移し、ニューヨークでは編集者にまでなります。

この、出来事だけでも、19世紀の女性が職場で活躍する、というのは驚くべきことですが、さらん目を見張るようなイベントがあります。

イザベラ・ビズランドのモデル、世界一周をする?

それは、世界一周を試みたことです。

しかしこの世界一周旅行は出版社同士の競争から始まった対決で、1889年11月に行われました。

ニューヨークワールドが、ネリー・プライスという記者を世界一周の旅に派遣し、それに、「コスモポリタン誌」が対抗し、エリザベス・ビスランドを世界一周に出した、というわけです。

この対決は、フランスの小説家、ジュール・ベルヌの「八十日間世界一周」からの発想を受けての試みです。

2人の女性の戦いの、伏線となったのは1872年、小説の主人公でイギリス人、フェリアス・フォッグが、八十日間で世界を一周したストーリーでした。

旅程は、ニューヨークから西に向けて出発、目的地は香港、期限は、小説と同様八十日間。

結果は、エリザベス・ビスランドの敗北で、勝利は、ネリー・ブライでした。

敗因は、エリザベス・ビスランドが、高速汽船「エムズ号」に乗り遅れ、代わりにそれより速度の遅い船「ボスニア号」に乗る羽目になったからのようです。

とはいうものの、エリザベス・ビスランドの旅行は76日半なので、ジュール・ベルヌの小説の記録は上回っています。

ちなみに、ライバルのブライは、72日6時間51分という記録でした。

小説は、フォッグの旅行と同じ、1872年に書かれていますが、それから約10数年でその記録を上回ってしまった、ということは、

乗り物の性能が高まったのか、あるいは、女性の旅行熱が高かったのか?

あるいはその両方だったのか?と、私は文明の発展に驚いています。

イライザ・ベルズモンド、日本を訪れる?

イライザ・ビズモンドのモデル、エリザベス・ビスランドは、八十日間世界一周の間に日本を訪れています。

そのエピソードは「Seven Stages: A Flying Trip Around The World」の中に書かれており、

日本に2日滞在し、芝の東照宮を見て「我もアルカディアにありき」と、感動していました。

「ばけばけ」では、イザベラ・ビズモンドはすでに日本に来ていた、レフカダ・ヘブンに再会し、一緒に世界旅行をするように進めますが。

史実では、この時はまだラフカディオ・ハーンは日本に来ておらず、エリザベス・ビスランドは日本の素晴らしい印象を、ハーンに伝えた、ということです。

これを聞いて、ラフカディオ・ハーンは日本に行きたい、と熱望しました。

「ばけばけ」イライザ・ベルズランドの最後

エリザベスビスランド(イライザベルズバンド)は夫との仲も睦まじいく、ロングアイランドに夏の別荘も建てて、生活も順調でした。

1929年1月に、エリザベスビスランドは肺炎にかかり、亡くなってしまいました。

1900年代初頭のアメリカでは、肺炎が死亡原因の上位を占めていました。

それは、まだ抗生物質が発見されておらず、公衆衛生の観念もまだ定着していなかったからです。

しかし死亡した年が、67歳ということを考えると、抵抗力も落ちていたからなのでしょうね。

エリザベスビスランドの墓は、ミューヨーク州ウッドローンの墓地に葬られましたが、そこには、かつての世界旅行のライバル、ネリー・ブライもそこに葬られていました。

「ばけばけ」イライザ・ベルズランド役は?

エリザベスビスランドをモデルにした、イライザ・ベルズモンド役は、シャーロット・ケイト・フォックスです。

この女優さんが特に有名だったのは、同じくNHKの朝ドラ「マッサン」のエリー役で一躍有名になりました。

「ばけばけ」のイライザ・ベルトランドと「マッサン」のエリーは性格的に全く違うキャラクターです。

しかし、エリーの心情は、「ばけばけ」のレフカダ・ヘブンに通じるものがある、と私には見えます。

まとめ

「ばけばけ」のイライザ・ベルトランドのモデル、エリザベス・ビスランドは非常に精力的な女性です。

日本より進歩的と言われているアメリカでも、1900年代初め頃に、こんな活動的な女性がいることに驚きです。

いえ、日本にも、明治の初め、津田梅子を初め、才能ある女性たちがでてくるようになりましたから、1900年初め、という時代が何かパワーを秘めていたのでしょう。

イライザ・ベルトランドはこれからも、レフカダ・ヘブンの心の支えとなり続きてくと思われ、これかも時々、登場が見られるでしょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました