北条泰家(ほうじょうやすいえ)――人呼んで「逃げ上手のおじさん」「語るおでこ」。
「逃げ若」の北条時行のおじさんです。
鎌倉での微妙な立場に苦しみながらも、彼は決して裏切り者などではなかったのです。
ただ北条再興だけを信じて走り抜けた男の最後に、私たちは感動を覚えます。
あまり、語られることのない、北条泰家、その人物と生涯を調べました。
「逃げ若」の今後の、キーマンになりそうです。
北条泰家、逃げ上手!?
「逃げ若」に新たに登場したキャラ、北条泰時は、北条時行の叔父です。
北条時行の父、高宗(こうそう)の弟なので、時行にとっては父方の叔父です。
実は叔父さんもなかなかの逃げ上手です。もしかしたら主人公の北条時行より「逃げ上手」かもしれません。
北条泰家も、逃げの人生!
最初は、鎌倉滅亡の年に、鎌倉から逃れます(1333年)。
鎌倉が襲撃に遭う時は、鎌倉ではない地域で、守りについていましたが、そこも襲撃され、鎌倉まで戻ってきます。
鎌倉への攻撃はかなり厳しいもの。
鎌倉は火の海、北条一族は自害以外になすすべもないほど、追い詰められていました。
しかし、泰家は、そこは自害すると見せかけて、ちゃっかりと逃げています。
逃げたといっても、幼い時行とその兄弟を逃すためでした。
その後、泰家は、1人鎌倉を逃れ京都に隠れ、古くからの友人・西園寺公宗(さいおんじきんむね)のもとに身を寄せます。
西園寺公宗は、元々鎌倉幕府と京都の交渉役だったため、鎌倉幕府が滅びると、仕事がなくなるのが困るため、鎌倉よりに動く人物でした。
北条泰家と西園寺公宗が、結んで、鎌倉幕府の復権を目指す計画の手始めとして、後醍醐天皇を暗殺しようとしたことで、悪事が発覚し、2人は追われる身に。
西園寺公宗は捕まりましたが、北条泰家はうまく逃げおおせました。
本当に、北条泰家もするりするりと逃げのびる、まさに「逃げ上手の中年?」
北条泰家、時行の元へ!
北条泰家が、時行のいる諏訪にやってきたのが、アニメでは、第19話(第2期・7話)です。
叔父・甥の再会は、1335年6月で、鎌倉幕府滅亡から2年後です。
時行は、諏訪頼重(すわよりしげ)たちと諏訪に逃げのび、叔父の北条泰家は京都に逃げ、古くからの友人のもとで隠れていました。
そこに北条泰家は、逃れてきたのです。
しかし、史実では、北条泰家が甥・時行のところまでやってきたことは「太平記」の中にだけ、書かれていることで、伝承としか扱われていません。
北条泰家の「おでこ」は語る?
これは、コミックかアニメでしかわからない現象です。
北条泰家の「おでこ」には、本人の考えが文字になった現れるのです。
例えば、「北条」とか「やるぞ」とか。
「北条」と出るときは、『なんであろうとも、我らは天下の北条だから』、つまり、政治をとっていて誇り高き北条の一員としての誇り、を表し。
「やるぞ」というのは『使命をやり遂げるぞ』という心意気の表れなのです。
時には「哀れ」と言って、負の感情でさえも現るので、弱気になっているところがバレバレです。
北条泰家の考えが出やすいことを示した、ストーリー作りなのですが、北条泰家は実は自分の考えを表情に出したくない人なのかもしれない、と私は見ています。
思いっきり隠してしまうが、隠しきれずに本音が滲み出てしまう、というのを、アニメチックに表現したのが、この北条泰家の、「逃げ若」での描かれ方です。
それなら、北条泰家は、嘘をつくことができない人なので、北条一族を裏切ることはない人、という感じを視聴者・読者に与えている、と思います。
でも、こんなキャラクター、どの漫画にもアニメにも登場したことないので、視聴者は思わず見入ってしまいますよね。
北条泰家の最後は?
性格な死亡時期、墓についての史料が大変少ないです。
1335年は、北条泰家が、友人の西園寺公宗らと計画し、後醍醐天皇の暗殺を企てたが、失敗し、逃げてしまった年以降、史実を辿るのが難しくなります。
しかし、信濃国の一部をおさめていた豪族「市河家」の「市河家文書』(いちかわけもんじょ)に、北条泰家と思われる人物の記載を見ることができます。
そこには、1336年、建武3年2月、信濃国の麻続御厨で、北朝がわの小笠原氏や村上氏に対し、挙兵した人たちの中に、「高時一族大夫四郎」の名前が見られます。
「高時一族大夫四郎」こそが、北条高時の一族に属する、北条泰家ではないか?
ということを、歴史学者の鈴木由美氏が、その著書「中先代の乱ー北条時行、鎌倉幕府再興の夢」に書いています。
同じく「中先代の乱〜」の本の中には、北条泰家もこの戦いで命を落とした、とみられています。
年齢的にも、北条泰家は北条家の執権になれる資格を持つと私はみていましたが、それでも、北条時行を立てて、北条家の再興を望んでいた、
北条泰家は、鎌倉時代の武士道とは、このような筋の通った忠義であるを、自ら示した人だった、と私は思います。
北条泰家、鎌倉ではどんな立場?
史実の北条泰家は、「太平記」に見えてくる人物像は、「タフであり、北条家の再興のためにはどんな努力も惜しまない」という人物でした。
時の執権・北条高時の弟であるため、鎌倉幕府がまだ存在していた頃は、執権になるかも?とも言われていました。
それだからでしょうか?残されているエピソードには、ちょっと、北条泰家は「腹黒い」とも見える行動をしていますが、実際はそうではありません。
北条泰家、執権候補?
