茶の湯、といえば千利休。
実は身長180センチ超、当時としては破格の大男だったと言われています。
信長・秀吉とは異なる出自ながら茶聖と呼ばれるほど、身分の高い人物に上り詰めました、
と、同時に秀吉に嫌われてしまいました。
大男だから、名を投げられたのか?ここでは、千利休が後世までその名を残した真相に迫ります。
「豊臣兄弟」では吉岡秀隆がキャスティングされています。
千利休、戦国時代の180センチの巨漢!
戦国時代に180センチを超える身長の人物が他、これは驚きです。
その人物は武将でなく、千利休(せんのりきゅう)です。
茶の湯の世界で「茶聖」と称された千利休の身長については、複数の史料、特に『茶湯初心集』や『南方録』といった古文書には、千利休の大柄な体格についての記述が見られます。
当時の男性の平均身長が、160センチ前後といいますから、明らかに一際目立つ存在でした。
千利休の本名は田中与四郎といい、商人の家に生まれながら、やがて豊臣秀吉の茶頭(さどう、さじゅう。戦国時代、江戸時代大名に使える茶人のこと)として天下人の信頼を集めました。
織田信長の時代から秀吉の天下統一まで、千利休は茶湯の世界で名高い人物でした。
身長の大きさだけでなく、堂々とした姿勢や物腰の良さが人々の目に映ったことでしょう。
歴史上の人物を調べるとき、その人物がどう見られていたかという視点は必要です。
秀吉や信長といった権力者たちが千利休を重用したのは、茶の湯の知識だけでなく、その圧倒的な存在感にあったと私は言いたいです。
三千家に伝わる千利休の記録からは、単なる茶人ではなく、商人としての実務能力と精神的な深さを兼ね備えた人物像が浮かび上がります。
大柄な体格と洗練された茶会の主催者としての振る舞いが合わさって、当時の人々に信頼と敬意をもたらしたことでしょう。
千利休の名が今日まで語り継がれるその本元には、利休の優れた茶の湯の理論だけでなく、人間的な魅力にあるのだと、私は考えます。
千利休は当時の平均身長と比べると、どれほど大きかった?
戦国時代の平均身長は150センチ前後とされていますから、180センチを超える千利休は、非常に目立つ存在だったに違いありません。
同時代の豊臣秀吉が160センチ弱だったとの記録を考えると、千利休は秀吉よりも20センチ以上大きかったことになります。
当時の人々にとって、千利休の高身長は圧倒的な存在感を生み出したに違いありません。
歴史上の人物を調べる際、体格という視点を見落としがちですが、千利休を考えてみると、背の高さが茶人としての活動そのものに影響を与えていたのではないでしょうか?
茶室という限定された空間で、大柄な体格を持つ千利休が茶会を主宰する姿。
その光景を想像するだけで、参加する商人や武士たちに与えるインパクトは大きなものだったでしょう。
茶の湯は芸術の世界で、物理的な大きさと精神的な充実感が一体となって初めて、人々の心を引きつけると、私は理解しています。
織田信長や豊臣秀吉といった天下人たちも、千利休の圧倒的な身体的存在感に一目置いていたことでしょう。
茶聖として仰ぎ見られた理由は、単なる茶の湯の技術だけではなく、その堂々とした姿勢が視覚的にも人々を圧倒していたことと、私は思っています。
与四郎という少年時代から晩年まで、千利休の大きな体格は茶の世界で独特の権威を生み出し続けたのでしょう。
千利休と、秀吉・信長との体格差が生まれた背景
千利休が180センチを超える身長だったのに対し、豊臣秀吉は160センチ弱、織田信長も170センチ前後だったとされています。
千利休と秀吉の身長差の理由?生まれにあり?
