オスカルとは、「ベルサイユのばら」主要キャラ、で男装の麗人です。
架空の人物ながら、絶大な人気があり、今では、オスカルなしではフランス革命は語れないほど、無視できない存在です。
オスカルは、フランス革命のきっかけ、「バスティーユ襲撃」に自分の信念をかけて参加し、命を落とす生き様は、まさに、読者のハートをわしづかみにしました。
病気にもかかり、それが死に関係してくるのだから、そこもまた、胸熱なシーンです。
アンドレ、マリー、ロザリー。フェルゼンとオスカルを取り巻く人物像との関係も、魅力に花を添えます。
ここではオスカルの行動から、その心理を読み解いてみようと思います。
それと同時に、オスカルを通して、フランス革命の初期を一緒に覗いてみましょう。
オスカル 「ベルばら」がかっこいい理由
オスカル「ベルばら」は、とにかく美形
オスカルのかっこよさについて「ベルばら」人気を考察したコラムなどに、書かれています。
それによると、
何よりも、まず美形であること。
けれども美形だけなら、マリー・アントワネットも、アンドレ、フェルゼンも皆、美形ですよね。
まあ、それぞれ人気はありますが。
「ベルばら」にオスカルが初めて登場した時は、読者たちは『すばらしく、美形な男性だな』と思ったものです。
それも少女漫画だから、当然か、みたいな思いはありましたが、女性と知った時、読者一同はびっくりしました。
それにして、女性キャラでも男性キャラでもとにかく、美貌の持ち主。
この美貌が宝塚の舞台に生かされて、宝塚のトップスターたちに演じられて、ますます人気が上がった、というのが美人度での人気の秘密、と私は思いました。
オスカル「ベルばら」で、正義感の持ち主
オスカルの場合は、まずその存在が問題です。
貴族の姫君に生まれながら、姫ではなく、男性と同じ武官として生きる道をとった。
最初は、男子に恵まれなかった親の意向ですが、オスカル自身もだんだんと、男性としての生き方を普通に思うようなってきた流れです。
オスカルの持つ心意気、これは正義感が強く、個人の自由を尊重します。
個人の自由など、18世紀フランスでは表現されておらず、18世紀に生まれてきた、啓蒙思想に影響を受けた、感じです。
まさに、当時の時代の流れを感じさせる人生でした。
貴族として生まれながら、自由を大切に感じるようになったのは、男性として生きたからこそ、得た感触だ、と私は思います。
オスカルは時代の反逆児か?
18世紀という時代を見たときに、オスカルは時代の反逆者にも見えるのです。
時代への反逆、これは全ての時代に、若者が持ち合わせています。
それを大抵の人は心に思っていてもなかなか表面に表すことができません。
それをやってのけたのが、オスカルでした。
「ベルサイユのばら」が書かれたのは1972年、連載は2年でした。
その時の女性は、まだ社会的地位がそれほど高くありませんでした。
例えば、結婚すれば、専業主婦となり、夫の稼ぎで暮らす。
また作者の池田理代子さんもおっしゃておられましたが、連載漫画の原稿料は男子漫画家の半分ほどだった。
その理由をきたところ、「女性は結婚して、男性に養ってもらうのだから、当然」と言われたそうです。
第2次対戦前に比べると格段と、女性の地位は上がってきていましたが、まだまだ女性は一人で生きるのが難しい時代でした。
オスカルとは、作者が心に抱いていた悩みを、オスカルが表現する、そんな役割を背負って生まれてきた、キャラだったのでは、と今、私は思っています。
オスカルは人間味あふれるキャリアウーマン
1970年代は、女性もそろそろ自分で何かを成し遂げたい、と考え始めるようになってきました。
