諏訪頼重(逃げ若)、顔の皮を剥いだ?自害した最後。忠義厚くかっこいい。刀持ってた?未来予知能力?性格は?子供がいた!その活躍は。頼重二人。

「松井優征」先生の、漫画「逃げ上手の若君」がアニメになって放映中です。(2024年7月)

諏訪頼重は、主人公 北条時行の家臣となる人物です。

諏訪大社の神職の家系のもので、武人でもあり、史実では忠義の人物と知られています。

史実では、「顔の皮」を使ったトリックが知られています。

その人生は、かっこよかった。

あまり、記録が残っていない、諏訪頼重ですが、「逃げ上手の若君」を通して、その実体に迫ってみようと思います。

諏訪頼重の「顔の皮」の史実とは?

諏訪頼重は、北条時行と似た背格好の死体を探して、顔の皮を剥いで、時行の身代わりにした、ということが、「太平記」に書かれていました。

この戦いは、1335年、中先代の乱(なかせんだいのらん)と呼ばれています。

北条時行が、鎌倉を北条家に、足利家から取り戻そうとした戦いです。

しかし、北条時行、諏訪頼重の軍は、鎌倉の勝長寿院(しょうちょうじゅいん)に追い詰められ、多くが自害しました。

足利軍は、見たのは、43名の顔の皮が剥がされていた、という恐ろしい場面でした。

これは諏訪頼重の知恵でした。

諏訪大社の神官を務めていた諏訪頼重にとって、動物の皮を剥ぐことは容易いことでした。

それは諏訪の神様への捧げものは動物の肉だったからです。

「中先代の乱」については、日本中世史研究科 鈴木由美さん著作「中先代の乱 北条時行、鎌倉幕府再興の夢」という書物でくわしく書かれています。

諏訪頼重の最後

諏訪頼重は1355年、足利尊氏に追われ、鎌倉の勝長寿院に追い詰められたところで、自害してその生涯を終えます。

これは、歴史上 中先代の乱と呼ばれる反乱です。

諏訪頼重が、自分が仕えた北条氏の、生き残りの息子、北条時行を立てての反乱です。

目的は鎌倉幕府の再興。

諏訪頼重・北条時行の軍勢は一度は鎌倉を取り戻しましたが、それもほんの20日ほどの間だけです。

足利尊氏にたちまちのうちに、追い詰められてしまいました。

諏訪頼重の最後は、「太平記」に書かれています。

ここで一旦、中先代の乱は収束を迎えます。

諏訪頼重、自害はなぜ?

諏訪頼重と北条時行の軍は、足利尊氏の軍に追い詰められて、勝長寿院に立てこもります。

そこで自害するのですが、なぜ自害したのでしょうか?

それは、北条時行を逃すためです。

「中先代の乱」は実は諏訪頼重が中心となって起こした反乱です。

総大将は、北条時行ですが、まだ10歳になるかならず名目上の大将でしかありません。

しかし、北条氏の生き残りですから、北条家の残党を集めるには非常に大切な存在です。

自分の命を投げ打ってまで、北条時行を逃したいと思う理由は、単に再び北条側に支配権を取り戻すだけではなく、足利が大嫌いだったのではないか、と私は思うのです。

自分の信濃内での所領を、足利に没収されて、足利の武将に与えられたから、恨んでいた、そう私は考えています。

諏訪頼重、忠義の人

「逃げ上手の若君」の諏訪頼重は、ふざけた人に見えますが、実は忠義の人物であるのです。

ではなぜ諏訪頼重に忠義心があったのかその理由を書き出してみましょう。

諏訪頼重と北条家の結びつき

諏訪市は鎌倉時代の初期に、北条家から、信濃地方に多くの土地を与えられました。

それが、北条家が滅ぼされた時、諏訪頼重の幕府での役職が取り上げられ、別の者に与えられました。

当然、諏訪氏は、取られた役職を自分のもとに取り戻したくなりますね。

それには、北条の生き残り、北条時行を担ぎ上げるのが一番だったわけです。

中先代の乱とは、起こした人は、歴史上で北条時行、となっていますが、本当のところは、主となって動いたのは、諏訪頼重です。

「大日本史料」によると、諏訪頼重が反乱を起こしたと、書かれています。

悪くいうと、諏訪頼重は北条時行を利用したんじゃないか、と私は見るのですが。

ちょっと見ると、諏訪頼重は悪い人間にも見えるのですが。

諏訪頼重、忠義は歴史が証明する

諏訪頼重は、鎌倉幕府を取り返したら、北条時行をどうしていたでしょう?

