マリー・アントワネットをフランス王家を革命という破滅の道を歩ませるきっかけとなった一つの事件が首飾り事件です。
マリー・アントワネットが贅沢好きで宝石好きであるからこそ起きた事件です。
映画「マリー・アントワネットの首飾り」で主犯のジャンヌ・ド・ラ・モットが主人公で違った視点から事件を見ることができます。
ロアン枢機卿という高位聖職者も関わってしまた事件、この結末がこれからの歴史の流れを左右します。
事件のきっかけダイヤの首飾り
1780年代中頃に起きた事件で、フランス王家が民衆からも貴族からすらも支持を失うきっかけとなりました。
パリの宝石細工職人と宝石商が一緒に超豪華なダイヤモンドの首飾りを作りました。それは以前、二人の宝石商、職人がマリー・アントワネットの夫ルイ16世の祖父の愛妾デュ・バリー夫人のために製作したものでした。ですが完成した頃にはルイ15世は崩御し購入の話は立ち消えになりました。
困った宝石商たちは新たな買い手を探さなければなりませんでした。何しろ自分たちの財力をかけてこのネックレスを作ったものですから、売れてくれないと困る状況でした。何しろダイヤが500粒以上使われて、古いダイヤモンドを(おそらく3000年以上前のダイヤ)探し出して研磨、細工を丹念に仕上げた特別な逸品で、もし価格をつけると現在の日本円でおそらく数十億円はするだろう言われています。
そこで思いついたのが宝石好きのマリー・アントワネット。王妃様にお買い上げいただこうと、話を持ちかけたのですが、値段を聞いて流石のマリー・アントワネットも断った次第でした。
ジャンヌ・ド・ラ・モットの登場、実はヴァロア王家の末裔
しかし諦めきれない宝石商たちは、マリー・アントワネットと親しいと詐称するジャンヌ・ド・ラ・モットという女性を仲介に頼み再度売り込みをかけることにしました。
このジャンヌ・ド・ラ・モットという女性、一応フランス王家の分家ヴァロア家の末裔に当たります。先祖はアンリ2世の認知はされてはいませんが庶子で爵位が与えられています。ちなみにアンリ2世の王妃はカトリーヌ・ド・メディチでした。
ジャンヌの夫ニコラスは士官で、伯爵を名乗っていましたがこの真偽のほどは分かりません。
この夫婦はヴェルサイユ宮殿に行ったことがあります。特に夫の方は士官なので、宮殿内には入れます。そこで実際には王妃に謁見はできなかったのだけれども、王妃に歓待されたと大ボラを吹きます。
この女性については、後半の映画「マリー・アントワネットの首飾り」でまた触れたいと思います。
巻き込まれる、聖職者ロアン枢機卿
今度はド・ラ・モット夫妻は高い位に着くロアン枢機卿に目をつけます。
このロアン枢機卿、立派な家柄の持ち主ではありますが、どちらかというと享楽的な人物でした。位が高いので、ストラスブールの大司教にもなった人物でオーストリアに大使として派遣されていたこともありました。ですが趣向が俗っぽすぎて(酒や女性を好む)オーストリアのマリア・テレジア大公に嫌われていました。
ルイ16世の即位時、枢機卿はフランスに呼び戻されたのですが、母の影響を受けていたせいでしょうか、マリー・アントワネットも枢機卿を嫌っていました。ですが、ロアン枢機卿はなんとかして王妃の寵愛を得たい、そして王妃の後ろ盾でもっと高い地位に就きたいと願っていたところをド・ラ・モット夫妻に付け込まれたのです。自分たちがアントワネット様との仲を取り持ってあげる・・・という具合に。
すっかり信じ込んでしまった枢機卿は、マリー・アントワネットとの仲直りの印が例のダイヤの首飾りの代理購入、と持ちかけられそれを信じてしまうのです。信じてもらえるように偽手紙も作りましたし、王妃様のそっくりさんをアントワネットに仕立て上げて枢機卿と合わせたりと工作をしました。信じ込んだロアン枢機卿は名義貸しをします。首飾りが引き渡されたのち、ジャンヌがアントワネットに首飾りを渡すとしていました。