「ベルばら」に目を向けると、女性の身で軍隊を指揮し、男性の軍人を従える姿は、まさに憧れ。
男性社会の中で、堂々と生きるオスカルに自分の希望を重ねていました。
そこが憧れの的、かっこいい、と思う姿でした。
キャリアウーマンとしてのオスカルが、そこにいます。
もう一つ、オスカルのかっこよさに加わる要素は、人間味、それも悩みを抱える姿でした。
オスカルがフェルゼンに恋をして、フェルゼンからの愛は得られない、と思った時の苦悩。
恋愛の苦悩…これは、ティーンエイジャーの女性なら、一度は通り抜ける道。
それに、多くの読者は共感しました。
憧れのオスカル様が、自分たちと同じ悩みを以っている。ここに親近感を覚えたのだと、私は思っています。
オスカル、「ベルばら」では病気の設定
オスカルは「ベルばら」で、せき込んで、血を吐きます。
血を吐く、ということは結核でしょうか?まず結核が疑われます。
結核は古くからある病気で、近代、第2次世界大戦の頃までは死に至る病でした。
結核の原因としては、風邪をひいた後治らない、身体の弱り、不摂生などが挙げられます。
オスカルの場合、結核が疑われます。しかし、結核とはどこに書いてありません。
結核という要素は、昔から小説(特にロマンス小説)などではよく使われるネタでした。
オスカルの場合もその常套手段を使ったのかな、と最初、私は思いました。
結核とすれば、オスカルはなぜ結核にかかったのでしょうか?
体調を崩す少し前に、オスカルはアルコールに溺れる時がありました。
その不摂生でしょうか?それとも、不穏となりつつあった、社会を気遣っての過労か?
血を吐く、病気は他にもあります。
胃潰瘍、といった内臓疾患も考えられます。胃潰瘍なら、政情不安のストレス?
読者の中には、描かれている表現が「吐血」とあって「喀血」ではない、というところから、結核ではない、と考える方もいらっしゃいます。
バスティーユ襲撃では、ひどく血を吐いて、体勢が保たれなくなったところを狙われました。
その時の血の量からすると、今は、ストレス性胃潰瘍、あるいは癌の考えに私は賛同したくなりました。
謎に包まれる(?)オスカルの病気です。
オスカル「ベルばら」のドレス姿
オスカル、ドレスの意味
オスカルは、フェルゼンへの想いをかけて、女性の姿で、ドレスを着て、夜会に行きます。
こおはフェルゼンに、女性として見てもらいたい、という持ちがあったのでしょう。
オスカルのドレス姿に、アンドレは目が眩むような思いです。
そして、その姿はフェルゼンのためだと、気がついています。
それにしても、ドレス姿で、夜会の会場に入った、オスカルに誰一人気が付かなかった、というのに、私は違和感を感じました。
でも、それだけ、人々(漫画内の18世紀の貴族たち)はオスカルは男性姿、と固定観念を持っていたのでしょうか?と私は思うのですが。
このシーンでは、非常に女性ファンから共感を集めたのではないかと、私は思います。
フェルゼンは、その女性がオスカルに似ている、と思うのです。
そして、フェルゼンはオスカルの、素晴らしさを語りはじます。
それを聞いた、オスカルは、自分はこれだけフェルゼンにとって、これだけ重要な人物だったのだ、と知り、フェルゼンを諦められる、と思った、という次第です。
でも、フェルゼンに気が付かれそうになり、逃げ出すのですが。
この辺り、なんとなく、シンデレラに似ている?なんて、私は思ってしまいました。
オダリスク風、ドレスとは?
そのドレスですが、「ベルばら」ではオダリスク風と呼んでしました。
18世紀で夜会のドレスでは襟の詰まったものは、マナーに合っていない、ということでした。
あのドレスは、オダリスク風といいますが、どういう点がオダリスク?
