「ばけばけ」雨清水三之丞のモデル、小泉藤三郎。父・せつとの仲?美男子?性格?鳥好き。問題児?最後は?

NHK朝ドラ「ばけばけ」

2025年10月から始まった、NHK朝ドラ「ばけばけ」。

主人公の弟 雨清水三之丞が人気を呼びそうです。

モデルは、小泉藤三郎。小泉セツの弟で、史実では美男子の呼び名が高いですが、問題児で、性格もちょっと問題がありそうです。

鳥ビジネスなどを始めますが。うまくいかず、結局姉を頼る人生になってしまいます。

ここでは、明治新政府に馴染めなかった、雨清水三之丞こと、小泉藤三郎の人生をご紹介します。

「ばけばけ」雨清水三之丞のモデルは?小泉藤三郎

「ばけばけ」の、雨清水三之丞(うしみずさんのじょう)のモデルは、実在の小泉藤三郎(こいずみとうさぶろう)です。

小泉セツ(松野トキ)の、実の弟で、1870年の生まれです。

小泉家は出雲松江藩の士族、それも上級の身分に属する家柄です。

小泉セツ、藤三郎たちは、4男、2女の6人きょうだいでしたが、藤三郎は三男にあたります。

6人のうちでは、5番目です。

武士の身分に生まれたため、明治以降の、自分で生活をしていかなければならない立場にどうも乗り切れない青年です。

史実の小泉藤三郎は、「ばけばけ」の雨清水三之丞より、もっと放蕩息子的な感じがします。

その点の、以下にまとめていました。

小泉藤三郎、父との関係は?

小泉藤三郎は、長男ではありませんが家を継ぐことになりました。

長男は、駆け落ちをして家を出ており、次男は早いうちに亡くなって、小泉藤三郎が実質上の長男になっていました。。

1886年に父 小泉湊(こいずみみなと) が亡くなった時に、家業を引き継ぐのです。

小泉藤三郎は16歳になっていたので、江戸時代は明治初期の時代なら、家を継いでもおかしくない、と思われていた年齢でした。

小泉藤三郎、父に可愛がられていた!

「ばけばけ」で見ると、小泉藤三郎は、父にそれほど目をかけられていないような気がするのですが、史実は違いました。

小泉藤三郎が小さい時は、父が読み書きを教えていました。

また、学校にもいかせてもらっていました。

しかし、小泉藤太郎は、勉強が嫌いで、鳥を集めることに興味を持ち始めました。

母の方も、藤三郎を可愛がっていて、「とふさん」と言う愛称で息子を呼んでいました。

藤三郎の「藤」を昔の日本語では「とふ」と読んでいました。

小泉藤三郎は、母が息子を呼ぶ名から想像すると、母に溺愛されていたのではないか?と思われます。

だから、のちに小泉藤三郎が手がける仕事に対しては、根性を持って続けることができなかったのでは?ということが考えられます。

小泉家の父の家業とは?

小泉家の当主、小泉湊が始めたのは、機織り(はたおり)業です。

小泉家は武士だったのですが、明治維新で、武士の身分が廃止されて、江戸時代のような、お上から禄(武士としての給料)をもらえなくなりました。

そうすると生活の手段を自分で探す必要があります。

漠然と始めたのではなく、士族の娘たちに働く場を提供しよう、という意思があった、と言われています。

しかし、この工場は、どのようなものであったた、記録に残されておりません。

それは、この工場がなかった、ということではなく、同時期に似たような工場が数おおくあったため、埋もれてしまっている、と考えられます。

小泉藤三郎の父の怒りとは?

小泉藤三郎の父 湊(みなと)が、病気に倒れるのは、史実もドラマも同じです。

史実の、小泉藤太郎は、父の目が届かなくなったことをいいことに、さらに鳥の観察に一生懸命になっていました。

それに気がついた、父は体調が悪いながら、起き上がって、息子 小泉藤三郎の大切にしていた、鳥を鳥籠ごと、たたき落として壊してしまいます。

そして、自宅の壁にかけてあった馬用の鞭を取って、藤三郎を打ちます。

それも、軽くではなく、打ち据える、といった方がいいくらい激しく打ちました。

現代なら、これはDVとしてみなされるでしょうが、第2次世界大戦の前までは、家庭は父親の権力が強く、父親は何をしても許されました。

ドラマの中では、父は三之丞を鞭でうちはしなかったものの、かなりの剣幕で怒っていました。

「ばけばけ」では、主人ではなく、工場長が鞭を持ち出したところに、史実を反映させているのでしょう。

父 湊は、小泉藤三郎を打ち据えた時、よほど体力を消耗したのでしょう、そのあと、間もなく亡くなりました。

小泉藤三郎、家業を継ぐのは ほんと?

