クララ・シューマンは、その名字からわかるように、作曲家シューマンの妻です。
また、クララ・シューマン本人が優れたピアニストでした。
ピアニストとしての華々しい、キャリア追求だけにとどまらず、シューマンの良き妻としての人生と両立させた女性です。
そんなクララに作曲家ブラームスが恋心を寄せます。
クララ・シューマンの魅力とはどんなところにあったのでしょうか?
クララ・シューマンってどんな人?
クララ・シューマンは女性ピアニストです。
そして時を超えて、今でも愛され続けています。
ドイツのライプチヒの生まれです。
クララが生まれたのは、1819年ですが、19世紀ではプロとしての音楽の演奏家は男性中心でした。
結婚前の姓は、ヴィークと言いました。
幼い頃から父の手で音楽の英才教育を受けて、10代で「天才少女」としてプロデビューしました。
クララはヨーロッパの宮廷でも演奏し、皇帝や貴族たちから絶賛されます。
しかし、プロとして活躍し始めた途端、ロベルト・シューマンと出会い、結婚。
クララ・シューマンは家庭と仕事の両立をして頑張った、キャリア・ウーマンの先駆けとなる女性です。
1896年脳出血のため亡くなりました。
クララ・シューマンは、何した人で有名?
演奏家としてのスタイルの確立
クララ・シューマンは職業としてのピアニストの地位を確立させました。つまりプロのピアニスト。
ではどこがプロだったのかといえば、演奏をしてお金を稼ぐ。
演奏する曲目は、自作ではなく、作曲家の書いた曲を演奏。ひたすら演奏に徹しました。
今では、ピアニストといえば、過去のまた現在の作曲家の演奏をするのが当たり前ですが、この時代までは作曲家が自分の演奏をするのが普通でした。
良家の子女は、教養としてピアノを習っていましたが、あくまでもお稽古事でした。
モーツァルトやベートーヴェンが、自作自演でしたね。
ベートーヴェンといえば、有名なピアノソナタ「熱情」ですが、当時は女性では弾きこなすのが難しい、と言われる作品でした。
クララは「熱情」を習得して、自分の演奏会のレパートリーにしてしまいました。
プロならばどんな曲も弾けるようにしなければならない、という自覚があったのです。
19世紀あたりには、作曲家ではない演奏家が出てくる時代になっていました。
そんなかで、先頭を切っていたピアニストがクララ・シューマンといえましょう。
クララ・シューマンが演奏家としての仕事が確立するようになったのは、夫のロベルト・シューマンのおかげ、ともいえます。
夫が作曲して、妻が演奏する。良いコンビですね。
クララ、暗譜する演奏家
現代のピアノコンサートでは演奏者が暗譜するのは当たり前。
伴奏では楽譜を見ますが、独自のリサイタルでは暗譜です。
その暗譜のスタイルを確立したのが、クララ・シューマンです。
当時では珍しかったようですよ。
クララはコンサートの前に、譜面を暗記して、演奏会に臨みました。
そのほうが、曲の雰囲気、流れをつかみ自分なりに表現を曲に込められるからです。
音大の受験、コンクールでは暗譜以外はあり得ません。暗譜しなかったら失格かも。
「3つのロマンス」を作曲
クララ・シューマンは作曲も手掛けました。
有名な曲が、1853年の作曲、Op.21「3つのロマンス」です。
実は「ロマンス」と呼ばれる曲は4曲あり、1曲目は夫のロベルト・シューマンへのプレゼントでした。
第2曲〜4曲をまとめて「3つのロマンス」としてこれは、友人のブラームスに贈りました。
この4曲は協奏曲ですので、ピアノと弦楽器で演奏されます。
どれも非常に美しく、切なさを感じさせると同時に、激しく流れる部分もあり、根底にはクララ・シューマンの想いが流れているのが感じられます。
流れるピアノのフレーズが夫のロベルト・シューマンの作風をどことなく感じさせます。
しかし、ロベルト・シューマンも「3つのロマンス」という曲を書いていて、夫の曲の方が骨太な構成を感じです。
どちらの作曲もロマン派の特徴が大変よく出ており、聞く人の心を切なくさせます。
クララ・シューマン、ピアニストとしての活躍
クララ・シューマンは「神童」、「天才少女」と呼ばれるほどのピアノの腕前でした。
当時のオーストリア皇帝フェルディナンド1世(在位、1835〜1848)やゲーテなどから「天才少女」の呼び名を与えられていました。
ちなみにフェルディナンド1世とは、ミュージカルで有名な「エリザベート」の夫の伯父です。
クララ・シューマンの腕前をこう表現する人たちがいました。
ショパンは「自分(ショパン)が作曲したエチュード(練習曲)を弾けるただ一人のドイツ人女性」
リストは「正確かつ、知性的、しかも力強く弾ける若い女性のピアニストの演奏をぜひ聴きたい。このようなピアニストはどこを探してもなかなかいるものではない」
と二人の有名人から絶賛されました。
相当な腕前のピアニストだったのですね。
クララ・シューマン、美人!