ですが、首飾りが手に入ると同時に、ド・ラ・モット夫妻は首飾りを解体し詐欺仲間同士で分け、それぞれが売却していまいました。
バラされてしまったのでその首飾りというものは全く残っていません。デザイン画などがあるので今日の私たちはどのようなものかかろうじて知ることができます。そのダイヤの一粒でも出てこないかな、と願う次第ではありますが。
ロアン枢機曲は放蕩者でありながら人のいい若旦那みたいな性格の人だったのかもしれません。
革命へと向かう事件
枢機卿は名義貸しだけ、しかもマリー・アントワネットはその首飾りを全く購入していなかったのですから、当然売上は宝石商の手元に入るわけがありません。
焦った宝石商はマリー・アントワネットに請求書と手紙を送りました。身に覚えのない王妃は訳が分からず手紙を処分してしまいます。宝石商が支払われない代金に対して問いただしたところから事件が発覚しました。
ロアン枢機卿の名前が明らかにされ、マリー・アントワネットは感情的になって枢機卿及び関係者をを高等法院(当時の最高裁判所のような機関)に訴訟を起こします。その当時ジャンヌの夫ド・ラ・モットは逃亡していて逮捕を免れています。
裁判が行われた結果、ロアン枢機卿は無罪となり、ジャンヌだけが有罪となり身体に罪人の印の烙印を押され投獄されます。
結果としてみればマリー・アントワネットは全く無関係で事件にその名前が利用されただけの存在でした。
ですが民衆はロアン枢機卿の無罪を喜びました。その裁判に不服を申し立てた国王側は裁判官を解雇し枢機卿も結局幽閉してしまいました。ですから枢機卿の無罪をまた断罪しようとした国王とマリー・アントワネットに非難が集まったのです。
正規の審問機関を信じなかったマリー・アントワネット達。彼らは国民からも貴族階級達の信頼をも失ってしまった事件でした。民衆達からは贅沢好きなマリー・アントワネットだからきっと首飾りをこっそり所有しているのだろう、という疑惑も持たれてしまいました。
信頼喪失は、のちフランス革命勃発した際にマリー・アントワネット達に助力するものはほとんどいなくなってしまった結果となります。
首飾り事件が革命への道を加速させた言ってもいいでしょう。
ジャンヌ・ド・ラ・モット「マリー・アントワネットの首飾り」の主人公、そして最後は
映画「マリー・アントワネットの首飾り」の主人公です。映画の中でジャンヌは自分の出身だった家ヴァロア家の再興を目指す志のある女性として描かれています。
知られている、悪女、詐欺師とは大きく異なります。お家復興のためには手段を選ばない、そのためには何よりお金が必要だ・・・そのためには悪に手を染めることも厭わない。そこに哀しさがあります。映画終わりでは詐欺事件が失敗に終わり、幼い頃に住んだ屋敷で一人佇み夢破れたことを噛み締めます。でも悪事は悪事なのだ・・・とそのために受ける罰も覚悟した様子に本人の美学が表れています。ジャンヌを見る人によりどう感じるか、感じ方の違いなどを思い知らされた映画でした。
投獄されたジャンヌですが、いつの間にか脱獄してイギリスに逃亡します。逃亡して自分はマリー・アントワネットと同性愛関係があった、などとスキャンダル回顧録を出版しました。
ついに最後は旅館の2階から突き落とされるのですが、いくつかの言い伝えがあります。王党派の手によって、そして借金の取り立て人に突き落とされた、の説です。
どちらが正しいのか、確かな記録があるというわけではありません。どちらか・・・これを推理するのがへ歴史の醍醐味と言えましょう。
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