「ばけばけ」の中では、藤三郎は父の死後、確かに小泉家を継ぐことになりました。

当然ながら、小泉家が家業として始めた機織り業も、小泉藤三郎が継ぎます。

しかし、苦労したことのない、小泉藤三郎、やはり上手くはいきませんでした。

小泉家と似たような商売を始めた家も多く、ライバル店にどんどん抜かれてダメになっていったのでしょう。

小泉藤三郎、美男子!

雨清水三之丞のモデル、小泉藤三郎は非常に美男子だった、と伝えられています。

これはイケメン以上に、本当に美男子だったのです。

イケメンぶりが母の溺愛の理由になることは、十分に考えられます。

小泉藤三郎の性格は?

小泉藤三郎の性格は、自由を求める、というところでした。

その趣味は鳥の飼育で、武士出身の人物としては、武士らしさを感じない趣味です。

確かに、江戸時代の武士は、鶯やメジロを、餌付けして育てることが流行っていました。

しかしすでに世の中は、江戸時代が終わり、文明開花と言われる明治時代に突入しました。

人は全て働かなくては、金銭が入ってこないような世の中です。

悠長に、鳥を育てている暇はありません。

鳥を育てる、ということは、鳥のような空を飛べる自由さに憧れていたのでしょうか?

父亡き後でも、家を継ぐ、働く、という意思を持たず、その生活費を姉 セツに仕送りを頼むなど、自主性が感じられません。

これらは、小泉藤三郎について地元で語られている話です。

そこから考えると、自由さを求めるものの、その自由さに対し自ら責任を持とうとしなかった人物に見えます。

または、新しい明治という世に適応できなかった、という方が当たっていると思います。

小泉藤三郎、鳥ビジネスを始める

父、湊が亡くなったため、残りの小泉の家族は、何とか生活の糧を手に入れなければなりません。

母 はしかも江戸時代からのお姫様育ち、とても仕事などできる人ではありません。

小説「ヘルンとセツ」の中では、小泉藤三郎は、鳥好きから、ついに鳥ビジネス、を始めます。

つまり、鳥を売る、と言うことですね。

鳥好きの仲間と付き合ううちに、オウムという鳥が高額で売れることを知り、商売を思いついた、というわけです。

最初は、この鳥ビジネス、結構うまくいっていたみたいです。

が、のちのち、繁盛を続けていったか、については小説にも書かれていません。

少なくても、それでも、1891年、小泉セツが夫と熊本の学校に赴任する頃までは、ビジネスもそれなりに回っていたようです。

何となく、小泉藤三郎は商才がないように思われます。

そのあとの、小泉藤三郎のことを調べれば、鳥ビジネスがうまくいっていない、ことが容易に想像つきます。

このシチュエーション、ちょっと、「ばけばけ」の最初に出てくる、松野トキの育ての親の、うさぎビジネス の様子に似ていますね。

小泉藤三郎は問題児?

やっぱり小泉藤三郎は、親不孝な問題児だった?と思うところがあります。

先祖代々のお墓を売ってしまったのです。

それにしてもまだ古い考えが残る明治時代に、先祖代々の墓を売る、これは非常に罰当たりな行為です。

でも、小泉藤三郎は、墓を売った理由をきちんと話していません。

藤三郎は借金を抱えていたので、お金を作ろうと思ったのか、それとも自分を打つようになっていた、父を憎んでのことか?

