メアリー1世、エリザベス女王の姉 カトリック教徒。父親に反発 肖像画か性格が。フェリペ2世と結婚、子供は?ブラディーメアリー、カクテルの語源

メアリー1世・・・エリザベス1世の母親違いの姉で、父親はヘンリー8世。カトリックを国教に推し進め、反対者を数多く処刑しました。

肖像画を見るとこれまでの生涯の厳しさ、性格が見えてきます。身長もそれほど高い方ではありませんでした。

しかし、結婚を夢見てフェリペ2世という他国の王と結婚しましたが、ついに子供は残しませんでした。

ブラディーメアリーといういうウォッカベースにトマトジュースを加えたカクテルがあります。その名前の語源がメアリー1世です。数多くのカトリックに反対する人たちを処刑したところから名付けられました。

ドラマや映画ではあまり登場しないキャラクターですが、次の黄金次第の登場を待つ過渡期の重要人物です。

残忍さを後世に残した女王でありましたが、最近では再評価もまたされています。

メアリー1世、父の定めた国教をカトリックへ戻す、母への想いか?そして大勢を処刑

16世紀を生きたイギリス女王(在位1553~1558)で、カトリックを深く信奉していました。当時イギリスは宗教改革が始まったばかりの時代でした。

父親ヘンリー8世の時代に国の宗教がプロテスタントになり、次の王エドワード7世(メアリー1世とエリザベス女王の弟)もまたプロテスタントを踏襲していました。

ですがメアリー1世が王位に就くと、カトリックを再びイギリスに蘇らせるのを自分の務めとしました。母への思慕から母の故国の宗教に戻したかったのかもしれません。そしてプロテスタントに激しい弾圧を加えました。

激しい弾圧の末、プロテスタントの司教たちを次々とらえて処刑しました。その中には父ヘンリー8世とアン・ブーリン(エリザベス女王の母)の結婚を執り行ったトマス・クランマーも含まれていました。司教たちだけでなく、庶民への処刑ももちろんのこと、300名以上に渡るプロテスタント教徒を処刑したことになります。当時の異教徒への処刑は火刑でした。

メアリー1世の若い頃の環境は?

メアリー1世の父親はイギリス王ヘンリー8世、母親はスペイン王女です。

イギリス王とスペイン王女の結婚なのでまさに良縁。後継者となる子供の誕生が待たれたのですが、生まれて成人になるまで育ったのはこのメアリー(のちのメアリー1世)だけでした。そこでメアリー1世(メアリー王女)を皇太子プリンセス・オブ・ウェールズとします。

後継となる男子を望むがゆえに、キャサリン・オブ・アラゴンを離別して、アン・ブーリンと結婚したのですが、その時にキャサリンとの結婚を無効にして娘のメアリー1世(メアリー王女)を、こともあろうか庶子の身分に落としてしまうのです。

しかも、母親キャサリンが、自分を王妃と人に呼ばせ続けていたことを禁じるために、ヘンリー8世はメアリーとキャサリンを引き離して、キャサリンが王妃という名称を捨てるまでは絶対に娘に合わせない、という仕打ちを与えました。

しかしキャサリンは自分と娘のメアリー1世(メアリー王女)の名誉を守るため、ヘンリー8世の命令には頑として応じません。ついにキャサリンは病に倒れ死ぬことになりますが、それでも首を縦に降らなかったので、メアリー1世は母親の死に目にも会えなければ、没後に墓所に訪れることも許可しませんでした。

メアリー1世の性格形成理由、身長に影響した環境

メアリー1世(メアリー王女)は、母が死んだ時は20歳でした。母が離婚してアン・ブーリンと結婚した時には17歳。

ということは両親のゴタゴタした離婚劇、父親の不倫に巻き込まれた時期はメアリー1世(メアリー王女)がまだ10代の多感の時期でした。それに両親の離婚騒動は約6年続きましたので、本当に10代を不安定な状態で過ごしました。しかも国の後継者として扱われたと思ったら、両親の婚姻の無効により突然庶子へと変わるジェットコースターのような青春時代でした。

それでも、ヘンリー8世は子供に愛情を注ぐ父親でした。メアリー1世(メアリー王女)は幼いときは可愛らしく、利発で向上心があり父親によく懐き、ヘンリー8世も大変可愛がっていました。しかしアン・ブーリンとは、結婚に際して他の妻の(愛妾も含む)子供は顧みない、との約束を取り付けました。そこでメアリー1世(メアリー王女)その他の庶子たちをあまり大事にしなくなりました。どんなにアン・ブーリン にのぼせ上がってるんだ・・・・とこの点に怒りを感ぜずには入られません。

メアリー1世(メアリー王女)はとにかくヘンリー8世の直系の娘で、ヘンリー8世の2番目の結婚時にはすでに成人年齢に達しており、判断力もあり、メアリーを立てる臣下もいると思われていました。ですからアン・ブーリン側は自分の生んだ娘エリザベスの障害にならないようにしていました。そのため密かにメアリー1世(メアリー王女)の毒殺まで考えていたとの噂があります。メアリー1世(メアリー王女)側は用心していたようです。

どんな用心かというと、食べ物には絶対注意です。その結果メアリー1世(メアリー王女)は身体の成長に栄養素が必要な時代に、あまりたくさんの食事が摂れなかったようです。毒殺の危険だけだなく、実際に金銭面でもアン・ブーリンの差し金で断たれ生活でも困難がありました。

身体面でも、また母親から遠ざけられたことからくる精神面での不安が、その後のメアリー1世(メアリー王女)の発達にまた人生に大いに影響しました。

その結果、メアリー1世(メアリー王女)は、もともと小柄ではありましたが、身長があまりのびず、性格も潤いにかける女性になってしまったと言います。

メアリー1世、その後の生涯 フェリペ2世との結婚、子供は?肖像画に見る容貌

メアリー1世の母親を追い出した、アン・ブーリンが失脚、処刑後、メアリー王女はどうなったでしょう?