秀吉との20センチ前後の差はどうして生まれたかは、戦国時代の食生活と身分の関係を映す鏡となります。
秀吉や信長の時代、身長は遺伝だけでは決まりませんでした。
良質なたんぱく質や栄養を摂取できる環境が限られていたため、商人の家に生まれた千利休は、豊かな食卓に恵まれていた可能性が高いのです。
特に与四郎と呼ばれた若き日の千利休から、茶人として名をあげるまでの間に、堺の商人としての経済力が彼の体格を支えていたと考えられます。
秀吉や信長が戦場で過ごす時間が長かったのに対し、千利休は比較的安定した生活環境を保つことができたというのも理由の一つだと思います。
千利休、大きいのは体格だけでない?
私は、この体格差は単なる身体的な違いではなく、三千家に伝わる記録から見て、茶の湯の世界における千利休の立場を象徴していると感じます。
大きな体格を持ちながらも、茶室という限られた空間で静寂と調和を表現する千利休の姿は、秀吉や信長とは異なる種類の権力を持つ人物として人々には、映ったはずです。
天下人たちが武力で支配する一方で、千利休は茶会という場で精神的な影響力を行使していたのです。
千利休が茶聖として仰ぎ見られた理由、堂々とした姿勢にあり?
茶聖として尊敬を集める千利休が、人々に仰ぎ見られたのは、単なる身長の大きさだけが理由ではないと考えます。
態度の良い、千利休
180センチを超える体格は確かに目立ちましたが、それ以上に、その身体から滲み出る、振る舞いの格調高さに人々は目を奪われたのではないでしょうか?
戦国時代、豊臣秀吉や織田信長といった天下人たちは、政治の場で千利休と向き合いました。
秀吉よりも20センチ以上大きな身長を持ちながら、茶室という狭い空間で、千利休自身は決して威圧的にはなりませんでした。
むしろ、その大きな身体を丁寧に折り曲げ、茶会で相手を敬う所作を見せたからこそ、堂々とした姿勢が際立ったのです。
千利休、謙虚なのはホント?
千利休、確かに謙虚ですが、なかなか計算高い人物であるように私には見えます。
商人という身分から身を起こした人物が、身長の大きさと物腰の良さを同時に身につける、
これこそが、秀吉の信頼を得るのに必要だった要素だったと推測されます。
私は、歴史上の人物を観察するとき、その人が周囲からどう見られたかという視点が、大切だと感じています。
千利休の場合、三千家に伝わる記録からも、彼が茶の湯を通じて人々に敬意を示す姿勢を貫いたことが読み取れます。
茶室には、躙口(にじりぐち)という入口がありますが、それは大変に小さく、被り物を取り、頭を低くしないと通れないものです。
その入り口を通ることで、人は、謙虚さを表す、というところに「敬意を表す」気持ちが出ていいます。
千利休の方な大男が、狭い口を通ることは、なかなか苦労を要することだったでしょう。
自分の長身を理解した上で、狭い口をわざわざ設置し、通り抜けることをあえてやってのけた千利休は、やはり計算高い。
千利休の大柄な体格は茶湯の世界で、どう見られていた?
茶湯の世界では、千利休のような大柄な体格がどのように受け止められていたのでしょう?
令和でこそ体格は問題になりませんが、
戦国時代には、単なる身体の大きさ以上に、その存在感が茶人たちにどう映ったのか、と私は気になります。
戦国時代の茶会では、茶室という限られた空間で天下人や商人、茶人たちが向き合います。
180センチ超えの千利休がそこに座れば、自ずと視線が集まったはずです。
豊臣秀吉との茶会の場面を想像すると、身長差20センチ以上の二人が茶碗を手にする光景は、まさに印象的だったことでしょう。
千利休は与四郎の時代から晩年に至るまで、その堂々とした体つきが、茶の湯の修行者たちにとっては権威そのものに見えたのでは、と私は思っています。
三千家に伝わる記録や『茶湯初心集』を読むと、千利休への敬意は単なる茶の技術だけでなく、その身体から滲み出ていた格調高さに根ざしていたのではないでしょうか。
茶室という静寂の空間で、大きな体格を持ちながらも一挙手一投足を整える姿勢が、
織田信長や秀吉といった天下人たちの心をも動かし、茶聖として仰ぎ見られた源となったのだと、私は考えます。
千利休の名、なぜ今でも語り継がれるのか?