オダリスクとはトルコの宮廷のこと。
そのドレスはトルコ宮廷で、ハーレムの女性が着るようなデザイン。
それだともう少し露出度が高いと思うのですが。
結局、オダリスクとは、オスカルが手にしていた扇が羽であるところが、オリエンタル風のようです。
扇だけで、オダリスク、といっていいものか疑問です。
18世紀の夜会服は、胸元の露出度が大きいですが、オスカルが、あまり生々しい女性っぽさを出すと、イメージが崩れる、という池田理代子さんの配慮と、ファンは推測していました。
確かに、私も、その時代漫画を読んで、オスカルのドレス姿に違和感を感じたのですが、
18世紀に合っていない、というのも、納得です。
ベルばら オスカル バスティーユへ
オスカルはなぜ、バスティーユ監獄の襲撃に参加したのでしょうか。
バスティーユ襲撃は、1789年7月14日に起こりました。フランス革命への口火となった事件です。
オスカル、近衛兵から衛兵隊に
オスカルは、民衆の苦しみを見て、自分は何をしなければならないか、と考えた末に、フランス革命の思想に共感したのです。
そして、自分に与えられていた地位 近衛兵の士官であることに疑問を持ちました。
近衛隊をやめ、フランス衛兵隊に入隊しました。
フランス衛兵隊、隊員が貴族などではなく、ほとんど平民で組織された軍隊です。
はっきり言って、上位貴族の子弟が行くようなところではありませんが、オスカルはあえて衛兵隊を希望します。
オスカルが衛兵隊に移った時、パリ市内は不穏な空気が流れてきていました。
何らかのきっかけ一つで、爆発するかもしれない。
オスカルの心の動きが、近衛隊からへ衛兵隊へ、と移ることでよく現れていると、私は思います。
俺まで、身分、父親の庇護のもとにあったオスカルが、初めて自ら庇護を離れた瞬間です。
あえて、危険なところに身を置いたオスカル。
ここでオスカルは初めて、自分の足で立ち始めた、そんな気が私にはします。
三部会で揺れるオスカル
1789年5月5日に、三部会が行われました。
これは、1300年代に作られた制度で、フランスの3つの身分の代表、僧侶、貴族、貴族が集まり、国の問題について議論し、議決する会議です。
国会のような会議ですが、全員で話し合い、結論を出すというより、国王から議題が提示しますが、結論も出して、国王が、国民からの支持を得るために開かれた会議なのです。
三部会の議題は、いつも課税に関することで、1789年の会議も、課税、財政が中心でした。
課税の議題が、段々と、会議の形式、身分のことに議論は流れました。
その結果、第1身分の僧侶、第2身分の貴族たちが、第3身分の平民を会議から締め出す強硬策をとってしまったのです。
オスカル、国民議会の情熱に衝撃を受ける
平民たちは自分たちで結束して、人民のための「国民議会」を作ってしまったわけです。
厳密にいうと、フランス革命はここから始まったのです。
三部会の警備についていた、オスカルは衛兵隊の隊長として、この様子を見守り、平民が締め出されるところ目の当たりにしました。
オスカルの部下たちは平民出身が多く、その様子を悲しんでいました。
平民たちが、三部会を締め出され、国民会議を作りその誓い「テニスコートの誓い」を交わす、平民の熱い血に、オスカルは心を奪われたのです。
これが、オスカルが平民に、味方するようになった原因です。
こうなってくると、オスカルは、もう自分が貴族という身分に身を置いていたことをどうでも良く思っているかもしれない、と私は思うのです。
三部会は失敗に終わり、パリ市内には、危険地帯となりました。
ちょっとしたことで、争いが起こ始末です。
パリでの暴力行為と発砲事件を恐れた、国王・貴族は武力を整え始めます。
国王がわの武器が、バスティーユ監獄に運ばれた、と噂が流れて市民は自衛のため、バスティーユに話し合いに行ったのですが、会談は全く進みません。
そのうちに、群衆がバスティーユの周りに集まりすぎ、人々が興奮状態になり、恐怖から誰かが発砲した!
そこから一気に攻撃が始まりました。
オスカル、革命に加わる!
