阿月・・・こんな名前の侍女が「どうする家康」に登場しました。お市の方の侍女のようです。果たして実在の人物でしょうか?
あることをして注目された人物です。ドラマの進展の鍵を握る人物かも知れません。どんなことをしたのでしょうか?
そして、この侍女、なんて読むのでしょう?名前の読み方が、ヒントとなります。この侍女の行動が後世まで、伝えられます。
阿月、読み方は?そこから人が分かる?
「阿月」は、お市の方の侍女です。お市の方が浅井家に来てから侍女になった娘です。
名前の読み方ですが、「あづき」と読みます。が「あずき」と発音が一緒ですね。
「どうする家康」の公式サイトでは
お市と家康をつなぐ浅井家の侍女
阿月 あづき
[伊藤蒼 いとうあおい]
貧しい下級武士の娘で、つらい生活を送っていたところを、北近江・浅井家に嫁いだお市に助けられ、侍女として献身的に仕える。越前・朝倉義景と戦うため、織田・徳川軍が金ヶ崎に向かう中、浅井家の混乱を察した阿月は、お市にあることを申し出る。
とあります。
ドラマの設定では、義理に厚い娘のようです。
何をした人かというと、織田信長陣営に浅井氏の裏切りの知らせを届けた人です。
「小豆送り」は現在にも伝わる有名な話ですが、今回は、小豆を使わなずに危機を伝えたのが「どうする家康」のヴァージョンです。
「金ケ崎の退き口」(かねがさきののきくち)あるいは「金ケ崎崩れ」)とも言うエピソードを取り上げています。1570年、織田信長が越前(福井県)の朝倉市を攻めに行った時の話です。
この時信長は、お市の方の嫁ぎ先、浅井氏の援助のもとに朝倉を攻めようしたのですが、浅井は朝倉側につきました。信長は浅井に裏切られたのです。
お市の方は、浅井の作戦を知って、実家、織田家のために働こうか、浅井の嫁として織田に知らせないでおくべきか、両者の板挟みとなります。
結局、お市の方は信長に手紙を同封せずに小豆を送ることで、状況を知らせます。暗号みたいなものです。両端を括った袋に小豆を入れました。意味は「双方から攻められて逃げ道がない」。小豆を送る、これが元からある信じられているエピソードでした。
さてその「小豆」そのものの役割を果たしたのが、「阿月」でした。
「小豆」を「阿月」にかけた、ちょっと冗談にも思えるネーミングですが・・・
阿月、実在の人物?
「阿月」と言う名前の侍女がお市の方にいたかどうか・・・?定かではありません。
架空の人物としてドラマを作ったのですが、信長に危機を知らせる何らかのアクションがあった可能性があります。
小豆を、お市の方が送った、と言うエピソードは知られていますが、では実際は誰が信長のもとには届けたのか?まさか、お市の方が直接持って行くわけありません・・浅井の臣下に届けさせたら、不審に思われるからこれも考えにくいです。じゃあ一体誰が・・・?
お市の方が織田から連れてきた、家臣あるいは、自分付きの侍女、と言う説が有力です。
「阿月」が「小豆」をいや、「阿月」か「小豆」か・・・・「どうする家康」ではウイットの効いた設定を作りました。掛け言葉でしょうか?
戦国時代は、国守の結婚には条約締結を意味する場合が多いです。その条約は破られてはいけないので、嫁に入った女性は状況を伺う必要がありました。もちろん嫁にきた姫の家臣、侍女にもその役割がありました。スパイに近いかも知れませんね。
ですが、阿月は、お市の方が織田家から連れてきた侍女ではなく、浅井家に入ってから仕えるようになった娘です。スパイの役割をするようには訓練されていません。
それなのに、お市のために尽くそうとした阿月は一体、何?とそう思わせる行動でした。届ける途中に浅井の者に見つかったとしたら・・・まずい立場になります。ひょっとしたらお市の方にも、その疑いの目は向けられるかも知れません。
「金ケ崎の退き口」の話は実話です。そして、織田信長がなんとか逃れたのも事実です。このエピソードを盛り上げるために、名もなき侍女を使ってよりドラマチックにした、ドラマ設定ですね。
侍女の話が事実であったとしたら、本当に面白いですね。さて、阿月に匹敵するような侍女はいたのでしょうか?いなかったのでしょうか?見る方も期待を持ちたくなる話です。
阿月と浅井家
浅井側に元々いた娘、阿月。ですから浅井側の人間で、何か裏があるのか?と疑いの目でみてしまいます。
しかし、「阿月」は、お市の方に救われた身の上。お市の方に非常に恩義を感じています。
お市の方は浅井家と織田家の同盟のために浅井家に嫁いできました。戦国時代、家と家との和平のために結婚をするのはよくあることでした。
ですが、浅井家は元々友好関係にあった、朝倉家との関係を重んじ、朝倉家と結んで織田信長を討とうと、計画します。
夫、浅井長政の決意を聞いて心を傷めるお市の方。浅井家に嫁にきたのは無駄だったのではないかと悩み始めます。
その悩みを察して、働いてくれた人物こそが「阿月」でした。
侍女は名前が後世まで伝わらない、というのが当時の普通でしたが、時として、名前が記録や墓石に残されている場合もあります。
浅井家の侍女、とされる墓石が滋賀県長浜市に残されています。
墓石には「盛秀」(読み方は定かではありませんが「もりひで」というようです)、「禅定尼」、「元亀四年酉年」、「四月四日」と読める文字が彫られています。
「元亀四年」といえば、浅井長政、お市の方の住む「小谷城」が織田信長の手により落城した年でした。この内容は「信長公記」という信長の歴史を描いた書物に記されています。
さらに江戸時代に書かれた歴史書では「浅井長政 北の方の墓なり」との記述が挿絵付きで示されており、「盛秀」は浅井家と非常に縁の深い女性だった、とされています。
この侍女は、小谷城落城の際、浅井三姉妹(お市の方の娘、茶々、初、江)を逃した人物ではないか、と推測がされています。
この侍女は、阿月とは別人物のようです。がお市の方のために尽くそうとする侍女が少なからずいた、ということです。お市の方は侍女たちからみて、信頼できる女主人だったと思われます。
阿月、「どうする家康」に登場!