千利休がなぜ今も語り継がれるのか。その答えは、単なる茶の湯の技法だけにはありません。
千利休、大と小のコントラストが、人々の心に響く!
戦国時代という激動の世で、180センチを超える体格を持ちながら、商人の身分から茶聖へと登り詰めた人生そのものが、人々の心を掴んだのだと考えます。
秀吉に仕えながらも、茶の湯の世界では独自の美学を貫いた。
その矛盾を生きた姿勢が、後世の人々に尊敬されたのではないでしょうか。
身長の大きさは、確かに目立つ要素でした。
しかし与四郎という本名で商人として生まれた者が、天下人の信頼を勝ち取り、茶室という限定された空間で自らの世界を創り上げた、
千利休の行動力と信念こそが、名前を語り継ぐ真の源流なのです。
三千家に伝わる記録から読めることは、千利休という人物がどれほど周囲を魅了したかということです。
千利休、「茶の湯」のもとに、秀吉の頭を下げさせる!
茶会に集う茶人たちが、その存在感に引き寄せられた。
秀吉という絶対権力者さえも、利休の茶の湯の前では従わざるを得なかった。
そうした影響力は、決して身長だけでは説明できません。
人間の本質、人生の歩み方そのものが、時代を超えて人々を惹きつけるのです。
だからこそ、四百年以上たった今でも、千利休の名は輝き続けているのでしょう。
千利休が秀吉から煙たがられた理由?
利休は秀吉に頭を下げさせる、人々から秀吉と同等のいえ、それ以上の尊敬を集めているそんなところがのちに、秀吉が気に入らなくなり、千利休の処刑への道が進んだ、のかもしれません。
また、千利休の内部に流れている、商人ぽっさが、秀吉には千利休がセコく見えて、自分の生まれとオーバーラップして見えるところも、秀吉には耐えられなかった。
そして、秀吉の奥深くにある、卑屈さがえぐり出させる気分を味わった、ので千利休排除、(処刑)を考えたのでは、と私は思っています。
「豊臣兄弟」、吉岡秀隆の千利休の風格具合は?
「豊臣兄弟」では千利休の役は、吉岡秀隆さんにキャスティングされました。
吉岡秀隆のプロフィールをみると、172センチと出ていて、千利休の大きさには及びません。
といっても「豊臣兄弟」のキャストたちも皆、大柄で、今回は、上背が関係しているキャスティングとは、言えないでしょう。
ということは、吉岡秀隆さんが持つ雰囲気が、千利休となって現れる、ということです。
吉岡秀隆さんの持ち味の、言葉少なめながらも存在感をしっかり出せるところが、「わび、さび」を体現する、千利休にはまる、と私は見ています。
それでいて、内心は何を考えているかわからない、商人特有の計算高さも、匂わせる人物になりそう、そこを期待しています。
かつては、仲代達也、石坂浩二など、多くの有名な役者たちが演じてきました。
その比較も非常に面白い、と思います。
まとめ
戦国時代、180センチを超える大男だったのが千利休です。
当時の平均身長は150〜160センチほどとされ、秀吉より20センチ以上、信長よりも高かったと考えられています。
商人の家に生まれた与四郎(利休の本名)は、堺の豊かな食生活のおかげで、戦場暮らしの多い武将たちとは違う体格に恵まれたのかもしれません。
けれど利休が茶聖と呼ばれたのは、体の大きさだけが理由ではありません。
躙口(にじりぐち)という小さな入口を大きな体でくぐり抜け、あえて頭を低くする謙虚な姿勢。
その物腰の良さと堂々とした振る舞いが、天下人たちの心をも動かしたのでしょう。
一方で、秀吉以上の敬意を人々から集めていたことや、商人らしい計算高さが秀吉の卑屈さを刺激したことが、のちの対立につながったのではないか、とも言われています。
ドラマ「豊臣兄弟」で利休を演じる吉岡秀隆さんは172センチで、実際の利休ほどの上背はありません。
それでも、言葉少なながら存在感を放つ持ち味は、「わび・さび」を体現する利休役にぴったりと期待されています。
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