デュバリー夫人は漫画やアニメ「ベルサイユのばら」で、悪女として有名でしたね。
ルイ15世の側室でした。それも公式の。
そんなデュバリー夫人はフランス革命で処刑、ギロチンにかけられて命を失いました。
あれだけ国王の寵愛を受けた女性となると、革命になると庶民から恨まれるのでしょうね。
権勢を誇る時代は、王太子妃マリー・アントワネットに無理やり挨拶させましたが、この挨拶には重要な意味があったのです。
性悪女として見られていますが、デュバリー夫人性格はそんなに悪かったのでしょうか?
デュバリー夫人には、ちょっと変わった逸話があります。聞くと微笑ましくなります。
デュバリー夫人に関しては、映画ができるそうです。2022年夏、その映画制作の広報がありました。期待が高まりますね。
デュ・バリー夫人の最期はギロチン!処刑人は知り合い。 命乞いするも・・
デュ・バリー夫人、捕まる!
デュバリー夫人は元は平民出身でしたが、上手に世渡りしてルイ15世の側室、公的愛妾という身分になりました。ほぼ貴族と同列の扱いです。
フランス革命の最中、フランスにいて革命側に捕まってしまいます。
この頃は貴族たちに顔が現代のように知られていなくて貴族の顔を認識するのに知っている人を連れてくるなどの苦労があったそうなのですが、デュバリー夫人は意外とあっさりと捕まってしまいました。顔をしっかり知られていたみたいですね。
1793年3月でしたからまだ、マリー・アントワネットは生きていました。
デュバリー夫人もタンプル塔に収容されたと言いますから、時期がマリー・アントワネットとダブったいるみたいです。でも塔内で遭遇した事実は残念ながらありませんでした。あると面白かったのですが。
いえ、でも革命当時またデュバリー夫人の名が知られる出来事があったのです。
当時デュバリー夫人には恋人がいました。バリバリの王党派軍人です。その軍人は革命政府の手によって惨殺されてしまったのですが、その時にデュバリー夫人の顔と名前が再び浮上しました。
囚われ、投獄され裁判そして、ギロチンで処刑、と決まりました。
この時代、貴族、貴族関係者、王党派なら問答無用でギロチン刑と決まっていました。
ギロチン執行人は元恋人
さて、いよいよ処刑の日となりました。死刑執行人はアンリ・サンソンと言い代々死刑執行人を務める家系の人物でした。
アンリ・サンソンはデュ・バリー夫人の若い時の恋人でした。
昔のよしみで命乞いをするデュ・バリー夫人。
あまりにも泣き叫ぶので、自分は降りて処刑を後継者となる息子に任せました。
泣き叫ぶ昔の恋人を手にかけるをためらったのでした。
それにしても、知り合いだから哀れみをかけて、自分の息子に代わってもらうというのも、なんか無責任じゃないでしょうか。
代わられた側はあまりいい気持ちはしないと思うのですが・・・
逃げ回るデュ・バリー夫人
死刑執行人が代わると、今度はデュバリー夫人は逃げ回りました。
しかし結局は捕まり、「お願い!もう少しだけ待って!」が最後の言葉とり、断頭台の露ときえました。
物見遊山できていた群集もこの様子を呆気に取られて見ていました。
ここにはマリー・アントワネットを処刑した時のような高揚した声は上がりませんでした。
それどころか後に残った感情は惨たらしい処刑だったと、思う後味の悪さ。
これまで処刑された王、王妃、貴族たちの潔さから見ると、バタバタ暴れて見苦しく見えるのかもしれない。
しかし、デュバリー夫人は貴族の生まれではなく、下層民からの成り上がりなので、最後に下層民らしさが出るのは仕方がないのでしょう。
アンリ・サンソンの思い
アンリ・サンソンが後に「貴族たちが、もっと『死にたくない』感情を露わにして命乞いをすれば、もっとギロチンの残酷さに気がつき、恐怖政治ももっと早く終わっていたかもしれない」と手記に残しています。
ここで感じるのは、平民の持つ逞しさ、生き延びたいという感情には生き生きとした生命力がある、ということでした。
貴族たちのプライドは大して役に立たない。
アンリ・サンソンは、ルイ16世も、マリー・アントワネットの処刑も手掛けました。
そして、ルイ16世を敬愛しており、自分の手で処刑したことを悔やんでいました。
ルイ16世の死後は、ルイ16世のためにミサを捧げました。
もし、ルイ16世の死を悼んだ、と革命政府にしれたら、自分の命も危うかったというのに・・・
デュバリー夫人のイギリス行きと帰国
ルイ15世が崩御後、デュバリー夫人は王宮を出ました。
その後は修道院に入り、のちに出て、自分の城に住み穏やかな生活をしていました。
が元々恋愛体質の人。それに若い時は男性遍歴が華やかな人・・・一人で過ごすなんてことはしないで・・・やっぱり恋人できちゃいました。
パリを守る軍司令官ド・ブリサック元帥がちょうど、フランス革命期のデュバリー夫人の恋人でした。
が、王党派だったド・ブリサック元帥は、民衆に虐殺されてしまいました。
身の危険を感じたデュバリー夫人はイギリスに亡命します。
フランス革命下ではかなり多くの貴族がイギリスに亡命しました。海を隔てた外国、それも王政が行われている国、ということが理由だったのですね。
デュバリー夫人は、イギリスでフランスの亡命貴族たちの手助けをしていました。多分新しい身分の所得、多分身分証明書作成、隠れ家の斡旋などだったのでしょう、
しかし何を思ったのか、1793年フランスに帰国します。
自分がフランスに残してきた宝石を取りにに戻った、という説もありますが、どうなのでしょうね?
