鳥山検校、処罰はなぜ?最後?イケメン!生涯は。五代目瀬川を身請け。検校とは盲目の人。「べらぼう」で市原隼人。

鳥山検校という、盲目の大富豪が、NHK大河ドラマ「べらぼう」に登場します。

五代目瀬川を、身請けは、江戸中を驚かす事件となりました。

ドラマでは、市川隼人さんがキャスティングされており、そのイケメンぶりが話題になっています。

鳥山検校は、大富豪でありながら、人には嫌われる人物で最後は処罰されるのですが、その理由を挙げながら、鳥山検校という人物を解説していきます。

どうぞ、最後までご覧ください。

鳥山検校は、イケメン?!

「べらぼう」に登場する鳥山検校は、イケメンで、というより、セクシーな美坊主?で、視聴者のハートをつかんでいます。

感性も優れて、頭もいい、という役どころですが、実際の鳥山検校もイケメンだったのでしょうか?

ドラマでは、イケメンであるには、理由があるかもしれませんよ。

鳥山検校、イケメンである史料は存在する?

残念ながら、鳥山検校の顔かたち、その物腰について描写したものは、文章、絵 共にありません。

鳥山検校については、悪辣な高利貸し、という記録や話ばかりが残っていて、その容姿まで書き及ばなかったのでしょうね。

それほど、性格が強烈な人物だったわけですね。

そのぶん、ドラマの制作者、見る私たちの想像力はふくらみ、結末への期待が高まります。

鳥山検校、イケメンである理由は?

ドラマ「べらぼう」では、鳥山検校の瀬川に対してみせたひた向きな面、高利貸しとしての悪役顔、この二つを、照明の当て方によって変えています。

イケメン、というスタイルは色々な面を演出するのにとても有効な手段だと思います。

それでイケメンになったのではないでしょうか?

それと、声の使い方を会話する相手によって変えています。

瀬川に対しては、優しい声、部下に指示を出すときはドスが効いた声、という具合に。

また、盲目でありながら、その眼差しには感情が見え隠れするのです。

ある意味、番組の登場人物達、それと同時に、私たち視聴者をだますために、イケメンという設定をとっているような気がしてきました。

視聴者の私たちも、鳥山検校の二面性に惑わされています。

鳥山検校は瀬川に愛情があった?

鳥山検校の内面を知ることは、史料がないため難しいですが、「べらぼう」を見ると、瀬川(身請け後は瀬以)への愛情が感じられます。

しかし、それは優しい愛、というより独占心が強く見えるのですが、一度妻となった女性が、他の人に心を奪われているのは、面白いものではないに決まっています。

ですから、瀬川(瀬以)に対する愛情はかなり激しいものになっています。

DVには及ばなくても、一歩間違えればDVになる行動も見えますね。

この、ドラマでの描き方は、鳥山検校という人物の性格を表す一つの手段では、と思えます。

鳥山検校の優しい面、そして非常に厳しい面が同時に見られて、私たちに「鳥山検校は、すごく恐ろしい」と印象付けるのです。

鳥山検校のその後は?

