浅井長政(あさいながまさ)は、お市の方の夫で、織田信長に敗れ…妻と娘3人を残し、という話は、これまで「大河ドラマ」で描かれ有名です。
ですが、それ以外の人物像に関しては、あまり話題に上りません。
果たして、どんな武将だったのか?
名を残しているなら、かなりの武将だったに違いない、という推測の元に調べました。
ここでは、浅井長政の魅力を語り尽くします。
浅井長政、すごいところは?
浅井長政を、織田信長が自分の妹を嫁にやりたい、と思ったところが、まず浅井長政が、すごい有力な武将の証拠です。
浅井長政、野良田(のらだ)の戦いで、家臣が惚れ惚れ!
浅井長政のどんな武勇が、織田信長に伝わっていたのでしょうか?
六角氏(ろっかくし)との戦いで、敗北直前まで言った戦いを、勝利に導いたことです。
これには、
浅井長政の家は、父・浅井久政(あさいひさまさ)の時代から、六角家の配下にありました。
浅井長政は、そんな他家の支配下にあることが耐えられなくなって、反乱を起こし、勝利します。
この戦では、浅井軍は、肥田城の城主が味方しましたが、六角は肥田城を水攻めをしたため、追い詰められていました。
しかし、浅井長政は見事な指揮で反撃し、六角軍に勝利しました。
この時の戦いぶりが素晴らしく、浅井家の家臣たちは、浅井長政に惚れ込んでしまったほどです。
浅井長政の父は、この戦いの間、常に逃げ越しという理由で、戦争終了後、父を隠居させ、琵琶湖の真ん中にある竹生島に追放しました。
浅井長政、「義理」を貫いた人!
浅井長政が、義理を通したのは、どこかというと、朝倉(あさくら)氏との関係についてでした。
浅井家は、朝倉家に恩義があったからなのでした。
浅井長政が、六角氏と戦っていたときに、朝倉家は何度も、浅井家のために援軍を出してくれたために、勝利を納め、北近江を自分たちで治めることができるようになったからでした。
織田信長は、信長と浅井長政とで同盟を結ぶために、お市の方を浅井家に嫁にやったのですが、浅井長政は、信長の期待した動きをしてくれなかった。
それは、浅井長政が、朝倉氏にかつて援軍を出してもらった恩を、忘れていなかったからです。
浅井家・朝倉家の関係は近江(滋賀県)の住人心に生きているようで、近江出身の人たちは今でも、浅井長政のことを恩義を忘れぬ人、と思っています。
日本人は、「義理がたい」ということが好きで、「義理がたい」人にロマンを感じます。
絶世の美女「お市の方」の夫だった、だけでなく、浅井長政は、非常に日本人の心に入り込む武将と、私は思っています。
浅井長政は、いい人?
浅井長政を、その生涯から見ると、「いい人」それも「いい夫」であるといえます。
もちろん戦国時代の武将ですので、敵を攻撃、命を奪う、という荒々しい行動もありますが、それでも家庭人としては、「いい人」でした。
「いい人」というのは、「やさしい人」、「誠実な人」、「正義を貫く人」、「恩を忘れない人」という意味です。
「恩義を忘れない」というのは、浅井氏が朝倉氏を恩人と考えていたためです。
そこで、浅井長政はいい人、とみなされることになるのです。
ここでは義を通したのですね。
では、「やさしい人」に関してはどうでしょうか?
実際に「やさしい人」だったかな?と思われるのは、「豊臣兄弟」でお市の方が言ったセリフから感じられます。
婚礼の時に、お市に気を遣ってくれる、浅井長政に対し、お市の方は「やさしい方」と表現しています。
もちろんこのエピソードは、実際にはありませんが、
「豊臣兄弟」では、お市の方が兄・信長からもらった手鏡を、浅井長政の父たちが燃やしてしまったのを、浅井長政が自分が火傷してまでも拾い上げた、ということで優しさを表現しています。
史実では、浅井長政は、織田信長の軍に攻められ、城が落ちる時、妻・お市の方と3人の娘たちを城から逃した、というところがやさしい人、と現代では評価されています。
浅井長政、お市との仲は?
浅井長政とお市の方は、歴代の大河ドラマを見るところでは、夫婦仲が良さそうですが、それはホント?
