ヘンリー5世は、シェイクスピアの歴史劇です。シェイクスピア劇では強い王であると同時に、内面的葛藤も見せています。芝居とともにヘンリー5世は今でも人気のある王様です。
ヘンリー5世は芝居の中で雄弁です。演説あり、演説にはまた名言となる文があります。
バンドオブブラザースと呼びかける演説は感動的で後世にも影響が現れています。
名言はイギリス人ならそらんじることができるほど有名です。日本で言えば「敵は本能寺にあり!」の知名度に似ているかもしれません。
アジンコートの戦いの後、条約が結ばれフランス王女キャサリンを王妃とします。
そんなヘンリー5世、どんな顔をしていたのでしょうか?横顔の肖像画が多い秘密ってあるのですか?
芝居のあらすじは・・・・芝居はヘンリー5世のある時期を描いたものなのですが、ヘンリー5世の性格、王としてのあり方が表現されています。
ヘンリー5世、バンドオブブラザースと呼びかけるアジンコートの戦い。演説と名言
ヘンリー5世、といえば多くのイギリス人は「アジンコートの戦い」を連想するようです。英語ではアジンコートと読みますが、フランス語ではアジャンクールです。
ヘンリー5世の戦争には名言、演説がつきものです。
ここでヘンリー5世は、軍隊を鼓舞するセリフを言います。
その一つは上陸した土地ハーフナーの攻略時の名言です。
「もう一度あの突破口へ突撃だ、諸君、もう一度、それが成らずば、イギリス兵の死体であの穴をふさいでしまえ」(訳、小田島雄志)
さらに、
『兵士一人一人が、父親から生まれてきたことを感謝してその父親に恥じない勇気を示し戦おう、そうでないと自分たちの母親を辱めることになるぞ・・・・ここでイギリス魂を発揮せよ!』(こちらは長いので、セリフを要約しました)
これは父親譲りの勇気をここで示さないと、お前の父親は違う人を意味し、母親の名誉を汚すこととなるぞ・・・・といった意味です。
この演説内容は現代なら、かなり侮蔑的に聞こえます。女をなんだと思ってるんだ!怒りを買っても仕方ありません。
でも敢えて相手を怒らせて力を引き出す説得の手法を用いています。特に「もう一度あの突破口に・・・」は今でも名言と言われています。不可能を可能に変える鼓舞方法ですね。
しかも「・・・イギリス兵の死体で塞いでしまえ・・・」とは過激です。おぞましささえ感じます。平常どきの今考えるからそう見えてしまうのかもしれません。
勝利に向けた必死さが現れる言葉です。だからこそ名言なのでしょうね。
もう一つの名言アジンコートの戦いでの演説です。
『今日は聖クリスピアンの日だ。今日を生き延び国に還った者は聖クリスピアンの日がくるたびに、この日を思い出すであろう。そして古傷を親、兄弟、子孫、親族たちに見せて、この傷は聖クリスピアンの日に受けた傷、と言って祝いの食卓を囲むだろう』
『今数こそは劣るけれど、我らは兄弟(バンドオブブラザース)!しあわせでいえば、彼らより優っている。今日は共に血を流し、私と兄弟になろう』
と要約ですが、このような演説をしました。
文字だけ辿ると、我々は数は敵に劣るが団結で頑張ろう・・・ということになります。顔の表情、声の高低、身振り、熱心さこれらが一緒になると、人々を高揚させることができるのです。
王であるには演説のうまさもなければいけません。特に戦争中では王のスピーチ能力は勝利への大事なステップです。
この演説の中で、「クリスピアン」という言葉が何度も繰り返されます。それもいくつかは、行の後ろに置かれて韻を踏んでします。ですから自然とそこで言葉の速度が落ち強調されます。
そこで「we band of brothers」と言葉をだします。クリスピアンの日がくるたびに思い出すのは、今日のこと、数こそ少ないが我々は一団の兄弟である、と。
戦いの前は全員の顔に緊張感がみなぎっていました。ひょっとしたら悪い結果を予測した緊張かもしれません。しかし、この演説が進むにつれ兵士たちの表情がほぐれ、自然と安堵感が浮かび力がみなぎってきます。