オスカルたち、衛兵隊も、ここで絶対何かある、と見て待機していました。
そこで発砲と同時にオスカルたちも、攻撃に加わったという次第です。
ここで私が感じたのは、フランス革命を客観的に見るために、オスカルという人物は非常に的確な人材だったということです。
フランス革命は、世界史を全く新しく塗り替えるための事件でした。
世界史の教科書みたいな表現ですが、「民主主義の台頭」、なのです。
始めた起こった革命の、目撃者がオスカル。
マリー・アントワネットやルイ16世は、当事者すぎて、歴史を見る手がかりにはなりません。
オスカルの目を通して、当時の貴族と平民の違いを、私たちは感じることができるのです。
18世紀のインテリ階級に属していた、オスカルは歴史がよく見え、歴史をを紹介する人物の役割を果たしています。
オスカルの目を通して、フランス革命の始まりは、
フランス王家が悪い、というのではなく、革命側がどうというのではなく、起こるべきしておきた戦争、だということを、私たちは見るのです。
架空の人物だからこそできる、ことだったのでしょう。
「ベルばら」オスカル 死亡の意味
「ベルばら」のオスカルは、バスティーユ監獄への襲撃に参加し、死亡します。
これもまた、多くのファンたちが涙しました。
物語の中のオスカルは、バスティーユ牢獄の塔に白旗が上がり、革命軍側が勝ったと知ると
「フランス、ばんざい!」と言って、亡くなります。
オスカルは自分の人生を悔いなく生きた、ということ、つまり、物語の登場人物としての役割を終えたことを意味します。
ここで、私が感じたのは、オスカルがこのまま生き続ければどうなっただろうか?ということです。
ちょっと予想してみましょう。
革命軍に加わったオスカルは、生き残ったとしてら、このまま革命軍として生きなければならなくなります。
それはこれまで自分が生きてきた、全ての人たちと、別の道をいくことになります。
敬愛してきた、王妃や国王の敵になり、父親 ジャルジェ将軍とは親子でありながら敵味方に分かれ戦わなければならない。
確かに、オスカルはそれを覚悟して、フランス革命の理想に賛同したのですが。
その親しかった人々に、実際に剣を、銃口を向けることができるのでしょうか?
それは、ものすごい心の葛藤となるでしょう。
また、革命は決してきれいごとでは済まされないことです。
革命軍の中で、考え方の違いから分かれたり、あるいはドロドロとした争いも起こるでしょう。
それに、潔癖なオスカルは耐えられるでしょうか?
物語の中のオスカルは耐えるかも知れませんが、多分、泥に塗れた人生になりそうです。
ファンとして、みた場合、そんなオスカル様はみたくない、と思うでしょう。
「ベルばら」のテーマの一つは、オスカルの高潔な生き方なのです。
ここで、オスカルを高めるために死ななければならなかった、と私はみています。
そしてもう一つ、オスカルが架空の人物であることを忘れてはいけません。
物語で作られた性格上、オスカルは何か大きな働きをやってのけそうです。
ところが、実際の人物内ため、オスカルを大きな役割を与えるには、無理があります。
そこで、物語の山場で、オスカルは殺すに限る、という流れにした、と私は思っています。
「ベルばら」 オスカル、アンドレと結ばれる
ベルばらでのオスカルの魅力のもう一つはこれです。アンドレと結ばれたこと。
アンドレも、もちろん架空の人物です。
作者の池田理代子さんは、「ベルばら」を描き始めた頃は、アンドレとオスカルが結ばれることは考えていなかったそうです。
オスカルに対るアンドレの愛、身分を超えて
ベルばらファンは、オスカルとアンドレの恋の行方はどうなるのか、とヤキモキしたものです。
アンドレにとって、オスカルは高嶺の花と言っていい人です。
まず、自分が使用人である、オスカルはお嬢様である。
オスカルはフェルゼンに惹かれている。
ジェローデルという近衛士官が、ジャルジェ将軍(オスカルのお父様)によって、結婚相手として連れて来られる。
どちらも、オスカルと身分が釣り合った、男性たちばかり。
18世紀のしきたりでは、オスカルとアンドレの結婚は、可能性ゼロです。
オスカル・アンドレ 身分制崩壊の予感
オスカルはやがて、アンドレが誰よりも自分の近くにいて、絶えず自分を守ってくれる存在と気がついて、自分もアンドレなしでは、いられないことに気がつくのです。
そこで、オスカルとアンドレは結ばれることとなりました。
今にして思うと、これも時代の先駆けなのでは、私は思われます。