2人の結婚は、政略結婚でしたが、戦国時代の武将の子供たちならば、生まれた時から、「家のために」と教えられてきたことから、当然のことと受け入れていたと思われます。
実家を大切にするか、婚家に尽くすか、妻となった姫君に両家の運命がかかってきます。
お市の方もその二つの家の間で揺れ動いたのではないでしょうか?
浅井長政より信長が大切?な、お市の方?
お市の方が、浅井長政の妻としては口をつぐまなければならないことを、兄・織田信長に知らせたということです。
お市の方が、夫の浅井長政より、兄の織田信長を重んじていたのは?と思えたのは、1570年の「金ヶ崎の退き口」(かながさきののきぐち)の事件のことです。
この戦いは、織田信長が、朝倉の地・金ヶ崎城を攻めるにあたって、浅井長政が一緒に戦ってくれるものと、確信していました。
しかし、浅井は織田信長の期待通りには動かず、朝倉側に味方しました。(その理由は、上記にあるように、浅井は朝倉に恩義があったから)
朝倉の陣営へ向かう信長の背後を、浅井が襲うという、挟み撃ちを浅井・朝倉で計画しました。
それを知ってしまった、お市の方は、兄・織田信長にあずきを送ることで知らせます。
この話については、3年前の大河ドラマ「どうする家康」で面白い演出で描かれているので、その記事をお読みいただきたいです。
信長にその危機を知らせる、ということは、お市の方が兄を夫よりも大事に思っていたからではないのか?と私は想像してしまうのですが。
浅井長政とお市、どんなところが仲良し?
政略結婚から愛が芽生えるのも、よくあること。
実際、浅井長政とお市の方の仲は良かったとのことです。
仲の良さについては、浅井家の歴史をまとめた「浅井三代記」に書かれています。
「浅井三代記」とは、江戸時代に編集された軍記物で、作者は雄山という僧侶と言われていますが、それは確かなことではありません。
江戸時代に書かれたもののため、内容の正確性は不明で、史料としての価値はあまりない、と歴史家たちはみています。
しかし、浅井長政とお市の方は仲の良い夫婦だったことは、史実から察することができます。
- 浅井家と織田信長が、対立してしまった時、お市の方は、離縁されなかった。
- 浅井長政がわの敗北が濃厚になってきた時にお市の方は、浅井長政と一緒に自害しようしたこと。
- 落城の時、浅井長政はお市の方が自分と自害することを許さずに、子供達を連れて城を抜け出させた。
ここから私に読み取れるのは、浅井長政はお市の方に死んでほしくないと思うほどに妻を愛していた、
お市の方は浅井長政と一緒に、城で討ち死にしたいと思うほど、夫を愛していた、ということです。
浅井長政と、父・久政との関係は?
歴代の大河ドラマでは、浅井長政と父・久政は、一緒に行動することが多いように見えます。
親子仲が良かったのか?と思えば、六角氏との戦いで優柔不断とみて、父を追放しています。
追放と言っても、久政は、息子に浅井家の家督を譲るという形で隠居しました。
隠居したことで、息子・浅井長政は近江国で、その存在感が知られるようになってきました。
ということは、仲が悪かったというのではなく、共に国を収めていく強力体制があったと、私には感じられます。
しかし、浅井家・織田家の関係のあり方については、親子での意見は合いません。
浅井長政は織田家との関係を強いものにしたいと思い、父・久政は織田家との関係を喜んでいなかった、ということです。
久政が織田家が嫌い、とは史料から見つけられませんが、久政は絶えず朝倉氏との関係を大切にしていたことは、その行動から伺えます。
そこから私が考えてみたところ、父・久政は、息子・浅井長政が無事、近江国を治められるよう気にかけ、協力していましたが、織田との関係だけは、意見が合わなかった、のです。
浅井長政、イケメン!?
浅井長政の肖像画が残っていますが、それを見るとどうでしょう?イケメンでしょうか?
浅井長政の肖像画として知られている2種類の絵をみてみましょう。
浅井長政、肖像画を見ると?
