ホープダイヤモンドってご存知ですか?かつてマリー・アントワネットの手元にあったフランス王家に伝わる青いダイヤモンドです。最初はフレンチ・ブルーと呼ばれていました。
ルイ14世が購入し以来フランス革命で盗難に会うまでフランス王室にありました。
所有者を次々不幸に陥れる呪いの謂れのあるダイヤモンド。その後ホープ家でホープダイヤモンドと名付けられ、カルティエが仲介をしてマクリーン家に行きます。
その後は宝石商ハリー・ウィンストンに買い取られ、ついにはスミソニアン美術館で展示されるに至りました。
持ち主を不幸に陥れる、という伝説の真実はどうだったのでしょう?
呪われた宝石ホープダイヤモンドとマリーアントワネット、ホープって希望?なぜ青いの?
ホープとは言いますが、決して「希望」を意味するものではありません。ホープは人の名前です。所有者だった人の名前。回り回ってアメリカのホープ家にやってきたダイヤモンド。ホープ家の者が、今後これをずっと「ホープダイヤモンド」と呼ぶ、と取り決めたところから、ホープダイヤモンドと呼ばれ今日に至ります。
ホープダイヤモンドは綺麗なブルーをしています。ダイヤモンドというと普通、透明な白色をイメージしますが、ホープダイヤモンドは「青」。青色を出す原因はホウ酸とされていますが、これはダイヤに含まれる不純物です。不純物が混じっているとはいえ、ここまで大きいと不純物なんかどうでもいいです。
ところがこのホウ酸、ダイヤモンドが生成される地下深くでは存在があまり確認されていません。ではどうしてホウ酸がダイヤモンドに混ざりこむことになったのか・・・謎です。
ホープダイヤモンドにはもう一つ謎の特徴があります。一定の時間以上紫外線を当てると(宝石は鑑定で紫外線テストをします)赤く輝き、紫外線を止めてもその赤い輝きは1分以上続くのでした。
ホープダイヤモンドの始まりは?呪いの起源? 最初はフレンチ・ブルーと 太陽王のシンボルとして
最初は太陽王と呼ばれるルイ14世がジャン・バティスト・タヴェルニという宝石商から購入したのが始めですが、ここに至るまでに伝説があります。
9世紀頃のお話インドである農夫が見つけたのですが、それを侵攻してきたペルシャ軍に奪われてしまいました。
時は流れ17世紀中頃ジャン・バティスト・タヴァルニでがムガール帝国で購入しましたが、噂に尾ひれがついて、インドの寺院の女神像の目から抜いたのがのちにホープダイヤモンドと呼ばれるようになったダイヤだった、と言われています。またダイヤを抜いたのがタヴェルにだったという伝説もあります。その時神殿の僧侶がダイヤに呪いをかけたとか・・・・
その後ジャン・バティスト・タヴァレルニは熱病にかかって死んだ、または狼に食い殺されたと噂されましたが、どれも嘘で実際は84歳まで生き延びたと言います。
購入したルイ14世は、最初は112カラットあったらしいと言われるダイヤを7面体で約67カラットのハートシェイプにカットし、その時からこの宝石は「フレンチ・ブルー」と呼ばれるようになりました。ちなみに7カラットというのは当時の太陽を意味するシンボルでもありました。ルイ14世は太陽王と呼ばれていましたので、その名前との引っ掛けを狙ってカットさせました。
ルイ14世の没後、フレンチ・ブルーは次の国王ルイ15世に引き継がれました。14世はフレンチ・ブルーをスカーフ状のクラバット(首の回りにまく当時のネクタイ)を止める儀式用ブローチとして使用していました。受け継いだルイ15世は、「フレンチ・ブルー」を金毛騎士団の印のペンダントに取り付けました。
フレンチ・ブルー(ホープダイヤモンド)はついにマリー・アントワネットとルイ16世の手に・・・
ルイ15世没後、フレンチ・ブルーは次期国王、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットに受け継がれました。実際にマリー・アントワネットがフレンチ・ブルーを使用したとはっきりした記述は見つかっていませんが、時々つけていた可能性が高いです。その美しさに目を見張りその所有者となっている自分を誇らしく思ったかもしれません。
また王妃マリー・アントワネットの親友だったランバール公爵夫人も時々、借りて使うことがあった、とも言われています。
その後、革命勃発後1790年代初頭、暴動の最中窃盗に会い、フレンチ・ブルーはフランス王室から姿を消します。
さてここまで、フレンチ・ブルー、のちのホープダイヤモンドの所有者となったフランス王家の3台を見てみましょう。ルイ14世天然痘で死亡、ルイ15世も天然痘で死亡。ルイ16世夫妻はフランス革命に巻き込まれ二人共々捕らえられ、断頭台で命を落とします。その後継者であるはずのルイ17世も幼くして命を失ってしまった顛末となるのです。
また、フレンチ・ブルーを拝借したとされるランバール公爵夫人も革命で悲惨な死に方をしました。
フレンチ・ブルーからホープ・ダイヤモンドに
革命のどさくさに紛れて盗まれたフレンチ・ブルーは1800年、オランダの宝石研磨師ファルスという人物の手に渡りました。そこでまた宝石はカットされたのですが、ファルスの息子が盗み逃亡し、その後自殺。それを買い取った相手も急死する羽目になったそうです。
次のフレンチ・ブルー所有者はイギリス人でした。イギリスの宝石商ダニエル・アリアーソンであると確認されています。しかしエリアーソンはをすぐにに落馬で死亡した、と伝えられています。
