アンブーリン、弟と共にロンドン塔で処刑の王妃。6本の指を持つ魔女が処刑理由?首を切られ墓所に。愛用していたネックレス?グリーンスリーブスはアンブーリンのため?  

16世紀、イギリス王妃となったアン・ブーリン・・・・しかし3年足らずのうちに、罪に問われ弟と共にロンドン塔で処刑されてしまいます。処刑されましたが今はお墓で眠っております。

処刑理由は何だったのでしょう?魔女だったからという理由?指に特徴がありそれが魔女と思われたのでしょうか?でっち上げの罪か?

グリーンスリーブスという曲は、アン・ブーリンに捧げれた歌だったのでしょうか?またアン・ブーリン をモデルにしたイタリアオペラもあります。

魔女と呼ばれた理由、指が6本あった?ネックレス愛用のわけは

指が6本?(片手にですが)と聞くと、「え?」と思われるかもしれません。しかし指が多い、と言うのは多指症として先天性の症状として出ることがあります。ですが現在では手術での治療が可能です。

しかし迷信がまかり通る16世紀でしたら、ないはずのものがある、それこそが魔女の印、とみなされる傾向はあるのでしょう。自分の乳母にさえも「悪魔の印を持ったこの子は将来、国を滅ぼすようになるかもしれません」とまで言われていました。

アン・ブーリンには指が6本あったということはよく知られている話ではあるのですが、現代でも確かな証拠はまだ見つかっていないようです。

また黒子やイボも悪魔からの印、として忌み嫌われていました。

アン・ブーリンには首のところにも目立つホクロがあった、と言われてます。Bイニシャルにしずく型パールを下につけたネックレスをつけている肖像画を目にしますが、黒子を隠すためという説もあります。

ところでこのデザインのネックレス、最近思いもよらないところで目にしました。 TVドラマ「アグリー・ベイティ」のなかで、これは時代物でもなんでもないドラマですが、主人公ベイティがこれと同じものを愛用していました。「アグリー・ベイティ」は決して美人とは言えないヒスパニック系の主人公のベイティが1流のファッション雑誌のエディターを目指して切磋琢磨する話です。どこかアン・ブーリン と共通点があるのかなと思いましたが、どうもその点は見出せませんでした、残念ながら・・・

アン・ブーリンはネックレスも使いこなしていましたが、悪魔と呼ばれた指についても気にせず、むしろ指を目立たなくさせるような指が途中まで隠れるような長袖のドレスを着用して、それが上流婦人たちの間で流行したほどです。

とにかく信心が強く迷信がまだは蔓延る時代であれば、正規の王妃を離婚、となれば神に背く行為として、その原因となったアン・ブーリンを外見的特徴から見て魔女視するのも無理ないことなのでしょう。

それに黒子のこと、指のことと噂でもあれば、ああやっぱりね・・・・と当時の人ならそう考えるかもしれません。

アン・ブーリン、ヘンリー8世から謂れのない罪を着せられ、弟との関係まで持ち出された告発、これが処刑理由に

女子しか生まないアン・ブーリンを見捨てて次の女性と結婚したくなったヘンリー8世はとにかく理由を作り上げアン・ブーリンと離婚しようとしました。

男子が欲しい、男子を産める女性と正式な結婚をしたい。それだけの理由なら、キャサリン王妃の場合と同じように離婚すればいいだけの話なのですが、処刑してしまったのはなぜでしょうか?

アン・ブーリンは国民に人気がありませんでした。キャサリン王妃の方がずっと人気がありました。キャサリンについては、義理の弟と結婚したから神の怒りに触れて男子が授からないのだ、という声が最初の頃はありましたが、貧困の庶民に施しをするなど慈悲深く温和な性格で好意を持たれていました。

それに対して、アン・ブーリンは性悪な性格に見られていました。王をたぶらかした「ギョロ目の娼婦」などど揶揄されることもありました。慈悲深いキャサリンを追いやって王妃の地位につき、キャサリンの嫁入り道具であった宝石も取り上げ、キャサリンの娘のメアリーを庶子扱いにして自分の娘エリザベスの養育係の侍女にしてしまった、などとかなり横暴なやり方をしていました。厚かましい限りにみえますね。

ヘンリー8世はそこまでアンに対してしてやったのに、一向に男子を生んでくれない。一度懐妊し他田と思ったら、流産してしまいました。その子供は男子だったそうです。その時、ヘンリー8世は「私はお前に王妃の地位をやった、それに対してお前は私の子供を死なせただけではないか」と言って心が離れる言葉を投げかけます。

ヘンリー8世はついに、男子が生まれないのはアン・ブーリンがひょっとしたら魔女で、呪いをかけたからかもしれない、とだんだん思うようになってきました。だからアンをどうにか排除しようと画策します。

ヘンリー8世の思いと側近たちの思惑がここで重なります。アン・ブーリンの親族は宮廷で力を持つようになってきており、その他の側近たちの反感を買っています。反感を持つ側近、アンと離れたい王が一緒にアンの不義密通のでっち上げ、排除し処刑へと追いやろうとします。

まずはアン・ブーリンの不義密通から。その相手を次々と捏造して行きました。5人くらい?宮廷音楽師のスミートンもその中にいました。スミートンは拷問の末、密通を告白したと言います。

さらにアン・ブーリンとアンの弟、ジョージ・ブーリンとの近親相姦の罪も作り上げました。近親相姦を讒言したと言われるのがジョージ・ブーリンの妻ジェーンだったと言われています。ジェーンはもともとアンとは仲が悪かったようで、そしてアンとジョージの仲が良すぎることで、アンに良い感情を持っていませんでした。