使うだけ使って、鎌倉幕府を自分のものとして、北条をここで見捨てる?

諏訪頼重・北条時行 軍は一時的にしか、鎌倉を取り戻せていないので、なんとも言えません。

ですが、諏訪頼重の最後の記録を見ると、やはり忠義心があった、といえます。

北条高時の弟に頼まれて、幼い北条時行を諏訪まで逃し、自分の手元で保護します。

その間、諏訪頼重は、北条時行を、足利側に売り渡さなかったものだな、と私は感心したほどです。

なにしろ、戦乱中は自分の家のために、裏切りをすることは珍しくなかったからです。

また、絶体絶命の中で、北条時行を奇策を用いて、脱出させたところはやはり忠義心があったからでしょう。

諏訪頼重、かっこいい!

「逃げ上手の若君」の諏訪頼重は、見た目は、スッキリ顔の美男、でも時々くずれた、というか、ふざた顔立ちになります。

北条時行を、諏訪にかくまう時には、

「あなた様の中には英雄の輝きがある。(足利尊氏は、殺すことで英雄になり)時行様は生きることで、英雄になる」のセリフは、とてもかっこいいです。

このセリフも、名言と言いたいところですが、実際の記録には兄のでそう言い切ることはできません。

では本当にどこがかっこいいのか?

それは諏訪頼重と北条時行との関係にブレがないことです。

最初に、鎌倉幕府の最後の執権 北条高時の弟から時行を託されました。

諏訪頼重は、北条時行を連れて信濃(長野県)に向かいます。

北条時行が、挙兵する時には、協力を惜しみませんでした。

ついには、負けることになるのですが、その時でも北条時行に対して裏切る、そんな心はありませんでした。

北条時行を裏切らない、見捨てない、諏訪頼重の生き方がかっこいいのだ、と私は深く思います。

諏訪頼重の刀

「逃げ上手の若君」の中で、諏訪頼重の刀は、なんだか面白い形をしています。

刀の刃が緩い波型にうねっています。

「鬼滅の刃」の伊黒小芭内の刀に似ている!(あれほど、うねうねしていない)

両者の刀は全く違うものですが。

諏訪盆地にある、フネ古墳から、この漫画・アニメで使われた刀とよく似た刀が出土しています。

この形状の刀は、蛇の動きに似ているため「蛇行剣」(だこうけん)という形に分類されています。

日本では、フネ古墳以外でも出土されており、それはどこも、水を祀るところであり、蛇や龍に関係してきます。

諏訪頼重の場合も、諏訪大社の祭礼を司る人物というキャラクター性を作るため、水に関係する、「蛇行剣」を持たせた、と私は思っています。

「蛇行剣」を持つのはキャラクター性のため、実際にはこの剣を、諏訪頼重は使っていないと、私は考えています。

しかし、「蛇行剣」は古墳から出土した、と考えると、実践用の剣というより祭礼で用いる剣ではないでしょうか?

漫画・アニメの諏訪頼重は実践的に使っています。

きちんと、刀としての役割が果たせるかどうか、疑問です。

諏訪頼重、未来予知できる?

諏訪頼重は「逃げ上手の若君」の中では、未来予知ができる、ことになっています。

しかし、調べてみても、どこにも諏訪頼重に、未来予知ができる能力があるという記載は見つかりません。

ここから考えると未来予知は、作者「松井優征」先生によるフィクションの可能性が高い、と見えます。

諏訪氏といえば、武家でもあり、諏訪大社の神官の家系でもあります。

ですから、大きく人の信仰心を集める、神社の神官で武将も兼ねていたから、諏訪頼重は予知能力のある人物として、登場させた、ということだと私は思います。

武家としても、神官としても世襲制の家柄です。

そんな、大きな神社の神官だからこそ、人々は、諏訪頼重が予知能力をはじめとする、神通力を持っていてもおかしくない、と実際に領民から見られていたかもしれませんね。

予知能力があると言っても、「逃げ上手の〜」の中では、その能力は断片的なものなので、いつも北条時行たちに、「インチキ」扱いされるのですが。

諏訪頼重の性格

漫画、アニメ「逃げ上手の若君」に登場する諏訪頼重は、物語最初から「ぶっ飛んだ」ギャグっぽい性格に見えます。

本当のところははどうだったでしょう?

