ワーグナー。結婚行進曲は縁起が悪い?バイロイト祝祭劇場最初は失敗。楽劇とは?ワグネルの語源

ワーグナーは作曲家です。作曲の中でもオペラを中心とした作曲家です。

2023年、6月はもうすぐ終わります。

7月後半になると、ドイツバイエルン州にあるバイロイト祝祭劇場で、音楽祭が始まります。ワーグナーのオペラ上演が行われます。

ワーグナーのオペラの多くは楽劇と呼ばれています。オペラ(歌劇)と違うのでしょうか?

有名な「結婚行進曲」がありますが、できれば結婚式で使わない方がいいです。それはなぜ?

ワーグナー、「結婚行進曲」、縁起が悪いとは?

あなたは結婚式でどんな音楽を使いましたか?

ワーグナー作曲の「結婚行進曲」というと歌劇「ローエングリン」に出てくる曲ですがこれはオススメしません。

この理由をお話ししましょう。

ワーグナーの「結婚行進曲」が縁起が悪い理由理由

ワーグナー作「ローエングリン」の「結婚行進曲」を聞くと大変美しい曲です。

曲全体が格調高く、澄んだハーモニーで・・・おごそかで素晴らしい曲です。

ぜひ使いたい、と思うのも無理はありません。

しかし、オペラの内容が不吉すぎるのです。

主人公ローエングリンとエルザの結婚式。「結婚行進曲」が流れ、結婚式を挙げて・・・ここまでは順調です。

そのあと、エルザは誓いを破ったのです。

結果、新婚なのに、ローエングリンはエルザの元を去り、エルザは悲しみのあまり命を落とす、というラストで終わります。

これから未来を築く二人にとっては全く不向きどころか縁起でもない。

ですから、結婚式、披露宴で「ローエングリン」の「結婚行進曲」を使おうと思っても、招待客に、クラシック音楽に詳しい人、オペラが好きな人がいたら絶対避けてください。

ワーグナー、結婚行進曲がある「ローエングリン」のあらすじ

使わないほうがいい。と言われても「ローエングリン」のあらすじを知らないことには、なんとも言えません。

ですから、簡単にあらすじを。

ブラバント公国の危機

時代は中世。10世紀。

ブラバント公国(今のオランダあたり)では王が亡くなり、残された王子はまだ幼い。

王は亡くなる前に、娘エルザと家臣フリードリヒが結婚して国をおさめるよう指示していました。

しかし、それを快く思っていなかった、呪術師(魔女)がフリードリヒに近づき結婚します。

そして二人で、王子を始末し、その犯行ををエルザになすりつけました。

エルザは、フリードリヒと決闘して自分の無実を晴らさなければなりません。

ローエングリンの登場

エルザは女性ですので、身代わりの騎士を頼まなければなりません。

騎士同士の決闘で神の前に、真実を証明する、というのが中世のやり方です。

そこに颯爽と現れたのが、ローエングリン。

ローエングリンは白鳥に乗って登場するので、「白鳥の騎士」と呼ばれます。

身代わりの騎士となる条件は、決闘でローエングリンが勝てば、エルザに結婚して欲しいとプロポーズします。

結婚しても自分(ローエングリン)の素性は決して尋ねないこと。

以上の二つを条件としました。

ローエングリンは、見た目もかっこいいので、エルザは即座に承知しました。

決闘は、見事にローエングリンが勝ち、フリードリヒとその妻は追放されます。

エルザへの誘惑

晴れてエルザの罪が晴れたので、エルザは約束通りローエングリンと結婚します。

結婚式では「婚礼の合唱」が流れます。

結婚式の前に、フリードリヒはエルザに、ローエングリンの素性はおかしいと言います。

ローエングリンに何もおかしなことがなければ、素性を明かせるはずだと。

幸福の絶頂にいたエルザですが、悪魔のささやきのような言葉に人はどうしても反応してしまうのですね。

エルザは不安になり、結婚式の後、ローエングリンになんとしても、素性を妻である自分だけには明かしてほしい、と頼みます。

ローエングリンとエルザの別れ

エルザの追求についにローエングリンは、約束を破ったエルザとは一緒にいられない、と言って去っていきます。