しかし今回の「どうする家康」では浅井に来てから雇った侍女が、小豆を運ぶ役目にいやそれどころか、自らの身を危険にされすだけではなく、命をかけて・・・初めての解釈です。
小豆送りの話は、朝倉家に伝わる「朝倉家記」に出ています。しかし現代の研究では、「朝倉家記」そのものが、あまり正しくない、と言う説が起こっています。
江戸時代に書かれた、書物に加えられたエピソードかも知れない、と言うことなのです。
事実性が疑わしい話ですが、織田信長、お市の方が関わった、「金ケ崎の退き口」を語る時には欠かすことの出来ないエピソードとなっています。「小豆」がないと、つまらない展開になってしまいそうです。
もし浅井家の裏切りを、織田側は誰一人知らなかったら、「金ケ崎」では挟み撃ちの危機にも気かなかったことでしょう。そして、織田に同行していた徳川、いや家康も討死した可能性があります。
ですから、「どうする家康」にみられる、「小豆」ではなく、「阿月」とは実は人物であった・・・とする大胆な解釈が可能なのです。
「阿月」は一生懸命は知ります。見つかりそうになり、いく手を阻まれようとしても走りづつけます。使命のために走るのは「走れメロス」を思わせます。
しかし・・・「阿月」は役目が終わったところで、命を落としたように見えます。走って、心臓に負担が一気にきたのでしょうか?
小谷城から金ケ崎まで、現代の距離だと24.3キロです。がこれはあくまでの現在の国道を通った場合の距離です。戦国時代では整備されて道はなく、険しい道だったことでしょう。山あり、坂ありだったのでは?そんな道を全速力で駆け抜ければ、心臓に負担もかかったことでしょう。
「阿月」が「小豆」の役目を終えた瞬間でした。
お市の方、そして侍女、阿月がいなければ、徳川幕府は成立しなかったかも知れないのです。阿月は、織田家だけでなく、徳川家の恩人、だったのですね。「どうする家康」は新たなヒーローを生み出しました。
阿月、お市の方のために
「小豆送り」のエピソードとは・・・
浅井が信長の襲撃予定を耳にして、なんとかしようと思ったのでしょう。お市の方の心情としては、兄、信長も、もちろん自分の嫁ぎ先、浅井家も滅んでほしくない。
しかも表立って手紙をおくるのもよろしくない。お市の方が手紙を出したとなったら、浅井から見ると裏切り者になってしまうからです。でも手をこまねいてみているわけにもいかない・・・
そこで考えた結果が、小豆送りでした。手紙の代わりに小豆を送る。それもただの布袋に入れただけではなく、袋の両端を括ったもの。キャンディーの包みに似た結び方です。手紙は添えずに、「陣中でお召し上がりください」と、言付けをしました。
信長は小豆が好物だった、という話も聞きますが、嫌いだったという説もあります。一体どちらなのでしょう?
しかしわざわざ送られた小豆を不思議に思っていました。そして両方から結ばれた小豆袋を見て、お市の方の、袋の謎を解いたのでした。つまり浅井が裏切り、朝倉と挟み撃ちの計画を立てていると。
小豆を送ったのがお市の方だとすると、お市の立場は難しいものになります。しかし、実家の危機とあっては、何の手も打たないと言うのももどかしい、とお市の方は考えたかも知れません。
この、「小豆送り」のエピソードは後世様々な憶測を呼んでいます。
お市の方は、本当に小豆を送ったのか。あるいは侍女が送ったのか?その場合、お市の方の指示であったか、それとも侍女が独自で行ったのか?
実はお市は何もしなかった。侍女が送った・・・この侍女は、お市が織田家から連れてきた侍女、との説があります。国元から連れてくる侍女にも、時としてスパイの役割を果たすこともありました。
ですから、小豆を送ったのがお市でなければ、織田家から来た侍女が自分の判断だったかも知れない、と思われていました。
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