それも先駆け、というだけでなく、オスカルが革命軍になったことで、アンドレと対等になった、証拠、と私は言いたいです。
1970年代の結婚観は、男性の方が、収入も高く、職業であっても上でした。
女性は、勤めていても、結婚したら辞めて専業主婦になる、というのがごく普通のことでした。
でも「ベルばら」で描かれていたのは、女性の方が身分が高くても、収入が多くても、結婚は成り立つんだ、ということを女性に意識させた事件でもあります。
そこに、何百年も続いてきた、厳しい身分制が、崩れつつあることがここでは示された印、とわたしは見ています。
愛が全てに勝った、そんな時代がやってきます。
ベルばら、ロザリーとオスカル
ベルばらで、ロザリーという人物が出てきます。
オスカルに助けられ、やがて自立する娘。そして、ロザリーにとってオスカルは初恋の人です。
ロザリーは実在の人物です。
ですが、登場するのは、マリー・アントワネットが、コンシェルジュの監獄に入ってからであって、王妃の華やかなベルサイユ時代に、は全く会っていません。
名前も、ロザリー・ラモリエールといい、ベルばらでの名前は一緒です。
獄中にいる王妃について書いた手記が残っているところから、ロザリーの名は残っています。
池田理代子さんの手法は実に優れていると思います。
こうして、実在でも、歴史のわずかな部分にしか登場しない人物を、準主役にするのですから。
ロザリーもまた、革命の傍観者です。
平民出身(と言っても、ベルばらの設定ではポリニャック夫人の娘)のロザリーと出会ったから、オスカルは平民の生活を知ることになったのです。
黒騎士の事件で襲われ怪我をしたオスカルがロザリーの家で手当されます。
その時、出された食事があまりにも貧しかったことに、自分の身分を恥じるようになりました。
これがオスカルの目覚めだったと思います。
ロザリーがいなかったら、オスカルは貧しい暮らしに触れることなく、革命への参加もなかったかもしれない。
そんな意味で、ロザリーがキーパーソン、そう私は思います。
ベルばらのロザリーは、フランス革命を「オスカル様が、成し遂げたことを最後まで見守る」と言って生き延びます。
ベルばら、オスカルとマリー
「ベルばら」のマリーとは、もちろんマリー・アントワネットのことです。
マリー・アントワネットは、最初にオスカルを見た時、近衛兵として馬車に付き従っていたオスカルを見て、その美貌に心ときめかせます。
おつき、女官に、『オスカルは、女性ですよ』と教えられ、びっくりするシーンがありました。
オスカルは、父のジャルジェ将軍から、オーストリアから王太子妃として輿入れしてくる、マリー・アントワネット様にお仕えするように、言われました。
近衛兵としては、与えられる任務としては当然なのですが、女性であったからこそ、マリー・アントワネットの側近くで、使えることができたのです。
女性には、女性が必要だ、というところでしょうか。
また、マリー・アントワネットは、外国からやってきたため、フランスでは孤独な立場だった。
一方のオスカルは男性として育てられた、他に例を見ない立場で、友人となる女性がいないかとから、これもまた孤独な立場でした。
二人は孤独なもの同士、打ち解けあう存在だったのです。
オスカルは、マリー・アントワネットのように快楽的なところはありませんでしたので、王妃になってからのマリー・アントワネットの遊びには付き合わなくなりました。
プチトリアノンでの、お茶会、その頃流行した賭博、などオスカルは避けていました。
それと同時に、フランス国内をもっとよく見るように、とマリーに進言していました。
でも、マリーはなぜオスカルが、難しいことを言ってくるのかわかりませんでした。
これがオスカルには残念でたまりませんでした。
オスカルは、マリーには良い王妃になってもらいたく思っていたのが、漫画の隅々から読み取ることがでます。
ベルばら、オスカルとフェルゼン
オスカルが自ら愛した男性、フェルゼン
「ベルばら」で、オスカルが始めて女性の顔をしたのが、フェルゼンを相手にした時でした。
ちなみに、フェルゼンは実在の人物です。
しかし、オスカルがフェルゼンに突然恋をした、という感じではありません。
漫画を読んで、初めてわかるところは、フェルゼンに結婚話が起こるところです。
フェルゼンが顔を知らない人と結婚する…それをオスカルが詰め寄ります。
「愛してもいないのに結婚するのか」と。
このセリフ、実は、18世紀ならおかしい!