3月30日の放映で、鳥山検校(とりやまけんぎょう)のこれからに不穏な空気が見えます。

幕府側から目をつけられたようです。

鳥山検校は、逮捕、処罰、財産没収の上、江戸を追放される、ことになりました。

鳥山検校の逮捕、処罰、財産没収、江戸追放

やはり高利貸し、というところが、鳥山検校を逮捕の決め手だったのですね。

鳥山検校たち、高利貸しは、武家に金を貸して、取り立てるだけの金がないとわかれば、相手の家を徹底的にやっつける手段をとっていました。

借金を返せない家の人たちを、「借金を踏み倒す奴」と大声でののっしたりする行動は、武家のプライドをズタズタに傷つけました。

借金を返せない武家たちには、無理やり出家をさせて、祖にえに検校たちの息のかかったものを、容姿として入れて、家を乗っ取ってしまうやり方も、

代々続く武家の家を守ってきたものたちの、恥を感じさせる心を刺激していました。

鳥山検校の被害のことを幕府側がはっきりと身をもって知ったのが、旗本の森忠右衛門(もりちゅうえもん)の事件。

森忠右衛門は、それほど禄高の高い旗本ではなかったのですが、役職についていたので、急に姿が見えなくなったところで、探したところ、

借金があること、それを返せないこと、その代わりとして、家、財産、家名までとられ、出家する羽目になった、ことが明かになりました。

高利貸しの、魔の手(?)が幕府の内部に及んでくる、これは幕府にとっては幕府の権威を傷つける原因になり雄なことなのです。

幕府は早急に手を打たなければならない、それが鳥山検校たち、当道座の一斉検挙に踏み切ったのです。

鳥山検校は、一斉検挙の犠牲になった、ように見えますが、自業自得でもあったわけです。

行き着く先は、逮捕、財産没収、江戸からの追放でした。

鳥山検校は瀬川とは離れる

逮捕、処罰とくると、瀬川とは当然、一緒にいるわけにはいきません。

江戸を追放される場合は(江戸所払い、という刑の名前があります)、妻や家族を連れて江戸を出ることができます。

しかし、瀬川はついて行っていません。

それどころか、鳥山検校が追放にあった、すぐ後に、再婚し子供をもうけた、という説話が残っています。

しかし、のち、鳥山検校は許されて江戸に帰ってきます。

将軍、徳川家治が亡くなったときの恩赦でした。

鳥山検校の最後については、下記の項目でまた説明してあるので、お読みください。

鳥山検校の処罰はなぜ?

鳥山検校は、高利貸しで莫大な財産を気づいて、ものすごく裕福な暮らしをしていました。

しかし、1778年に、鳥山検校は、悪徳高利貸しとという罪で、幕府に捕まり、全財産を没収され、江戸から追放の刑を受けました。

処罰された理由は、高利貸しの上借金の取り立てが厳しかったこと。

そして、遊女の5代目瀬川を、多額の金を払って身請けしたことです。

鳥山検校の取り立ての厳しさが問題視され?

検校たち、高利貸しは禄高(幕府から給金として渡される金額)が少ない、旗本・御家人に貸し出していました。

取り立ては、金を借りた本人と家族だけでなく、その上司にまでも責任を問いに行っていたのです。

例えば、藩士であるなら、その勤め先の屋敷、ある時は大名屋敷まで押しかけていきました。

来られた方は、非常な恥、と感じていました。家が大きくなるほど、恥と思うことは多くなるでしょう。

彼ら負債者の声が幕府に届くようになると、幕府も、知らん顔をしているわけにいかなくなりました。

そこで、検校たちの取り締まりを行ったのです。

ですから、取り締まりにあって処罰された検校は、鳥山検校だけでなく、多くの検校が処罰されました。

鳥山検校、瀬川を身請けしたことも罪状?

五代目瀬川の、大金を使っての身請け。幕府にとってはちょうど良い逮捕のきっかけだったのではないでしょうか?

鳥山検校の処罰への罪状は、高利貸しの他に、「五代目瀬川を身請け」の項目がありました。

その意味は、「幕府は、遊女を見受けさせるために、盲人の組合に高利貸しを認めているわけではない」ということです。

幕府側から見ると、幕府側が与えた権利を、悪用されたと思える事件が、遊女身請けでした。

刑として全財産没収の上、江戸から追放されてしまいました。

それにしても、経済が動くよう働きかけた田沼意次の政治の時代、鳥山検校のような、経済を促進させる働きをしていた人物が排除されるようになるとは、と皮肉を感じます。

鳥山検校の最後は?

実は、これもまたわかっていないのです。

捕まり、江戸追放になりましたが、将軍 徳川家治が死んだ時に恩赦を受けて江戸に帰ってきました。

1791年には、検校の地位への復権が認められましたが、かつての勢いはすっかりなく、普通に生活をするぐらいでした。

もし、戻ってきて、また悪事をはたらいたというのなら、記録にも残るのでしょうが、そんな史料も見つかっていません。

追放になった視覚障害者がどう生きてきたのでしょうか?

高利貸しだったこともあって、多くの人に恨まれていて、酷い目にあっのでは?と想像されます。

鳥山検校の生涯は?