「顔の皮」で見るように、自己犠牲を払って、大義を通す性格でした。

大義とは忠義ですね。

幼い10歳になるかならない北条時行を、主人として鎌倉幕府の再びよみがえらせようとしたとこから、野心家としての性格がうかがわれます。

幼い北条時行を総大将に持ち上げた、ということは、なかなかの策士である、という証拠です。

そうでないと、落ちぶれた北条の息子に、鎌倉幕府の残党が大人しく従っているわけがありません。

諏訪頼重は、北条時行を利用しつつも、立派な武将となるように教育して行った、養育係の役割も果たしたことになります。

諏訪頼重の思い切ったことをやってのける性格を誇張したのが、漫画、アニメでの「逃げ上手の若君」での、諏訪頼重です。

諏訪頼重の子供は

諏訪頼重には、4人の息子がいますが、最後が知られているのは 時継(ときつぐ)だけです。

息子の一人 時継(ときつぐ)は、父 諏訪頼重と一緒に、鎌倉の勝長寿院で自害しました。

父親と一緒に自害した、という立場なら、時継はおそらく、諏訪頼重の長男だと思われます。

そう思われる根拠には、時継の息子は頼継と言って、諏訪家が代々継いでいる、神官の職(大祝 おおほうり)についているからです。

諏訪頼重は、生年月日がはっきりしていません。

だから何歳で亡くなったか、わかりません。

予想すると、1335年、自害した時には息子 時継も一緒に、さらに時継にはすでに息子がいた、ということなら、諏訪頼重の年齢は、若く見積もっても、30代後半〜40代あたりでしょうか?

「逃げ上手の若君」の中には、雫(しずく)という女の子が諏訪頼重の娘となって、登場してます。

雫という娘は、伝承では、諏訪頼重の娘として出てくるのですが、その娘の存在を記してある、史料は見つかっていません。

この伝承を利用して、小説・物語では「雫」という女の子を諏訪頼重の娘として、登場させています。

諏訪頼重、「逃げ上手の若君」で活躍が光輝く

2024年 7月 アニメ「逃げ上手の若君」の放映がスタートしました。

原作は、松井優征先生の漫画「逃げ上手の若君」です。

その活躍は、きらりと光っています。というより、いつも後光が差したように、光輝くと登場です。

「逃げ上手〜」に登場する、諏訪頼重は、史実と同じよう、諏訪大社の神官を務める身で、人々の尊敬を集めています。

が、しかし、登場する態度はいつもチャラいです。

チャラいのは史実では確認できず、これは作者の話を面白くする演出だと思われます。

史実は、北条時行の逃避行ですが、新政権に追われているストーリーだけだと、非常に苦しい展開になるのではないでしょうか?

だからこそ、場面の緊張をほぐすためにも、諏訪頼重のような、おふざけを出す性格は必要だと思います。

諏訪頼重あっての「逃げ上手の若君」だ、と私は考えています。

諏訪頼重、二人いる!

歴史上に、諏訪頼重という人物は二人います。

一人は、鎌倉末期〜南北朝にいた、「逃げ上手の若君」にも登場する諏訪頼重。

もう一人は、戦国時代に登場します。

こちらの諏訪頼重の代で、武田信玄(たけだしんげん)に敗北されられます。

その娘は、武田信玄の側室 諏訪御料人(すわごりょうにん)でその息子が、武田勝頼です。

どちらの諏訪頼重も、乱世の時代に活躍し、敗れます。

諏訪頼重と諏訪大社

諏訪頼重は、諏訪大社の、神官で、諏訪大社では重要な役職を務めています

諏訪大社は、その起源がはっきり示されていないのですが、日本最古の神社の一つとされています。

諏訪大社の本宮祭神は、大国主(おおくにぬし)の子供と、古事記にあります。

諏訪大社(神社)は、水や風の守護神で、五穀豊穣のため、また武勇の神として信仰されています。

諏訪大社の神職は、大祝(おおほうり)と呼ばれます。

私たちが普通、神社で呼んでいる、「神主」に相当します。

「大祝」は、祀られている諏訪明神の、依代(よりしろ、つまりこの人に、神霊が宿る)、または現人神(生き神、のような立場)、という役割があります。

諏訪大社の、祭事を司る「大祝」は、「諏訪」姓を名乗っており、世襲制です。

諏訪氏に特徴的なのは、神官であると同時に、武官でもあるところです。

神官と武官の両方を兼ね備えた人物が、諏訪頼重です。

その神秘さを出すために、「逃げ上手の若君」の諏訪頼重は、ミステリアスでちょっと神通力があるような描かれ方をしているのでしょうね。

武家としたの、諏訪家は、武田信玄に滅ぼされますが、分家が1750年代まで、残っていましたが、その家柄も絶えました。

別の分家は残り、明治維新で華族となりました。

ですが女系で、その子孫は現代にも続いています。

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