その後、イギリス王室ジョージ4世の手に渡ったされる説もあります。そのジョージ4世は、暴飲暴食にようる肥満でそれが元となる疾病で命を落としました。
1830年頃、ついてにイギリスの銀行家ヘンリー・フィリップ・ホープがフレンチ・ブルーを購入。フレンチ・ブルーは20世紀に入る頃まで約70年間ホープ家の元に留まります。
次の持ち主は、3人の甥のうち一人でした。その後は甥の妻アデルになりました。アデルの死後、孫のヘンリー・フランシス・ホープが引き継ぎ、そのときからホープダイヤモンドという名前になりました。
ヘンリー・フランシス・ホープはアメリカ人女優メイ・ヨーへと結婚し、彼女はよくホープ・ダイヤモンドを身につけてパーティーに出席していました。
しかし銀行家ホープ家は破産しホープダイヤモンドは売却され、ホープはメイ・ヨーへと離婚としました。
ホープダイヤモンド ついにカルティエの元でペンダントに
この後、ホープダイヤモンドは売却が繰り返され、アメリカに渡ったり、パリにやって来たしながら不幸の伝説を続けて、ついに1910年ピエール・カルティエが購入します。そして現代私たちが写真等でよく目にするホープダイヤモンドの形となったのは、カルティエがダイヤの外周部分のガードルと言われる部分にファセットカットを施してからです。
カルティエはこのホープダイヤモンドが所有者に不幸をもたらす石である、と売り込みの際に常に話していました。一種のセールストークです。美しさの影に潜む伝説・・・これがより一層宝石の魅力を高めている・・・という具合に。
その手法が効を発しました。アメリカの大富豪マクリーン家がホープダイヤモンドをに興味を持ち、マクリーン家では不幸伝説を笑い飛ばし、反対に幸運をもたらしてくれると信じ購入を決めました。
購入後は教会でホープダイヤモンドに祝福を与えてもらう儀式も行いました。
マクリーン家の所有物となったホープ・ダイヤモンド。マクリーン夫人が愛用しました。時には自分の愛犬にもホープ・ダイヤモンドをつけて見た、というエピソードもあります。
しかしマクリーン家にも不幸が降りかかりました。マクリーン夫人の息子は交通事故で死亡、娘は自殺と、ホープ・ダイヤモンドの伝説は本当だったのか・・・という噂が流れ始めます。
ハリー・ウィンストン購入 ついに美術館に寄贈
マクリーン家の後、遺産売却の折、アメリカ人宝石商ハリー・ウィンストンがついにホープ・ダイヤモンドを購入しました。ハリー・ウィンストンは呪いの伝説を物ともせずその美しさに純粋に見せられてしまったのです。
しかしハリー・ウィンストンにも事故などに何度か出会ったようです。
ハリー・ウィンストン所有の時期に再びホープダイヤモンドにカットがなされて、45.5カラットまでになりました。
ハリー・ウィンストンは自分のコレクションに加え、ニューヨークなどで展示をしていましたが、最終的には人類の遺産としてスミソニアン博物館に寄付することとなりました。そして現在でも博物館で多くの人を魅了しています。
伝説の真実は?パリのジャーナリスト、女優メイ・ヨーへ、カルティエによって作られた歴史
ホープダイヤモンドに呪いがある、と初めて述べたのは1900年当初に、パリの通信員が記事の売り込みを狙ってロンドン・タイムズにこのセンセーショナルな記事を載せたのが最初なのではという話です。その時、その通信員はわざわざ架空の人物まで上げて記事を書きました。
その後、ホープと離婚した女優メイ・ヨーへが「ダイヤモンドの謎」という著作を出版。そこにまた架空のダイヤモンドの被害者を書き加えました。やがて映画化し自分が主演する、という次第です。映画の主演が狙いだったのか・・・・と納得。
その後カルティエがセールストークに利用したのでしょう。大した商売人です。そしてマクリーン家に渡りました。
呪いとは何だったのでしょう。「持ち主を不幸にする」「不幸の連鎖で呪われている」・・・
人間は必ず死にます。どんな形であれ必ず人は死に至ります。その死に様が、ここで問題になっているのですが、そのホープダイヤモンドの所有者もダイヤを所有した、触れたから死亡したわけではないのです。
フランス王家の滅亡は、ダイヤモンドを手にしたからではなく、当時の政治事情、度重なる戦争で財政の破綻は目に見えていました。財政負担から革命も起こるべきして起こった事件です。ルイ16世、マリー・アントワネットもこの革命の流れに巻き込まれてしまっただけなのです。
フランス王が2代続いて天然痘で死亡といっても、当時の伝染病の流行、医学の発達の状態から見ると、病死も珍しいことではありませんでした。
ホープ家だって、銀行を営んでいれば、いつ何時倒産の憂き目にあっても不思議ではありません。
マクリーン家の悲劇もたまたま重なった不運にすぎません。でもダイヤをつけてもらった犬の悲劇は聞いていません。
ホープダイヤモンドは何100年も存在し続けているのです。その持ち主が不幸だったからといって、ダイヤそのもの呪いというわけでもありません。
美しすぎるダイヤモンド・・・美しすぎるからこそ、その美しさに目がくらんだ人たちは自ら不幸へと飛び込んでいったからなのかもしれません。
むしろこの悠久の歴史の目撃者として、今は畏敬の念を持ってこの、ホープダイヤモンドを見つめたいと思います。もう盗む人が出ないよう・・・ダイヤにはここで眠り続けていただきたい。
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