鳥山検校は、盲目な人物で、そのため、自分の生活費を稼ぐために金貸しをしていた人物です。

そして、高利貸しという商売で莫大な財産を築きますが、厳しい取り立てをしたことで処罰される人生を送ります。

「べらぼう」の中では、30歳あたり、ということが推定されます。

鳥山検校が歩む高利貸し人生

生まれた年は、不明と言われていたのですが、鳥山検校らしい人物の生まれが、1774年あたり、ということが奉行所の記録がありました。

なぜ、盲目だったか、生まれつきか、それとも後天性のものかはわかっていません。

鳥山検校の生業(なりわい)は金貸しです。しかも高利貸し。

高利貸をすることから、莫大な財産を築いたわけです。

高利貸しであった上、その取り立てが厳しいものでした。

高利貸しとその手下が、借金を返せない人の家まで行って、金を返すよう大声で叫びます。

1800年代の文筆家 武藤陰士(むとういんし)が著書「世事見聞録」に書かれており、鳥山検校のことを「強欲非道の人」と書いています。

その取り上げたものを、高利貸しはまた、お金に変えることで、検校たちはますます金持ちになります。

借金代わりの、土地や物品を事業ならば、その事業そのものを売る、ということは商人の力が欠かせません。

鳥山検校は運用上手?

ということは金が流通する、経済がうまく回っていた、ということです。

このシステムにより、鳥山検校は大富豪となったのですが、なぜそんなにお金を稼ぐ必要があったのでしょうか?

「当道座」では

いってみれば、「当座」のお金の稼ぎ方は、田沼時代を象徴していた、制度と言えましょう。

田沼時代にできた制度ではありませんが、まさにこの時代にマッチしていました。

田沼時代には、田沼時代に相応しいと思われる制度と人物だと思われます。

金貸しですが、高利貸しが普通で、その取り立てはかなり厳しいもので、武士なら夜逃げをしたり、また、腹切り、自殺する、という事件もありました。

五代目瀬川を身請けしたのは鳥山検校?

1775年、五代目瀬川は、鳥山検校(とりやまけんぎょう)に、身請けされます。

身請けとは

芸者をお金で買って、自分の手元におくことです。遊女は大抵、借金のカタとして、遊郭に売られてくるので、借金を背負ったままやってきて、その金額が返し終わるまで、ある遊郭で働きます。

身請けというのは、借金の残りと、付加価値をつけてその遊女のいる店にお金を払って、買っていくというわけです。大抵は買った客の、妻か妾になります。

鳥山検校が、江戸で一番の遊女を自分の妻にすることは自分の力を見せつけるためですが、瀬川の魅力に惹かれた、ということももちろんありそうです。

それが身請け金に額の多さに表れています。

その身請け金は1,400両。現在の価値に換算すると1億4000万円に相当します。

当時の遊女の身請け金からみても、破格な金額なため、瀬川の(花の井)の身請け話は、江戸では鳥山瀬川事件、とまで言われたほどです。

鳥居検校が、瀬川を身請けしたのは、自分に注目を集めるため、自分の権力を見せつけるため、という理由が、が史実からわかります。

ただ、それだけでではないのが「べらぼう」流。

二人の間に、何らかの心の交流を描き出しています。

その点は、事実としての記録がないので、オリジナル性が番組から見えます。

五代目瀬川はついに遊女を辞めて吉原を去ることになるのですが、このことを落籍(らくせき)と言いました。

五代目瀬川が、鳥山検校の元に行ってから、どのような運命をたどったかは、こちらの記事をお読みください。

鳥山検校はなぜ、瀬川を身請けした?

目の見えない人が、吉原に来るのだろうか?と思われるかもしれませんが、

遊郭はある意味、当時の江戸の社交場で、当時の有力な商人、武家あらゆる人が出入利する場所です。

検校という人たちも、人と接する商売をしているため、自分の顔つなぎ、コネクション作りに遊郭を利用していました。

一流と言われる遊女は、美貌の他に、踊りはもちろんのこと、歌や三味線などの音楽も上手いし、話術も巧みで、お客さんを飽きさせません。

鳥山検校はお金持ちときていますから、遊女たちは競って、お客様を楽しませたことでしょう。

いくら、金持ちといえども、盲目であるということは江戸時代においては多少なりとも、人から下に見られることはあったのでしょう。

だからこそ、裕福なところを見せつけ、高利貸しで厳しく取り立てて、自分の存在を表している、と思えます。

美しい遊女を自分のものにするのも、自己顕示欲の現れなのでしょう。

しかし、五代目瀬川こと花の井を、身請けするというのは、そうしただけではない、というのが「べらぼう」でみられると思います。

瀬川は鳥山検校に好意を持った?