北条泰家は、鎌倉幕府最後の執権・北条高時と母を同じくする弟です。
北条家では、No.2の地位と言っていいでしょう。
北条高時は、病弱で政治にあまり興味を向けなかたばかりか、娯楽に溺れる人出っした。
一方、泰家は現実的な考えの持ち主で、政治や軍事面に関して、良い判断を行なっていましたので、周囲は、「泰家が兄であれば良かったのに」と、思わせるほどでした。
北条高時が、1326年、体調不良になり、執権職を降りたときに、実の弟・北条泰時に執権職を譲る、という計画があったのです。
この時、北条時行は、国を任せるには幼すぎました。
他の鎌倉幕府の重臣を推す声もあり、幕府内は、内覧状態になりました。
北条泰家は、執権争いにうんざりして、出家してしまい、もう1人の執権候補者、家臣・金沢貞顕(かなざわさだあきら)が執権についたのです。
が、今度は、北条泰家が、新執権の暗殺を計画している、という噂が流れ、恐れをなした金沢貞顕は執権職を投げ出す、というなんとも、後味の悪い結末でした。
もしかしたら、この事件で、北条泰家は、兄の一族を恨み、北条家を乗っ取るとか、滅ぼしてやろう、とか考えたのでは?と私は思いましたが、
これ以降の北条泰家の行動を見ると、そうではないのです。
北条泰家、北条家再興を目指す!
北条泰家は、幕府の再興、そしてその存続を非常に願っています。
1333年の鎌倉幕府滅亡の時は、燃え盛る炎の中から、甥・北条時行を逃し、自分も北条の残党の起こした反乱に力を貸し続けていました。
名前を変えてまで後醍醐天皇暗殺計画に加わったほどでした。
北条泰家から感じられるのは、自らが日本という国を収めよう、という気持ちより、
「なんとしてでも、北条一族の誇りを守り抜こう」とする心意気です。
史実の北条泰家は、騙し合いが飛び交った南北朝の時代の流れから、北条一族が生き延びるためには、綺麗事だけではダメで、勝つためには冷酷さも必要、
と考えたからの、北条泰家の行動だったと思います。
これが、鎌倉幕府創立以来の、東国武士の執念かもしれない、と私は思い始めてきています。
北条泰家は裏切り者なのか?
北条泰家は、漫画やアニメの視聴者から「裏切り者?」と思われることが多かったようですが、実は裏切ってません。
自分が裏切られていたというのが正しいです。
北条泰家、裏切られる!分倍河原の戦い
裏切りにあっていたのは、北条泰家の方だったのです。
これは北条泰家に対するというより、鎌倉幕府そのものに対する裏切りですが。
1333年、鎌倉幕府滅亡の時、もともと鎌倉幕府の家臣だった足利尊氏、三浦一族が、鎌倉に攻め入ってきた、新田義貞(にったよしさだ)に味方したのです。
新田義貞軍と、北条泰家を大将とする鎌倉側が、関東地方の分倍河原(現在の東京都府中市、古戦場跡の碑がある)でぶつかり合い、北条泰家がわは敗北します。
このあと、勢いに乗った新田軍は、鎌倉に攻め入り、鎌倉幕府はついに陥落したのでした。
北条泰家、腹黒く見えた?
執権の弟として生まれ、執権の職につくことになって、それが叶わなかった、となれば、権力欲が出てくるかもしれない、と思ったのですが、
どうも、北条泰家は、そんなに権力を欲しがる腹黒いタイプではありません。
北条泰家にまつわるエピソードを、『太平記』に見ると、腹黒いところがあるのでは?と思われるところもありますが、どうも泰家の行動は、北条家再興への想いから出るものでした。
例えば、
鎌倉幕府が襲撃され滅亡するとき、北条泰家は「自分は再起を図るため、奥州まで逃げる」と言って、逃亡。
そのとき、まず甥の北条時行を逃し、残った自分の部下約20名は鎌倉において、
「お前たちは、館に火を放ち、お前たちも自害し、自分(泰家)が死んだようにに見せかけよ」と言い残しました。
これを見ると、部下を見殺し?こいつは非情なやつだ!と私たちに思わせますが、
鎌倉時代の武士道では、『主君の身代わりに死ぬこと、主人の血筋(北条家)を残すこと』が何より大切なことでした。
実際、部下たちも文句言わず切腹した、ということが伝えられています。
北条泰家、後醍醐天皇暗殺を計画
北条泰家はは、のちに、後醍醐天皇の暗殺を計画したところにあります。
実際は失敗していたのですが、そこで逃げ出していたのだから、腹に一物ある人物かも?という疑いを持たれてしまっているのかもしれない、と私は思っています。
ここで、北条泰家が「裏切り者」と言われるのは、後醍醐天皇から見ての「裏切り者」なのです。
なにしろ、朝廷(後醍醐天皇)に刃向かうのですから、北条泰家は朝廷に、後醍醐天皇に従わない、そして暗殺を企てたから、裏切り者、と見られているのです。
まとめ
北条泰家は、逃げてばかりに見えて、実は北条家のために必死だった人です。
鎌倉が滅びるとき、甥の時行を助けて自分は逃げましたが、それは家臣たちとの約束を守るためでした。
執権になれなかったことで腹黒いと思われがちですが、本当は北条家の再興だけを願っていた人です。
裏切り者と呼ばれるのは、後醍醐天皇の暗殺を企てたからで、朝廷側から見た裏切りにすぎません。
最後は信濃での戦いで命を落としたと考えられています。
北条泰家の、これからの「逃げ若」での活躍が、どう時行を助けていくのかをみるのは楽しみです。
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