貴族なら、家と家との事情が大切なので、顔を知らない人との結婚が普通でした。
国王の結婚だって、そうでしたから。
設定的には、オスカルの両親(ジャルジェ将軍夫妻)は、恋愛結婚だった、ですから、オスカルは結婚は、愛し合うもの同士が結婚する、と時代を超えた偏見(?)を持っていたのかもしれません。
フェルゼンの告白に、ショックを受けるオスカル
フェルゼンは、フランス王妃 マリー・アントワネットを愛しているのだ、と。
そんなことは口にするのも恐れ多い、国家反逆罪に相当する、とオスカルに語ります。
マリー・アントンワネットを愛している、そう聞いたオスカルは激しくショックを受けます。
これはもう、十分に、オスカルがフェルゼンに恋してしまっている証拠。
これ以降は、オスカルはひたすら、自分のフェルゼンへの気持ちを押し隠します。
一方、フェルゼンの方はオスカルを、非常に良い友人、親友の気持ちでいました。
オスカルが、自分の気持ちを抑えきれなくなって、出た行動が、例の夜会でのことです。
のちに、フェルゼンは夜会の女性がオスカルと知って、オスカルの気持ちを知ります。
ですが、フェルゼンは、「自分の想いはもうアントワネット様の元に定められてしまっている」と言います。
オスカルは、そこで、「そんなフェルゼンであるからこそ愛した」とそういい、お互い別れを告げました。
私は、この場面は、「ベルばら」の中で、1位か2位を争うほどの名シーンだと思います。
報われる恋はもちろん素晴らしいのですが、なんらかの理由で報われない恋というのもある、それはそれで素晴らしい感情なのだ、と読んだ当時、ディーンエイジャーながら憧れました。
ベルばら オスカルにはモデルがいた!
創作の人物と言いながら、あまりにもフランス革命にしっかり食い込んできているオスカル。
作者の池田理代子さんは、複数のモデルがいて、それぞれの人物を組み合わせてオスカルを作り上げた、とおっしゃておられます。
3人の人物が挙げられます。
オスカルの軍人モデル、ピエール・オーギュスタン・ユラン
ユランは実際にいた、軍人でした。
フランスの軍人でありながら、1789年 バスティーユ襲撃で民衆側に立って戦いました。
そしてバスティーユ監獄へ入る、羽橋の鎖を切った人物でもあります。
革命後も、活躍を続け、ナポレオン時代には将軍にまで出世しました。
バスティーユで市民側に寝返り、ナポレオン時代に活躍、ってちょっと、アラン・ド・ソワソンを思わせるところもありますね。
アラン・ド・ソワソンは、フランス衛兵隊で、オスカルの部下になった軍人です。
将軍になったということで、この人物は有名になっている、肖像画もしっかりと残され、パリにあるカルナヴァレ美術館で展示されています。
ところで、ユランさん、「ベルばら」にも登場しているのです。
ユラン伍長といい、バスティーユ襲撃では、名前を呼ばれていたし、振り向いて顔も見せていました。
作者 池田理代子さんの、なかなか気の利いた演出ですね。
オスカルの男装モデル、テロワーニュ・ド・メリクール
このかたは、娼婦で、歌手を夢見ていた女性でした。
オスカル様のモデルが、娼婦?と言いたくなりますが、
メリクールは男装の麗人だったのです。
もちろんフランス革命時代に生きた女性で、バスティーユ襲撃を眼の前で見て、感動し男装するようになりました。
国民議会に傍聴するためによく通いました。
そんな彼女は、救国の女神のように思われ、サロンもでき、若き革命家たちを支援しました。