史実を見ていると、瀬川はお金のためだけに、鳥山検校の元に身請けされていったように見えます。

江戸時代の遊女は、自分があってないようなもの。全て自分が所属する店に、かかっています。

言ってみれば、日本の奴隷制度のようなものですね。

「べらぼう」では、遊女は身請けされることを、断る権利もある、と言っていましたが、そのような制度があっても、なかなかそうはいかないでしょう。

では、瀬川が鳥山検校を嫌っていたか、というと実際のところはわからないです。

瀬川は、有名な名跡をついだほどですから、非常のに向上心の強い女性、ということが見て取れます。

一方の鳥山検校は、検校の位の人物。検校は音楽に携わる仕事が主流の人なので、情緒的で芸術的に敏感ということです。

そんな知性が感じられる、鳥山検校に、瀬川の心が向かっても不思議ではありません。

鳥山検校の「検校」とは?

鳥山検校の検校(けんぎょう)とは、名前ではなく、官位の一つです。

これは、江戸時代の男性視覚障害者が作る組合「当道座(とうどうざ)」で認定している官職で、「検校」は最高の位です。

検校という役職

「当道座」は室町時代にできた制度です。

ちなみに、検校の下の位の一つに「座頭」というのがあり、「座頭市」、というのも、名前でなく官職です。

「当道座」は、幕府公認の同業組合で、歌や三味線などを使う音楽、按摩、鍼灸を仕事とする組合でした。

幕府は、当道座を置くことで、身体障害者の自活ができるようにと考えていました。

検校という仕事の始まりは?

当道座の人たちの仕事は、音楽、鍼灸などから始まりました。

検校という地位は、音楽の仕事をする人が多いのです。

それは、最初、「当道座」を作った親王の1番の家臣が、検校という音楽を演奏する人だったからでした。

かつては、平家物語を歌った「琵琶法師」も検校の始まりでした。

17世紀初頭に、日本で、琴の名手で作曲家と言われた、八橋検校も、検校の地位についている人だkだら、そう呼ばれています。

「鳥山」というのは、苗字であることが考えられますが、その由来については、残念ながら知られていません。

同時代に、鳥山石燕(とりやませきえん)という浮世絵師が出てきますが、鳥山検校との関係が?と思われる方もいるでしょう。

しかし、関係ありません、鳥山石燕は、自分の苗字は、佐野 といったからです。

鳥山検校たち、盲目な人が大事にされた理由は?

鳥山検校は盲目で、高利貸し、ということが知られていまいす。

無謀な取り立てをする高利貸しなので、人々から嫌われています。

それなのに、幕府からは、高利貸しをしていることをとがめられてはいません。(のちに処罰されますが)

その理由は、江戸幕府の政策によるものです。

鳥山検校の「当道座」が大目に見られたのはいつから?

これについては、言い伝えとして言われている話があります。

家康が、1603年に征夷大将軍になった時、徳川家康(とくがわいえやす)の元に、伊豆圓一(いずえんいち)という総検校がお祝いに行きました。

伊豆圓一は甲斐の武田氏の出身で、人質時代の家康を知っており、そのコネをアテにして、盲人への保護を頼みました。

コネはそれだけでなく、家康の側室 阿茶の局と縁戚関係もあったようです。

そこから、徳川家は盲人たちの組合「当道座」を保護するようになった、理由です。

もうひとつ、考えられることがあって、家康に西郷の局(さいごうのつぼね)またの名を お愛 という側室がいました。

この側室は視力が悪く、盲人たちへ、ボランティアをしていた、事実があります。

お愛の方の、行動も、家康に影響を与えたのではないか、と思いますが。

鳥山検校たちはなぜ金持ちに?