実はローエングリンは以前にエルザを見かけて恋をしていた、という事実を打ち明けます。

そして、もう一つ真実が明らかになりました。

ローエングリンを乗せてきた白鳥が、エルザの弟だったのです。

エルザの弟は魔法により、白鳥の姿に変えられていました。

白鳥に変えたのは、フリードリヒの妻でした。彼女は古いゲルマンの神話をもう一度地上に戻そうとする魔女だったのです。

ブラバント公国から、正統の王位継承者を排除し、ゲルマンの神を崇める国を復活させるのが目的でした。

ローエングリンが、全ての悪を暴いて、正統な王位継承者を取り戻して、去っていきました。

エルザは自分の好奇心で、自分の幸せを壊してしまっとことを後悔しても後悔しきれません。

悲しみのあまり倒れて、絶命しました。

ローエングリンの秘密

ローエングリンの正体は、キリストの死に際し、キリストの血を受け止めたと言われる聖杯の守り人でした。

それは決して人に話してはいけない秘密だったのです。

エルザは、最初に約束したにも関わらず、その契約を破ったことで罰を受けたとも言えます。

しかし人の好奇心とは、決して抑えることができないもなのです。

好奇心が起こした悲劇、これが「ローエングリン」なのです。

「結婚行進曲」縁起が悪い理由がお分かりいただけたでしょうか?

ワーグナー、制作指揮バイロイト祝祭劇場

ワグナー自ら制作ににあたる

バイロイトは、ドイツ、バイエルン州にある都市の名前です。

祝祭劇場は、作曲家リヒャルト・ワーグナーが自分のオペラ、楽劇を一番良い状態で上演できるように作ったいオペラハウスです。

どこが違うかというと、音響を第一に考えた劇場ということです。

従来の王国の荘厳さを表す、シャンデリア、彫刻といった装飾をとりはらいました。

観客席は競り上がっており、木製で黒一色に塗られています。

一番他の劇場とは違うのはオーケストラピット(オペラの時、伴奏となるオーケストラが陣取る場所)が舞台の下に斜めに潜り込む形で作られています。

通常の劇場では、客席の一番前にボックス状のスペースが設けられています。

全体的には狭く、日比谷の野外音楽堂よりも小さく客席はほぼ2000。

音響効果をより高めるために、ワーグナーはギリシャ悲劇を研究して、この作りにたどり着きました。

今では人気のステージとなり約1ヶ月の間、ほぼ毎日ワーグナーのオペラが上演されます。

しかし。暑い時期に行われるイベントなのに冷房がありません。

座席の一人が占めるスペースは狭く、大柄なドイツ人はどうするのかな?という感じです。

でもここに座って、ワーグナーの曲を聴くと、ワーグナーの世界にどっぷりと浸れます。

バイロイト祝祭劇場の新作、「ニーベルングの指環」失敗!

ルートヴィヒ2世の応援でばくだいな費用をかけて作られた、バイロイト祝祭劇場。

そこでの上演された第1作目は「ニーベルングの指環」4部作です。1876年のことでした。

しかし、「ニーベルングの指輪」は大失敗でした。

その理由は、長すぎるから。

この楽劇は4部作です。「ラインの黄金」、「ワルキューレ」、「ジークフリート」、「神々の黄昏(たそがれ)」。

第1曲目の「ラインの黄金」以外は上演時間は、4時間かあるいはそれ以上かかります。合計約15時間。4日に分けて上演されます。

しかし、長すぎたため、作曲にも時間がかかりすぎました。

そのため、「ラインの黄金」、「ワルキューレ」だけがミュンヘンで先行上演されました。

どうもバイロイトの方が出来が悪かったようです。

ワーグナーは、もう一度上演の機会が欲しかったのですが、費用がかかりすぎるためワグナーの生きている間は叶いませんでした。

現代ではバイロイト祝祭劇場で行われる「バイロイト音楽祭」のニーベルングの指輪は、チケットを取るのが難しく、大変人気のある音楽音楽祭となっています。

ワーグナーの「楽劇」とは

オペラではヴェルディの「椿姫」とかビゼーの「カルメン」が有名です。これは歌劇と呼んでおきましょう。

ワーグナーは「楽劇」というスタイルを考えだしました。

ではオペラ(歌劇)と楽劇の違いは何?