現代に残されている、浅井長政の肖像画と伝えられている、二つの絵をみて、本当にイケメンか、検証してみましょう。
高野山持明院統に、妻・お市の方の肖像画とともに収蔵されている肖像画。
作者は知られていませんが、浅井長政の17回忌に描かれた、ということが寺の記録にあります。
それを見ると、「イケメン」を疑いたくなります。
〜入道風?丸顔で、ちょび髭生やして、頭にズレたように烏帽子(えぼし)を乗せて…
ちょっとひょうきん者に見えて、笑いたくなってしまう?
私にはイケメンには見えないのですが。
徳勝寺(滋賀県長浜市)に残されている肖像画(複製、実物は東京国立博物館)
こちらの方が、顔は整って見えます。
どちらの絵も、浅井長政は丸いふっくらとした顔立ちです。
というのは、この時代、顔の丸さが美形の条件の一つだったのか?と思ったのですが、
同時代に描かれた、織田信長の肖像画は、瓜実顔というか長めの顔なので、美形の流行というわけでもなさそうです。
浅井長政、好感の持てる顔立ち
二つの肖像画を見ると、「イケメン」というより、好感の持てる人物、と言えることです。
イケメンとは、見る人の感覚、好みにもよります。
浅井長政という人物の顔を肖像画から見たとき、この人物は相手に嫌な印象を与えていない、ということに私は気がつきました。
現代の私が見ると、浅井長政は、イケメンとは言い切れないけれど、育ちの良さそうな人に見える、ということです。
浅井長政が「イケメンだった」という説は、NHKの大河ドラマでの浅井長政役の俳優たちは、イケメン揃いであること。
また、お市の方が、美人として知られているため誤解も入ったのでは、と私は思っています。
お市の方が美人なのだから、政略結婚とはいえ、相手もそれなりの美形であるはず、という後世の人の思い込みに影響されているのかもしれません。
浅井長政の体格は?
浅井長政は、182cmある高身長だったことが、知られています。
また、現存する肖像画を見ると、ぽっちゃりしている感じです。
じゃあ、背が高く、ぽっちゃりというと相当大柄な人、と想像できますね。
戦国時代のことなど、身体の大きさに関しては詳しく書かれていませんね。
たまに、斎藤義龍のように身長について書かれているものもあります。
斎藤義龍は背が高く、「六尺五寸殿」というあだ名で呼ばれていたことが、「信長公記」にみられます。
織田信長も、高身長だっがことが知られています。
その妹で、浅井長政の妻・お市の方も、戦国時代の女性にしては背が高い方です。
お市の方や織田信長の身長についての話は、こちらのお市の方の記事で、詳しく説明してありますので、そのページをご覧ください。
浅井長政、最初の妻がいた!
浅井長政お市の方と結婚したのは、初婚ではありません。
過去に妻がいて、離縁してます。
最初の結婚は、浅井家がまだ、六角氏に従っていた時、浅井長政は15歳でした。
相手は、六角氏の家臣・平井定武(ひらいさだたけ)の娘。名前は伝わっていません。
結婚は、1559年1月ですが、同年4月にはもう、妻をその父・平井定武の元に送り返しています。
つまり離縁。
それは、六角氏との決別を意味します。
戦国時代の、武将の家に生まれたお姫様は、結婚してもいつ離縁されてもおかしくない状況にいたのですね。
でも、この時代は、出戻り、などと呼ばれず、また次の同盟のために利用された、というのも、なんだか悲しい話、と現代人の私は思うのです。
まとめ
浅井長政は、見た目もよく、武勇にも優れていて、性格も良い、となれば、戦国時代でもなかなかのモテタイプだったのでは?と現代人の私は思います。
浅井長政を調べてみると、武勇に優れた武将だった、ということに私は驚いています。
これまでは、妻を愛した人、というイメージしか持っていなかったので。
見た目については、時代の流行があるので、なんともいえませんが、浅井長政の行動から、イケメン、とみられることもありそうです。
だから、戦国時代を取り扱ったゲームでは、浅井長政はイケメンに描かれているのではないでしょうか?
政略結婚の多い時代、夫婦で想い合うという例はそんなに多くないかも?と私は思ったこともありますが、
戦乱の多い世の中、自分の命がいつ失われてもおかしくない時代、縁あって一緒になった相手に対しては、それなりに優しくなれるのではないでしょうか。

コメント