クララ・シューマンは何といっても美人でした。
美人だけではなく、才能も加わって、夫のロベルト・シューマンだけでなく多くの男性をも魅了しました。
今でも残る肖像画を見ると、現代でも通用する美貌・・・肖像画は細面の美人です。
さらに美人を証明するものは他にもあります。
ドイツでは、ユーロ以前に使われていた紙幣、マルクの図柄に、クララ・シューマンの肖像画を使っていました。
もう一つ、切手のデザインに使用されていました。
これは多分、マルク紙幣と同じ絵でしょうか?切手のほうはデッサン化してますが。
どちらも美人です。
写真も残っていますが、これは晩年になってからのものが多いですね。
写真技術ができた時期を考えると、仕方ありません。
しかし、現在の数多くの、女性ピアニスト達と比べてもピカイチの美人といえます。
クララ・シューマンと、夫ロベルト・シューマン
クララとロベルト・シューマンの出会い
クララとロベルト・シューマンとの出会いのきっかけはクララの父でした。
というののクララの父はフリードリッヒ・ヴィークというピアノ教師をしていました。
有名な教師だったようで、ロベルト・シューマンもヴィークに師事していました。
出会ったばかりの時は、クララは11歳、ロベルト・シューマンは20歳。まだ恋愛は生まれません。
が・・・やがて、二人には恋愛感情が芽生えてきます。
父、フリードリッヒが再婚したのがきっかけになりました。
当時の、クララは家庭環境の複雑さに悩んでいたものと思われます。
シューマンは彼女の心の支えになったのでしょう。
クララと、ロベルト・シューマンの結婚生活
クララとロベルト・シューマンは恋愛感情をもつようになって3年後の1840年に結婚しました。
大恋愛の末、結ばれた二人。どんな未来が待っているのか期待にいっぱいで新生活をスタートです。
クララは、ピアニストとしての人気があったし、ロベルトの作曲も波に乗ってきました。
クララとの愛はロベルトにとっては新たな創作活動へ、良い影響を与えました。
8人の子宝に恵まれました。良いカップルですね。
ですが子沢山は生活の厳しさにつながります。
家計はキツくなり、クララは演奏活動を増やしました。主婦業と仕事の両立は相当苦労しました。
当時は、夫が子育て、家事をするなんて、考えられないことでした。
クララの演奏旅行には(今でいうツアーですね)、ロベルトが同行しました。
クララは人気のピアニストだったので、ロベルトは「クララの夫」として見られていました。作曲家ロベルト・シューマンではなく・・
ロベルトとしては、不本意でしたが、この状況を受け止めていました。
不満に思い対立もありましたが、それでもお互い、足りないところを補いながらの生活でした。
ですがそんな状態が、ロベルトの精神状態を蝕むようになってきたのです。
うつ状態が続き、自殺未遂を図るようになり、ついには病院に収容されました。
そして、1856年7月29日に、ロベルト・シューマンは亡くなります。
16年の結婚生活でした。
クララ・シューマンに寄せる父親の思い
クララ・シューマンの父、フリードリッヒ・ヴィークは、モーツァルトの父のようなステージパパに憧れていました。
娘のクララを連れて、ヨーロッパ中を演奏旅行すること。
クララの両親は離婚をしています。
離婚してしばらく母の元にいましたが、父の元に帰ってきた時は、言葉の発達に遅れがありました。
これは複雑な生活環境が、クララのストレスになったからでしょう。
しかしクララは音楽には、非常によく反応していました。
そこで父親がクララにピアノを教えたところクララは覚えがよく、9歳になることには有名人の集まりでピアノ演奏をし、注目を集めまるほどの上達ぶりです。
1831年にはパリに演奏旅行に行っています。
「神童」と呼ばれたことから、父親は第二のモーツァルトか、と期待するのも当然です。
父、ヴィークはクララの未来を夢見ますが、突如自分の弟子の一人、ロベルト・シューマンと結婚すると言ってきました。
しかし、クララの演奏レパートリーにに、シューマンの曲を入れたのは、他ならぬ父、ヴィークでした。
父は怒ったのですが、この怒りは愛娘を取られた父親の気持ちというより、娘のキャリアを潰す男に対しての怒りだったように思えます。
クララ・シューマンとブラームス
ブラームスは作曲家です。
音楽の教科書で見るブラームスは、ヒゲをはやしたおじさんですが、若い時は金髪で青い目をしたイケメンでした。
ブラームスの才能にまず惚れ込んだのは、ロベルト・シューマンです。
ロベルトだけでなく、クララ・シューマンもブラームスの音楽に魅せられていました。
ブラームスはクララに恋心を抱きました。クララ・シューマンはブラームスより14歳も年上だったのですけれどね。
ブラームスは恋愛感情を全面には出さないで、シューマン一家を支えることでその愛情を示していました。
シューマンが、精神の均衡を失って入院した時もクララと子供達を支えます。
クララ。シューマンもブラームスに気持ちがあったと思われます。
クララ・シューマンもブラームスの仲の良さはミエミエだったので、噂にもなったでしょう。
しかし、クララとブラームスの仲はずっとブラトニックのままでした。
恋愛感情というより、音楽を通した親友と言っていい関係だったと思います。
シューマンの死後、二人は一緒になることはなく、別れました。
クララ・シューマンの映画
クララ・シューマンは19世紀に活躍し、その人生がドラマチックなため、映画が何本か作られました。
ここでご紹介しておきましょう。
- 「クララ・シューマン 愛の協奏曲」2008年シューマン、ブラームス、クララの三角関係に焦点を当てた映画です。作曲家、ヨハネス・ブラームスの末裔、ヘルマ・サンダース・ブラームスが監督をしているところが興味深いです。
- 「哀愁のトロイメライ〜クララ・シューマン物語」 1981年監督:ペーター・シャモニ 主演:ナスターシャ・キンスキー。クララの心の動きを中心に描いた作品です。 音楽を、ディートリッヒ・フィッシューディスカウ(声楽)、ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)といった有名な音楽家が担当しているところが見所です。
- 「愛の調べ」1947年 監督:クラレンス・ブラウン 主演:キャサリン・ヘップバーン シューマン夫妻の伝記映画 アルトゥール・ルビンシュタインの演奏がBGMとして流れます。
「哀愁のトロイメライ」、「愛の調べ」は使われている演奏家が豪華で、クラシック音楽ファンを満足させる映画でしょう。
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