オペラ(歌劇)は、「アリア」というオペラのハイライト部分をめだたせる歌、と「アリア」と「アリア」を繋ぐセリフ部分の「レチタティーヴォ」、それと複数の人数で歌う重唱の組み合わせから成り立っっています。

一方、「楽劇」は音楽と歌、そして演劇の一体化を目指した構成です。

そうすると一人の役の人がセリフを話すように、ずっと歌い詰めになります。

ですから歌い手はものすごく大変です。

歌唱力はもちろん、体力が必要です。

特に、「ニーベルングの指環」の第3部「ジークフリート」から登場する主役のジークフリートは、3時間近く歌い続けます。

他の役が歌っている時だけ休める、という感じです。

バイロイト音楽祭で、「ニーベルングの指輪」を続けて上演する場合は、最終の第4話「神々に黄昏」との間に一日休みをおかないと、同じ歌手で続けることはできない、ということです。

甲子園の高校生球児が、連投するのを避けるために1日休みを置くのと一緒でしょうか。

ワーグナーが語源?「ワグネル」

ワグネル・グループ

今、ワグネルと聞くと即座に思い浮かべるのが、ワグネル・グループ。

ロシアの民事軍隊組織ですね。民間の軍事組織があるというのは驚きなのですが。

ワグネルの由来は不明ですが、設立者のコードネームがワグネルらしいといことが一説。

また、創設者がナチスドイツを尊敬していたから、ワグナーをその名前としてつけた、説。

ナチスドイツの総統アドルフ・ヒットラーのお気に入りの作曲家でしたから。

しかしナチスドイツと、かつてのソビエトは敵対していたから、今ここで使用するのも何か皮肉のような気がします。

ワグナーの自国の民族を愛していたから、というのが理由のかもしれませんね。

ワグネル・ソサィエティー男声合唱団

こちらは日本のこと。

慶應義塾大学公認合唱団のことです。

こちらこそ、まさにリヒャルト・ワグナーの名前から付けられた合唱団です。

慶應義塾大学ワグネル・ソサィエティー男声合唱団のHPによると、

「ワグネル」という名は19世紀ドイツの作曲家のリヒャルト・ワーグナーにちなんで取られました。彼の偉大なる音楽理念に敬意を表し、付けられた名です。

1901年に創立した、日本最古の学校の合唱団です。

ワーグナーの歌劇、楽劇には「タンホイザー」など素晴らしい合唱曲がたくさんあるので、当時の大学生はその曲に惹かれたのですね。

日本合唱界の夜明けです。

現在では、男声合唱団の世界では日本トップレベルの一つの学生合唱団です。

このソサィエティーにはオーケストラと女声合唱団があり、この3団体が「ワグネル・ファミリー」と呼ばれています。

世界各地にも演奏旅行に行き、あちこちで良い評価を受けているのは嬉しいです。

ワーグナーとルードヴィヒ2世の関係は

バイロイト祝祭劇場を建設するにあたって、はずせない人物は、バイエルン国王、ルードヴィッヒ2世(在位1864〜1886)です。

映画「ルードヴィヒ」でもワーグナーが登場していました。

ワーグナー世界に憧れるルートヴィヒ2世

ルートヴィッヒ2世は、現実世界から逃避して心に抱く世界に生きていこうとした、王様でした。

心を病んだ王でした。

そんな王はワーグナーの音楽に虜になっていました。

王はワーグナーのつくる世界観こそが、まさに自分の夢見る世界である、そう考えていました。

ワーグナーはルートヴィヒ2世を騙したの?

ワーグナーは、当時の生活から、ペテン師、借金持ちなどと悪い噂ばかりが目立ちます。

しかし、パトロンになったルートヴィヒ2世はワーグナーの借金を変わって払っていました。

若いバイエルン国王を、ワーグナーがうまく騙してお金を引き出している、ように見えますが、ルートヴィヒ2世とワーグナーの関係は、心を通わせることができる間柄でもありました。