その両方が、重なった複雑な思いからだったのでは、と私は思うのですが。

なぜ、分かったかというと、セツたちが、熊本に移った後ですが、故郷に帰り、小泉湊の墓参りをしようとした時に墓がなかったからでした。

それを、寺の住職に尋ねると、せがれ(息子)が売ってしまった、というではありませんか。

家族への相談もなしに、墓を売る、これは家族にとって「残念」などころか、厄介な存在でしかありませんね。

将来、小泉セツは、母のチエ(「ばけばけ」では雨清水タエ)の死後に、生みの父母のために墓を作り直しました。

小泉藤三郎と、セツとの仲は?

小泉藤三郎と、小泉セツは実の姉弟です。

小泉藤三郎の史実は、残っている事実の話が少なく、その人間性は部位的にしかわかりません。

いつ、お互いが姉弟と知ったのか?お互いを頼りにしていたのか?その辺りが、史実では確認できません。

小泉藤三郎、姉の結婚保証人になる?

しかし、一つだけ小泉藤三郎の名前が書かれた史料があります。

それは、姉 セツとラフカディオ・ハーンの結婚の保証人になっていた、ということです。

当時、日本人が外国人と結婚することは珍しいことでした。

そこで、小泉藤三郎は。本家の人間として、手続きをしていたのです。

ここで、一家の主としての責任感と、姉に対する愛情が感じられます。

小泉藤三郎、姉に愛想をつかされる?

姉 セツ のほうが、弟にあきれてこれ以上身内でいたくない、と思った事件がありました。

それは、小泉藤三郎が父の墓を売ってしまい、セツは弟 藤三郎と絶交した、と後に、セツは語っています。

お墓無断売却事件では、セツの夫、ラフカディオ・ハーンも弟 小泉藤三郎に対し失望しました。

しかし、それでも、小泉藤三郎は、セツを頼りにしていました。

というのも、小泉藤三郎 32歳ごろ、姉のセツを頼って、東京に出てきました。

その時は、ラフカディオ・ハーンとセツの夫婦は、東京に住んでいました。ハーンが東大の英文学講師をしていたからです。

セツは小泉藤三郎を、自分の家に、夫 ラフカディオ・ハーンには内緒でそれも、苦々しく思いながらも、置いてやりました。

やはり、弟は姉を頼り、姉の方も、小泉藤三郎のことを気にかけていたと思えます。

が、それほどな長くいなく、藤三郎は出ていってしまいます。

やはり、ラフカディオ・ハーンに見つかり、墓を売り払ったことを責められたことに耐えられなくなったのです。

小泉藤三郎の最後は?

小泉セツの家を出て、16年後のことでした。小泉藤三郎 45歳頃です。

松江の小泉家の近くの空き家で死んでいるのが発見されました。

空き家に管理人がいたのですが、誰かがそこにいるかどうかは全然気がついていませんでした。

もしかしたら、そこで、雨風をしのいでいたのかも知れませんね。

小泉藤三郎の死は、言ってみれば孤独死にあたります。

老齢になっての死ではないので、孤独死という言葉が当てはまらないかも知れませんが、母親もすでに亡くなっており、自分の人生をを看取ってくれる人もいませんでした。

小泉藤三郎、「ばけばけ」では?

NHK朝ドラ「ばけばけ」では、小泉藤三郎は、雨清水三之丞(うしみずさんのじょう)という名前で登場します。

板垣李光人さんがキャスティングされています。

伝説で語られるように、とてつもない美男子ぶりがよくお似合いです。

しかし、落ちぶれていく武士の家で、どうしようもなく、一家の身代を継ぐほどの器量がないのに、継がされてしまう、悲哀さが見えます。

自分で活路を見つけ出せずに滅びていく悲しさがにじみでている、登場人物に仕上がっています。

実在の、小泉藤三郎より、はかなさ、悲しさが感じられます。

史実の小泉藤三郎の方がもっと、ダメさが際立つイメージです。

まとめ

小泉藤三郎は、「ばけばけ」を通して見ると、繊細な神経の持ち主のような気がします。

鳥を飼うことには、自由を求める性格を表していますが、実際は、父から逃れられない弱さを克服できない様子が伺えます。

美男子だった、という事実もより一層悲劇性を感じます。

最後も、誰にも看取られずひっそりと亡くなっていく様子もより一層、哀しさが現れており、江戸時代から明治時代への、移り変わりに対応できなかった、1人の人物でした。

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