ついに罪状は不義。しかもこの結婚は無効。無効の結婚から生まれたエリザベスは庶子とする。こう下されました。

しかし・・・・ちょっと待ってください。結婚が無効なら不義になるわけがないじゃないですか?これは大いなる矛盾です。当時の人たちもここに矛盾を感じたかもしれませんが、あえて誰も異を唱えなかったのでしょう。逆らったらひょっとしたらこちらの首の危ういから。

これより後、ヘンリー8世は次々と王妃を処刑する王・・・として歴史に知られるようになりました。と言っても処刑した王妃はあと一人だけでしたが。その王妃はキャサリン・ハワードと言ってアン・ブーリンの従姉妹に当たる女性で、ヘンリー8世の5人目の王妃でした。そう、ヘンリー8世は生涯6人の女性と結婚しました。うち男子の後継者を授かったのはアン・ブーリンの次の王妃でした。

アン・ブーリンの最後は?ロンドン塔から処刑人の手に 墓は今も存在

アン・ブーリンは罪状に問われてからロンドン塔に収監され、ロンドン塔広場タワーグリーンで斬首刑に処せられます。

当時の斬首は斧なのですが、このアン・ブーリンについては諸説あります。いつもロンドン塔で処刑を行う際の処刑人だった説。フランスから剣での処刑に慣れた腕の良い処刑人を呼んで剣で切らせた説。

処刑が決まってからのアン・ブーリンは、自分の首は細いからうまく切れるのかしら・・・?と心配そうに語っていました。

斧説の方は、処刑人が切ろうと斧を持ち上げると、アン・ブーリンはビクッと首をすくめたのでうまく当たるように振り下ろせない。そこで自分の助手に声をあげて剣を持ってこさせ、アン・ブーリンがその声のした方に首を向けたときにすかさず、剣を振り下ろして一撃で首を落とした、という話です。

どちらの説が正しかったにせよ、とにかくアン・ブーリンの首は剣で落とされたことになります。

もう少し後の処刑の場合、斧で一発できれずに何度も切りつける羽目になった処刑の話から比べると、速やかにすんだ処刑だったと言っていいのでしょうね。聞くだけで身体が痛くなってきてしまいました。

アン・ブーリンの処刑を姉妹のメアリー・ブーリンが助命嘆願をした噂が流れて、ひょっとしたらヘンリー8世より死刑中止の恩赦が出るかもしれない、という期待があり、処刑後の棺を用意していませんでした。ですが恩赦はなされず、処刑は行われ遺骸は弓用の箱に入れられました。

その後、ロンドン塔内のセントピーターアドヴィンキュラー礼拝堂に埋葬されました。この礼拝堂にはアン・ブーリン以外にも処刑された貴人たちが葬られています。この場合、処刑された・・・イコール王にとって不都合な人たち。アンもそうですし、アンの兄弟ジョージ、同じくヘンリー8世の王妃となってまた不義の罪を犯したキャサリン・ハワード、最初の王妃キャサリンとの離婚に反対した学者のトーマス・モアなどなど。ロンドンで一番悲しい場所と言われています。現在では、ロンドン塔に在住する職員たちが普通に礼拝に通い、冠婚葬祭に使われています。現代でも祈りの場所となっているので、祈りで彼らの魂が救われていることを切に望んでいます。

また処刑の場となっていたタワーグリーンは広場になって、給水機のある水飲み場になっています。なぜ水飲み場なのかその真意はわかりません。

グリーンスリーブスはこの時代の曲、そしてオペラになるアン・ブーリンの話

グリーンスリーブス、この曲は誰でも知る曲で多くに人に愛されています。作曲者誰?と聞いてもよくわからない。

Alas! My love you do me wrong to

Cast me off discourteously …

と、自分をひどく振って捨ててしまった相手、緑の袖の人に対し悲しみを訴えかける失恋ソングです。

グリーンスリーブスは16世紀の歌です。作曲者は不詳です。ヘンリー8世がアン・ブーリンに対し作ったという言い伝えもあります。はじめの頃、アン・ブーリンはヘンリー8世の求愛を断っていましたから、グリーンスリーブス (緑の袖の衣装を着た女性、つまりアン・ブーリンに振られた、アン・ブーリンはつれない女性)という歌の内容に当てはめ、こうであったらきっと素敵だな、という思いが先行した伝説だと思います。

しかしシェイクスピアの、ちょうどヘンリー8世没後から50年ほど経った1600年初めに書かれた「ウィンザーの陽気な女房たち」の中にグリーンスリーブスの歌のことが出てきます。ここからもわかりますように当時から人気があった曲だったと伺えます。

グリーンスリーブスは現代でもアレンジがたくさん出ていて愛されている1曲です。

またこの劇的の王妃、アン・ブーリンを扱ったオペラもあります。イタリアの作曲家ドニゼッティが「アンナ・ボレーナ」が1800年代に作曲します。アン・ブーリンのイタリア語読みです。他にもヘンリーはエンリーコ、3番目の王妃ジェーンがジョヴァンナとなり英語に慣れている者としては、あの話、とは思い付きもしませんでした。

アン・ブーリンは16世紀当時は、魔女だ、娼婦だ・・・と言われから反感を買った人物でしたが、歴史は流れると人々の興味を集め共感さえ呼び起こすようになり、今ではロンドン見物にはアン・ブーリン所縁の地を外せないほどの観光スポットとなりました。シェイクスピアと並ぶ観光大使と言っても多言ではありません。

アンは当時、たおやかな女性が人気を集める時代では「嫌な女」「生意気な女」と見られていましたが、その性格も今では自我をしっかりもったブレない生き方をした人物として人々の心に捕らえられています。

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