このシーンは舞台よりも、映像化した作品の方が家臣一人一人の変化が大写しになる顔に現れて分かりやすいと思います。
もちろん舞台の場合も高揚してくる家臣及び兵士たちの様子が、動きと雰囲気によって変化してくるところもまた舞台の醍醐味を感じます。
band of brothers・・・この言葉は、英語圏の人の後世にも生きています。
2001年スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演の映画「バンド・オブ・ブラザース」。第2次世界大戦、ノルマンディ上陸作戦を舞台にした映画です。過酷な戦場をひとりの上官を信頼し、絆を結び、生き延びる。彼らこそ兄弟の絆(バンドオブブラザース)なのです。
こうして今でも、彼らの心の奥底には「ヘンリー5世」の物語が血の中に流れているのです。
さて15世紀では、ヘンリー5世の後世に名言とまで伝えられる演説により、イギリス兵士の心は一体となって、アジンコートで勝利を収めることができました。
戦争犠牲者、イギリス側約100名、フランス側7000名〜10000名。
「聖クリスピアンの日」キリスト教には馴染みがあまりない日本人にはなんの日のことかよくわかりませんが、聖人の日なのです。
中世という時代は聖人の日がたくさんありました。教会では聖人の日には、その聖人に向けたお祈りがありました。
「聖クリスピアン」は靴の聖人です。「靴」はこの際関係ありません。元々は革職人でした。でも靴だけではなく馬具を含む革製品全ての守護聖人だったから馬を使う戦争には縁起が良かったのかもしれませんね。フェラガモかエルメスみたいな人だったのでしょうか?
そして「祭日に〜ことがあった」と日付を思い出すため日の名前が必要だったのです。アジンコート戦いの日は、運よく祭日とぶつかったものですね。
ヘンリー5世とアジンコートの戦い
人々の心をとらえた演説、それがアジンコートの戦いが主の戦いとなった戦争内の出来事でした。
そもそも、この戦争はなんのためだったのか・・・「ヘンリー5世」当初に出てきたようにただ馬鹿にされたから・・・・そんなわけないですよね。
代々のイギリスとフランスは、フランス内のイギリスの領地のフランス側への奪還、イギリス側がフランスの領地のさらなる拡大とフランス王位をも併合しようとする両国の思惑をかけて戦っていました。それが100年以上続いたから、「100年戦争」こう呼ばれています。
ヘンリー5世もフランス王位を狙って、フランスに遠征しました。
まずハーフラーから上陸しここで苦戦しました。この苦戦状況を「もう一度あの突破口へ・・・」の名言で、士気を高め乗り切りました。
イギリス軍はハーフラー陥落に成功しますが、2ヶ月近くかけたため疲弊してしまいました。そこでイギリス領だったカレー(上陸したハーフラーより北に位置する)に向かおうとします。
その途中、アジンコートでフランスの大群が待ち受けていました。
待ち受けるフランス軍は20000、対するイギリス軍6000〜7000・・・・うわぁ、ほとんど3倍の兵・・・イギリス軍危うし、です。
1415年10月25日、1日で決着のついたアジンコートの戦い、シェイクスピア劇「ヘンリー5世」のクライマックスです。
戦いの前日、ヘンリー5世は陣営を変装して見回ります。「ヘンリー4世」での放蕩生活で昔取った杵柄で、兵卒たちに紛れます。
そして兵士たちの声を聞きます。多くが「王は無謀だ」、「王の責任で死ぬのは自分たちだ」という一般兵士の声が聞かれます。王への不満も聞かれます。かなり士気は下がっています。
兵士たちの声を聞いて、このままでは負ける、と思ったのでしょうね。そこで翌朝の「聖クリスピアンの・・・」演説となったのです。
演説が兵士の士気を誘い、アジンコートでヘンリー5世とイギリス軍は勝利を収めます。