ワーグナーはルートヴィヒ2世を、自分の考えを堂々と述べることができ、芸術の理解できる尊敬すべき君主、と思っていました。

そこでワグナーはルートヴィヒのために楽劇「パルジファル」を書きました。

ルードヴィヒ2世も、ワーグナーの音楽が十分に発揮できる劇場が必要と感じ、バイロイトに新らしく劇場を建てます。

ワーグナーとコジマ

コジマはワーグナーの2番目の妻です。そして最後までつれそいました。

コジマは作曲家、フランツ・リストの娘です。

そしてリストの弟子、ピアニストで指揮者である、ハンス・フォン・ビューローと結婚していました。

ですが、ワーグナーが原因で別居となります。

コジマはワーグナーと出会い、お互い好きになって・・・・

実はビューローはワーグナー音楽の指揮者として売れていました。

当時、ワーグナーにも妻がいたので、ダブル不倫ですね。褒めたことではありませんが・・・

コジマはハンス・フォン・ビューローと離婚し、ワーグナーと再婚しました。

ビューローは、コジマがワーグナーの元に走ってからはワーグナーから離れました。

そりゃあ、当然だと思いますが。

しかしコジマとワーグナーが付き合い出しても、ワーグナーとビューローそしてコジマの、音楽上のコンビ(3人だから、トリプル?)は続いていた、という話もあります。

それはビューローが熱心なワーグナー音楽のファンだったからでした。

不思議な関係と言われていましたから、ビューローがワーグナーの元を離れて行ったのはもう少し後のことなのでしょう。

ワーグナーの「ジークフリート牧歌」

ワーグナーがコジマに贈った音楽のバースデープレゼントが「ジークフリート牧歌」です。

コジマ結婚して初めての誕生日の朝7時半。

コジマの寝室に向かう階段に、15人の演奏者が並び、演奏を始めました。

サプライズでした。もちろん指揮をしたのは夫のリヒャルト・ワーグナー。

曲の名は、楽劇「ジークフリート」のメロディを使っている部分が多いからなのですが、ワーグナーとコジマの間の子供がジークフリートというので、その名前をつけています。

粋なバースデープレゼントですね。

ワーグナーのコジマに対する愛が感じられるエピソードです。

ワーグナーの性格について悪い話が多いので、このような愛情あふれる話を聞くと、心がほっこりとします。

ワーグナーの生涯

ワーグナーの生まれ

1813年〜1883年の生涯。

正式な名前は、ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー。しかし普通に呼ばれている名称はリヒャルト・ワーグナーです。

ライプツィッヒ生まれで、ドレスデンで育ち、その街で最初の音楽活動をしました。

歌劇「リエンツィ」、「さまよえるオランダ人」を書いたのが27歳〜28歳でした。

それぞれの作品は成功を収めました。

ドレスデンで宮廷指揮者になります。

宮廷で仕事していたにも関わらず、ドレスデン革命(1849年)に参加し、お尋ね者となって亡命しました。

その後は、バイエルン王国でルードヴィヒ2世に出会い、活躍します。

ワグナーの性格

ワーグナーの音楽を多くの人を魅了しました。

作曲だけでなく、劇場の設計、舞台の演出、を手がけ、話題になりました。

しかし、ワーグナーの人格、性格で人々は離れていきました。

まず、なんと言ってもコジマとのスキャンダル。

ワーグナーを愛してしまった、コジマもコジマですが・・・

そして金遣いが荒く、借金がたくさんあったこと。

また自分でオペラ劇場の構想を立てるなど、天才の素質があったのですが、自分でそれを自覚するほどの自信家でありました。

そんなところが、他人から見ると鼻に付いて見えるのです。そこが嫌われた理由だったのでしょう。

ワーグナーのナショナリズム

ワーグナーは非常にドイツを愛した人物でした。

しかし、愛国心が時には困った方向に進み出すこともあります。

ワーグナーはユダヤ人が嫌いでした。

その理由として、考えられていることは、ワーグナーの母親の再婚相手がユダヤ人だったこと。

本当のワーグナーの父親が実は、母の再婚相手であるかもしれないこと。

この二つが挙げられています。

特に二つ目、再婚相手の方が実の父親だとすれば、心を病みそうな話です。

しかし、自分の曲の演奏家としてユダヤ人を使っていましたので、本当に嫌っていたかどうかはわかりません。

しかし、ドイツを深く愛していたことは作品に表れています。

ゲルマンを愛しすぎてしまったために、ワーグナーの音楽はのちにヒトラーに利用されることとなりました。

そのおかげで、今でもイスラエルではワーグナーの曲が演奏されることはありません。

平和の象徴となるべき音楽がこのように利用されるのは残念です。

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