本人が帰国したら相当に危ないことは知っていたはずです。
宝石や大切なものなら最初に持って逃げたと思うのですが。それに人を雇って取りに行かせてもいいことですし。他人が信用できなかったのか・・・
ある貴族の女性は、外国に亡命していたにもかかわらず、王妃救い出したくて帰国したあげく民衆に殺されてしまいました。
デュバリー夫人の場合、それほど大切な人がフランスいたのだろうか?というのも考えの一つではありますが、どうもそうではなさそうです。
熱烈な恋の相手はド・ブリサック元帥でしたが、死んでしまっていましたからこれも違います。
あるいは、デュ・バリー夫人もマリー・アントワネットの身の上を案じて戻ってきた・・・意外とマリー・アントワネットに情があったのかもしれません。
なんてことは・・・想像でしかありません。
ひょっとしたら、デュバリー夫人の手紙または日記なんていうものがどこかに残されて、それが発見される日があれば、真実が明らかになるかもしれませんね。
デュバリー夫人の性格と人柄
イメージは嫌な女
「ベルサイユのばら」を見ると意地悪で高慢ちきな女、ですよね。
元は庶民で娼婦まがいのことをして、身分の高い人に金銭で買われ徐々にのし上がって愛妾になる・・など見ていると、タカビーで、贅沢付きで、とあんまりいい印象は持たれていない人物です。
ルイ15世の娘たち(ルイ16世にとって3人の叔母さまたち)やマリー・アントワネットにひじょーに嫌われていました。
マリー・アントワネットのが場合は、娼婦や愛妾が大嫌いだった母親の影響から、偏見が入っていました。
叔母さまたちは、自分たちが権勢を振るえないから、という理由でした。
実はいい人!
しかし実際はデュバリー夫人の性格、人柄を見ると陽気な性格で愛嬌があり、誰とでも打ち解ける親しみやすい人柄だったようです。
天真爛漫なところがあり、宮廷に愛妾として入ったのも、美しく着飾って楽しく過ごしたいそんな願望がありました。
本当は、高慢ちきな意地悪女では全くありませんでした。
マリー・アントワネットに対しても、若く可愛らしい王太子妃と仲良くしたいと思っていただけでした。
ところがマリー・アントワネットの方が、ツンデレぶりを発揮し、叔母さまたち(ルイ15世の娘たち)がマリー・アントワネットを味方につけたかったこと、これが対立に発展しました。
デュバリー夫人は、今で言う天然っぽいところがあったような感じです。
宮廷内でも自分の思うままに振る舞っていたところがあります。
そんなところ、生まれは違いこそすれマリー・アントワネットとちょっと似た性格があるかも。
デュバリー夫人は良い意味で庶民的感覚を失わずにいた人なのかもしれません。
それにルイ15世のもう一人の愛妾ポンパドール夫人と比べると、贅沢度が少なめだったとのことですが、庶民から見ると遥かに贅沢ですけれどね。
デュバリー夫人は、娼婦まがい、高級娼婦などと言われていましが、気のいいおかみさん的人柄だった!
現在でもキャバクラ嬢さんでも、姉御肌で人の面倒見の良い人がいます。そんな人柄の人物だったのかもしれません。デュバリー夫人って。
そんなデュバリー夫人の性格は、晩年に差し掛かったルイ15世にとっては癒しの存在になったと思います。
マリー・アントワネットをはじめ、貴族女性の御用達の絵描きだった、ルブラン夫人。
そのルブラン夫人の書いたデュバリー夫人の肖像画がありますが、それをも見ると、確かに美しいですが、どことなく人のいいおばちゃんタイプの女性に描かれています。
デュバリー夫人、王太子妃マリー・アントワネットへの挨拶
当時のフランスでは・・・
「今日のベルサイユは大変な人ですこと」
「ベルサイユのばら」でも有名なセリフでしたね。
マリー・アントワネットからデュバリー夫人への挨拶の言葉ではありますが、オーストリアの危機を救った一言だ、になったのです。
問題なのは挨拶の内容ではありません。当時のシチュエーションでした。
オーストリアは、フランスに内緒でポーランドの分割をロシア、プロシアと3国で勝手に画策していました。オーストリアはフランスにこの陰謀を隠したかったのです。
なにしろフランスとオーストリアは連盟の条約を結んでいましたから。その条約の証がマリー・アントワネットとフランスとの結婚でした。
これは条約破り、と取られても仕方のないことです。
条約破りが発覚した折には両国の戦争・・・あるいは王太子妃マリー・アントワネットの返還、つまり離婚あるいは幽閉か・・・ですから。
マリー・アントワネットが頑なに、デュ・バリー夫人に挨拶を拒んでいては、ルイ15世を怒らせ、マリ・アントワネットに悪意あり、と勘ぐられてしまいます。
下手すると一触即発です。
身分と挨拶
挨拶ぐらい・・・なのですが、当時の宮廷のしきたりでは身分が高い人から話しかけられない限り、身分の低い方から話してはいけない、でした。めんどくさいしきたりですね。
いくら相手が国王とはいえ、一回の愛妾の地位は正式の王太子妃に叶わないのです。
立場を利用してマリー・アントワネットは頑として、デュバリー夫人に挨拶一つしてやらなかった、という次第です。
その状態を周囲も煽ります。いつ挨拶するか?王太子妃マリー・アントワネット、デュバリー夫人、どちらが根を上げるか・・・?