そして戦いの前日、王への不満を、王とは知らずに愚痴った兵士を探し出した王は、彼らに礼を言います。真実を言ってくれてよかったと。
愚痴った兵士たちはお咎めがあると、畏っていましたが、王から礼の言葉を聞いて、王により忠誠を誓った、というエピソードも加えられます。
この部分でシェイクスピアは、ヘンリー5世の賢王、公正な王としての面をシェイクスピアは描きたかったのでしょう。
アジンコート一連の戦いはずっとイギリス人の心に残っているシーンだと思います。不屈の精神を持って困難を突破する心意気が心を打つのでしょう。
第2次世界大戦中を描いた映画「大脱走」でイギリス人捕虜がドイツの捕虜収容所から脱走する話です。彼らは脱走用のトンネルを掘ります。そのトンネルに「ハリー」という名前をつけます。
これは突破するトンネルにヘンリー5世の名前をもじってつけたのだ、と私はずっと思い続けています。ハリーとはヘンリーの愛称ですし。
ハーフナー突破とアジンコート両方を合わせた心意気を、収容所脱走の執念に賭けたのだと思います。
なお、これを証明する資料は見つけていないのですが、私はそう信じて疑いません。
ヘンリー5世は、キャサリンを王妃に
条約の取り決めでヘンリー5世はキャサリンと結婚することになりました
と言っても、芝居の中ではキャサリンはもっと前からヘンリーと結婚する心づもりになっていました。侍女と英語の勉強をするのですが、その英語、ちょっと怪しいです。
というか英語を教える侍女の方が妙にフランス語訛りの英語を教えています。侍女の話す英語の発音を聞いて、英語の発音は品がない・・・・などと言っていますが。何が品がないのでしょうね?私たちネイティブスピーカーでない者には全く分かりません。
条約締結後、ヘンリー5世はキャサリンと話をします。一応言い寄る、というこのなのでしょうか?怪しげな英語を習ったキャサリン、やはりヘンリー5世にその英語は通じませんでした。
ヘンリー5世の方もフランスががあまりよくわからないので、意思疎通が互いにうまくできません。
これ以前のイギリス宮廷では、フランス語が公用語だったのですが、ヘンリー5世のあたりから英語が公用語になってきていました。ですからヘンリー5世はフランス語が得意ではなかったのですね。
言葉の壁を乗り越えて、ヘンリー5世とキャサリンは心を通わせることができ、結婚することとなりました。
王妃となるキャサリンはこの時、19歳。一方ヘンリー5世は33歳。
結構な年の差婚でしたが、キャサリンは夫と相思相愛で幸福な生活を送りました。が子供が産まれて(のちのヘンリー6世)一年もしないうちにヘンリー5世は急死しました。
しかし、ヘンリー5世の死からわずか2ヶ月でフランスのシャルル6世が逝去しました。
これで条約の通り、産まれた王子はイギリスとフランス両国の王冠を抱くこととなりました。しかしほんの赤子が両国の王・・・これを良しとは思わない人がいたとしてもおかしくありません。
ヘンリー5世ってどんな顔していたの?
イギリスで人気がある国王ヘンリー5世。一体どんな顔をしていたのかとても興味があります。
横顔の肖像画が残っています。鼻筋が通った美形の肖像画があります(これを美形とするか・・・賛否両論が・・・)横顔だけなので全体がどんな顔立ちなのかあんまりよくわかりません。
映画でヘンリー5世を演じる俳優はイケメン俳優が多いいです。
昔はローレンス・オリビエが有名でした。現代ではケネス・ブラナー。ケネス・ブラナーはローレンス・オリビエ以来の、映画のシェイクスピア俳優と言われています。
もっと最近にはシェイクスピアの芝居の中で、薔薇戦争をその原因から結果までを描いた映画シリーズ「ホロウクラウン」があります。
そこで「ヘンリー4世」1部、2部、「ヘンリー5世」で王子時代から成長して国王となったヘンリーを演じたのたのが、トム・ヒドルストン。と、どれをとってもハンサム揃い。
じゃあ実際のヘンリー5世の顔立ちとはどうだったのでしょう?