「当道座」の制度はかなり徹底しており、検校制度が、公認・奨励されました。

当道座に入っている人々は、組織の中で、出世をすることが望みでしたが、出世のためには、金銭が必要でした。

当道座にある位は、上から、検校・別当(べとう)・匂当(こうとう)・座頭の四つがありました。

出世に金が必要だから、当道座の人たちは、高利貸しでお金を少しでも多く稼ぐのです。

当道座の上層部の人たちは、出世のために収められたお金を、同じく当道座に属している、くらいの低い人たちの救済のために使っていました。

組織内での、収益金を分配して循環させているのでした。

内部救済に、金銭が用いられているため、幕府は、当道座に特に注意することもこれまでありませんでした。

それに、検校の位にいる者は、カゴにのっての登場とか、大名並みの華々しさを見せていましたから、あえて幕府も手を出さなかったのです。

高利貸しの検校たちは、幕府が何も言わないのをいいことに、非常に厳しい取り立てをやっていました。

鳥山検校、「ベらぼう」でどんな役どころ?

史実で伝えられていることだけを見ると、鳥山検校は、高利貸しで、金にまかせてなんでもやる、というイヤなやつに見えます。

およそ、情などには縁のない人間、と捉えられています。

NHK大河ドラマ「べらぼう」の中では、鳥山検校はどんな人物として描かれているのでしょう?

ドラマでは、鳥山検校は、花の井こと五代目瀬川に色々贈り物をします。

花の井に本を読んでもらい、その謝礼として双六や本を贈りました。

高価なかんざしや化粧品でなく、知的好奇心を刺激したということところが、心憎い感じです。

こうしてみると、鳥居検校は、ただの成金大金持ちではなく、愛といった心の奥を大切にするような人物に見えます。

「べらぼう」の中では、五代目瀬川の心の中から、蔦重の存在を消せないのを察知して苦しむ、という場面があります。

鳥居検校は、史実と、ドラマと、どうミックスされた人物になるかが楽しみです。

鳥山検校に市原隼人

鳥山検校の役にキャスティングされたのは市原隼人さんです。

坊主頭での登場なので、坊さんか?と思いますが違います。

なぜ坊主頭かというと、諸説あり、当座性で、盲人たちが尊敬している仁康親王(さねやす)が盲目で、その人に付き従った盲人が検校の位をもらった時に

親王に従って、一緒に出家したからではないか、と言われています。

市原隼人さんが、演じるというなら、鳥山検校は単なる、強欲な金貸し、だけではなさそうです。

市原さんのコメントは以下のようです。

「いまだ謎に包まれた人物でありながら、盲人組織当道座における最高位である鳥山検校を演じさせていただきます。生まれ持った運命により、与えられた人生の良し悪しをどう感じるかはおのれ次第であり、理屈では説明できない鳥山検校の人恋しさを埋めるものは何なのか? 検校と同じ境遇に在る全ての人や物事に敬意を払い務めさせていただきます」

「今までの大河ドラマに無い人物像であると感じています。撮影本番に向けてしっかりと準備を行い、出演の刻(とき)をお楽しみいただけるよう努めてまいります」

「べらぼう」では、五代目瀬川の心が、自分に向かずに、瀬川の心に蔦重の影がある、と気がついてしまう、繊細な心の持ち主であることも感じられます。

蔦重は、五代目瀬川の幼馴染です。

市原隼人さんは、鳥山検校の盲目状態をよく表そうとして、濁ったコンタクトレンズをつけて出演されています。

そのコンタクをレンズをつけると、本当によく見えないそうです。

市原隼人さんは、NHK大河ドラマには、「おんな城主直虎」、「鎌倉殿の13人」に続いて3度目の出演です。

まとめ

鳥山検校のような人物は、ある意味、時代の世相にあった生き方をしましたが、その反動も同時に味わった人だと思います。

もし盲目でなければ、違った人生を歩むこともできたでしょう。

案外、五代目瀬川こと花の井との幸せな未来も送れたかも、という可能性もありました。

大金持ちであっても、鳥山検校の人生が楽しいものであったとは、言い切れない、物語です。

NHK大河ドラマ「べらぼう」は、私たちに何を感じさせてくれるでしょう。

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