デュバリー夫人がマリー・アントワネットに認めてもらえない辛さを、国王ルイ15世に訴え続けていたために、ルイ15世が「挨拶ぐらいいいだろう」と言います。
しかし自分の思い通りにいうことを聞いてくれない嫁に苛立ちを隠せなくなりました。
大臣、特にオーストリア大使が、危機を感じて一生懸命マリー・アントワネットを説得した結果が、新年の挨拶「今日のベルサイユは大変な人ですこと」でした。
これで戦争の危機は回避できました!
しかし、宮廷での単なる地位争い・・・こんなことでご機嫌を損ねてしまった国王、なんだか情けないです。
こんな簡単な挨拶一つ、それに一喜一憂する宮廷もあんまりお上品でないかも。
デュバリー夫人の逸話・・・スープとは!
クレーム・デュ・バリー
逸話の一つに、クレーム・デュ・バリーという名前のスープがあります。カリフラワーのポタージュスープです。
デュ・バリー夫人がカリフラワーが好きだったためにつけられたスープの名前です。
デュバリー夫人だけでなく、ルイ15世がカリフラワー料理が好きだった、という説もあります。結局どちらも好きだったのではないですか?
18世紀フランスでは、カリフラワーを裏漉ししてスープにしていました。
日本人のイメージだとポタージュというのはとろみのついたスープをさしていますが、この時代というか本来のポタージュとは、スープ全般をさしていました。
ですから、カリフラワーのポタージュと言っても当時はとろみのついたスープではありませんでした。
でも料理の名前の最初に、「クレーム」とあるので、クリームっぽい食感だったように思えます。
現代に復元されたレシピでは、やはりクリームを使ったり、ポテトを使ったりしてとろみをつけています。
フードプロセッサーが存在しないので、カリフラワーを裏漉しをするのはかなりめんどくさい作業ですので、やっぱりこれは貴族の食べ物ですね。
デュ・バリー夫人の名前の城
もう一つの逸話はデュバリー夫人の名前をつけたお城があります。
既存のお城だったのですが、ルイ15世は改装してデュバリー夫人にプレゼントしました。「シャトード・マダム・デュ・バリー」と呼ばれるようになりました。
時は流れ、この城はフランスの国定史跡となりましたが、資金不足となったところ日本の実業家が購入したものの、管理がずさんでまたフランスの所有に戻されることとなりました。
そして現在見ることのできる姿に改修されました。観光客は外からの見学はできますが、自由に内部には入れないらしいです。一般公開のコンサートがある時のみ入れるとか。
デュバリー夫人主人公の映画
2022年夏に発表されました。デュバリー夫人の映画が制作されます。この映画はデュバリー夫人とルイ15世の愛の物語となる、という話でした。
タイトルは「ジャンヌ・デュ・バリー」そのものですね。
すでに7月には撮影入っているようです。
監督は、女優、監督、脚本家をこなす働き者のマイウェン。ご主人は映画監督リュック・ベンソンです。マイウィンは主役デュバリー夫人も演じます。
ルイ15世は、なんとジョニー・デップ!ジョニー・デップといえば「パイレーツオブカリビアン」でしたが、最近は「ファントスティックビースト」で悪役で出演していました。その表情の作り方など、役柄に深みが出てきたように思っていました。
今度は一体どんなルイ15世を見せてくれるのでしょう。まさか身分違いの恋・・・みたいな純愛にはならないとは思いますが・・・
白塗りの化粧、かつらをつけ、18世紀風帽子を被り、ルイ15世にメイクしたジョニー・デップの写真(横顔でしたが)をネットで見ることができますよ。
もしかしたら、ここで革命最中イギリスからわざわざ帰国した謎、に新たな解釈が加わるかもしれません。
とにかくどんな映画になるか楽しみです。公開は2023年になります。
日本での公開は、2024年2月2日からです。
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