ヘンリー5世、16歳の時に顔に酷い傷を受けたと言います。顔に矢が当たったのです。当たったというものじゃない、刺さったのです。
瀕死の重症でした。抜くも矢の先端が顔の中に残ってしまい、取り出すのに特殊な道具を使って抉り出したそうです。
そしてヘンリーの顔には酷い傷跡が残ってしまいました。
顔全面の肖像画が残っていない、ということは単に絵が紛失したのではなく、あえて描かせなかったということも十分に考えられます。
イギリス、ロンドンのウェストミンスター寺院に行くと、ヘンリー5世のチャペルというものがあります。
ヘンリー5世の棺を置いた墓所の上にチャペル風天井を作るよう生前より指示していました。棺は王族の棺でよく見られるように、蓋の上にはヘンリー5世の彫像が彫られています。
墓所の前には格子が作られて、観光客は気をつけないとよくわかりません。しかも中は暗いので、彫像の形は薄暗くてよく見えません。が、肖像画のように反面だけではなく、一応顔立ちがわかるようには作られています。ただ、見えないだけ・・・
多分、傷はなさそうな・・・最後ぐらいは綺麗な顔のまま送って差し上げたいですからね。
映画、芝居でのかっこいい立ち振る舞い、つい実態もハンサムな王であってもらいたいミーハーな望みがあります。
横顔の肖像画を見ると、すごく短く刈り込んだ髪が目につきます。これにはいくつか説があります。
父親ヘンリー4世がかつて前王を、廃嫡して自分が王位に就きました、それが元で前王は死ぬこととなってしまいました。その父王の犯した罪の贖罪のため、これが一つです。
もう一つは戦に出陣することが多い王だったため、兜をかぶりやすいように短く刈り込んだ、とこの二つがあります。
ですが、多分その両方だったのだと思います。贖罪のために切る、ついでに戦装束をつけやすいと一石二鳥を狙った?
ヘンリー5世、シェイクスピアのあらすじ
「ヘンリー5世」はヘンリーが王位について2年後、28歳の時の物語です。
ヘンリー5世は王位につく前はハリー王子、またはハルと呼ばれて王子時代は結構な遊び人でした。日本風にいうと、徳川吉宗が若い頃遊び歩いたのに似ていますね。
その様子は同じくシェイクスピアの「ヘンリー4世」第1部と第2部で描かれています。
王位就任後、放蕩息子時代とは全く異なった王様となります。「ヘンリー4世」から続けてみるとその100%転換ぶりに目を見張ります。
物語の舞台の中心は100年戦争後半頃です。
ヘンリーは「ヘンリー4世」時代の放蕩ぶりはどこへやら、立派な王様となって登場します。
王子時代、ワル仲間と遊び歩いていたのですが、王位継承した途端に彼らとの交友をバッサリと切り捨てます。冷酷なまでに。
この代わり身の速さ、そして変容ぶり見事です。
本当は「ヘンリー4世」から続けてみると、より一層変化ぶりの面白さを味わえるのですが、「〜4世」からの続き上演はまずありませんので、そういう映画を見つけたらぜひ、王の違いに注目しつつ鑑賞していただけたらと思います。
ヘンリー5世となった王はフランスに挨拶状を送りますが、テニスボールを箱いっぱいに送りつけられ、おちょくられてしまいます。王子時代の放蕩ぶりがフランスにまで伝わっていたのでした。
怒ったヘンリー5世は、フランス遠征を決めます。
イギリス中にフランス遠征の話が伝えらます。ロンドンのパブでニュースを聞いたかつての、ヘンリーの王子時代の悪友たちもフランス出陣を決めます。
いよいよフランスへ。
まずはフランス北部のハーフラーの港街を攻め落とします。これには苦労したようです。
ヘンリー5世は従来の戦争の場合とは違い略奪を許しませんでした。ですがそれを破った者がいました。そのものとはかつての、王子時代の悪友(遊び仲間)二人でした。
二人は、ヘンリー5世なら昔馴染みだから許してもらえる、と思ってのですが、ヘンリー5世は容赦無く、最初に言い渡した規律通り二人を絞首刑にしました。
この時のヘンリー5世の胸中やいかに・・・・?苦しんだのでしょうか?それとも完全に過去の自分と現在の自分を切り離すことができたのでしょうか?
このシーンは、役者さんによっていろいろ演じ方、受け取り方、また自分の考え方が異なってくるので、ぜひご自分の心で感じ取るようお勧めします。
そして戦は、アジンコートで展開されます。ここで勝利を収めトロワ条約が締結され、その証としてヘンリー5世はフランスの姫、キャサリンと結婚したところで、この芝居は終わります。
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