革命によってできた共和国政府は、ジャコバン党とジロンド党の二つの党ができ、主張の食い違いで争うようになります。
メリクールはジロンド寄り、だったため、ジャコバン側から恨まれ、小競り合いに巻き込まれ、暴行を受けて精神が病んでしまいました。
でも精神の障害は、もともと娼婦をしていたため、梅毒にかかっていたのでは、考えられています。
その後は、もう活躍することはできず、サルペトリエール療養所で生涯を終えました。
オスカルのモデルとしては悲惨で、イメージ的にも合わないのですが、フランス革命の男装の麗人ということろが、重要だったのですね。
オスカルの美しさのモデル、ビョルン・アンドレセン
ビョルン・アンドレセン 世界一美しい少年
現代の俳優です。スウェーデン人です。
映画「ベニスに死す」(1971年 、監督 ビスコンティ)のタジオ役でした。
ビョルン・アンドレセンはその外見をモデルにしました。
何よりも、その眼差しがものすごく美しく、見る人の心をとらえます。
ビョルン・アンドレセンの美貌を、作品の登場人物に取り入れたと思える漫画家は、何人かいると思います。
例えば、萩尾望都の「ポーの一族」のエドガー。
木原敏江の、漫画の登場人物何人か、がビョルン・アンドレセンの顔をしています。
それほど、ビョルン・アンドレセンの美貌は、漫画家の創作意欲を掻き立てるものだったのですね。
確かに、私たちが、今ビョルン・アンドレセンの当時の写真を見ると、本当にゾッとするほどの美しさです。
ビョルン・アンドレセンは、美貌が売れすぎて、その後不幸な人生を送りました。
2024年現在、今では、老人役で映画に出ることもあったようです。
オスカルの肖像画か?ベルサイユ宮殿の 戦争の間のレリーフ
これはオスカルのモデルというより、オスカルをモデルにかいて絵のモデル?です。
「ベルばら」作中で、オスカルは自分の肖像画を描かせます。
画家は、オスカルがマリー・アントワネットの護衛をする姿を見て、この人を描きたい、と思っていた画家でした。
オスカルはその頃、自分が病気でないかと思っていました。
そして、肖像画を描かせたのですが、周囲、特にばあや、は、不吉なこと、と嫌な予感を感じていました。
オスカルは肖像画を描かれるのが大嫌いだったのです。
そして描かれた絵は、馬に乗ったオスカルがローマ時代の装いをしていたものでした。
この図柄を見ることができます。
ベルサイユ宮殿に同じ、構図のレリーフがあります。
でもモデルはオスカルではなく、若い日のルイ14世がローマ時代の服装そして、馬に乗っている所です。
観光客は見ることができます。ベルサイユ宮殿の注目ポイントです。
誰もが、オスカル、と思いますよ。
オスカル、ベルばらのまとめ
「ベルばら」が、発表された1970年代は、漫画やアニメは子供の見るもの、だったのです。
親たちは、子供が「漫画ばっかり読んで!」と怒ったものでした。
ところが、「ベルばら」は、歴史詳しく書いた作品であると同時に、作品内に登場する人物をイキイキと描ききだしました。
「ベルばら」により、歴史に目覚めた読者がたくさん現れました。
歴史の授業でも、「もっと詳しく知りたい方は『ベルサイユのばら』を読んでください」とまで言われるようになりました。
作品発表から、50年経ちました。
それでも、「ベルばら」のストーリーは、何十年経っても読むたびに、私たちの心に、新たな感動を呼び起こしてくれます。
「ベルベラ」の魅力は今度とも、輝き続けるでしょう。
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