ヘンリー8世の3番目の王妃ジェーン・シーモアは男子を生みます。この王妃は穏やかな性格の女性で、メアリー1世(メアリー王女)とエリザベスを宮廷に呼び寄せます。

その後ヘンリー8世の最後の王妃のキャサリン・パーのとりなしにより財産がメアリー1世にも返還される下りとなりました。

ヘンリー8世の死後は、唯一の男子がエドワード6世として王位につきますが、病弱のためわずか16歳で亡くなります。

さあ、ここからいよいよメアリー1世登場です!王位争いに打って出て、その時立てられた女王ジェーン・グレイを処刑してうちに王位につきます。

王位就任後は、プロテスタン迫害に取り掛かったのは前述の通りです。

メアリー1世は当然ながら、エリザベスを憎んでいました。そのため王位を継ぐのは自分の子供であるべき、という強い希望がありました。

後継者を産むためには結婚しなければなりません。結婚相手に選んだのはカトリック教国スペイン王フェリペ2世です。フェリペ2世との結婚は反対意見も多くありました。メアリー1世にとっては従兄弟の子という関係ですが、スペインは当時1大強国でイギリスがスペインに併合させられるかも、という恐れがありました。

結婚当時、メアリー1世38歳、フェリペ2世27歳。年の差11歳。若いフェリペ2世はイケメンで知られた王。メアリー1世は恋に落ちましたが、フェリペ2世は・・・・結婚に向けたお見合い写真とした肖像画が今でも残っていますが、メアリー1世は意地悪い老けた印象です。結婚用の肖像画というのはだいたい割増して良く見えるよう描くものですが、それでもこのように見えてしまうなんて・・・・もしかしたら実物はもっと?

結婚はどちらかが片方の国に住むのではなく、時々訪れる形でした。と言ってもフェリペ2世がイギリスに行っていましたが。フェリペ2世にとっては義務のようだったらしいです。

38歳という年齢では当時では子供を持つのは難しかったことと思われます。それにメアリー1世は卵巣腫瘍を患っていました。腫瘍のためお腹が膨れるのですが、メアリー1世はそれを妊娠だとずっと言い続けていました。想像妊娠の疑いもありました。それでは何年たっても子供は生まれません。

子供が生まれない以上、メアリー1世は異母妹のエリザベスをいくら憎もうとも、処刑して排除するわけにいきません。イギリスの後継者になってもらわなければなりませんから。ずっとずっとエリザベスを投獄するなど苦しめた後、いよいよ死期を迎えた最後になってやっとエリザベスを後継者とします。

メアリー1世の再評価

メアリー1世の治世は大量の処刑、敵国スペイン王との結婚で、イギリスを大国の属国となる危険性に晒したという意味で、イギリスの黒歴史的な扱いをされていますが、現在では当時のイギリスの状況からでは、必然的な反動的動きということも可能です。

ヘンリー8世の時代に急にプロテスタントに宗旨替えとなった、でも国内にはまだカトリックの信者がたくさんいる、と考えるとカトリックに戻したい人々がいてもおかしくありません。

またカトリック王との結婚だって、女性ばかり生まれてしまう状況を見れば、女性の君主を望まない人だあっているでしょう。それなら、とにかくある程度以上の家柄の王家との婚姻に基づく王位継承者が欲しい、とだって思われるでしょう。現代だって女性の王位継承権を巡って議論されているのですから。

しかし同時に考えてしまうのが、メアリー1世を作り上げてしまった環境のことです。生来は利発で人々に愛される美少女が、周りの「大人の事情」に振り回され、心の拠り所であるはずの母親からも引き離され、暗殺の恐怖に怯え・・・美しかった容貌も損なわれ、心の中に残ったのが憎しみ。そんなに哀しい人生ってどんなものでしょうか?ある意味人の手で作られた負の歴史、そう言っていいのかもしれません。

数多くの人を処刑した イコール 血塗られたメアリー、Bloody Mary(ブラディー・メアリー)の名を持つカクテル

いつ頃誰が考え出したのでしょう。あるカクテルにBloody Mary(ブラディーメアリー)と名前がつきました。ウォッカベースにトマトジュースを加えたもの。時にレモンも搾り入れます。カクテルに使用するトマトジュースの質感が血に似ている?でも血なまぐささなど全く無く、しゃれた人気のあるカクテルです。

アルコール度はちょっと強め?ですがトマトジュースで割っているため、なんとなくヘルシーなイメージと受け取られ二日酔いの向かい酒で飲む人もいるとか。さらにタバスコ、ウスターソースを加え、スパイシーな香りで飲みやすさを感じさせるカクテルですが、アルコール度は結構強いので一気飲みすると目が回るかもしれません、ご用心を!

ブラディーメアリーを片手に遠い16世紀の一人の哀しい、寂しい女性に思いを馳せるひと時もいいものですよ。

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