2023年秋、NHKで、「大奥」Season2 幕末編 がいよいよスタートします。
徳川幕府が流行病で後継者がいなくなる危機への解決案として、男女逆転する必要があった、というドラマです。
原作は、よしながふみの漫画です。
今回は、大奥の大物の重要人物の一人、瀧山を取り上げます。
生涯、結婚せず、徳川家に尽くした、バリキャリな女性。
きっちり仕事をこなしたからこそ、重んじられる人物になった人の一生をその仕事ぶりを通して見ていきましょう。
大奥 瀧山どんな人
瀧山とはどんな人だったのでしょう。
瀧山の生い立ち
大奥女中のトップ、お年寄りになれる女性はやはり、身分が高い家の出身でなければなりません。
旗本以上の娘であることが条件でした。
瀧山の本名は、多喜(たき)。大奥での名前の「瀧」は本名から来たのでしょうか?
父は、四谷に住む旗本、大岡権左衛門(おおおかごんざえもん)。1805年の生まれです。
瀧山の叔母が大奥で上級女中をしていました。
そのつながりになるのでしょうか?瀧山は14歳で大奥奉公に上がりました。
姪も大奥勤めをすることになりますから、大奥に勤めるというのは、普通の家の女中さんを決めるように、縁故に頼っていたのでしょう。
身内が既に大奥に入っているおかげしょうか、とんとん拍子に出世しました。
瀧山は、将軍に仕える役割でした。
13代 家定(いえさだ)、14代 家茂(いえもち)の2代にお年寄りとして仕えました。
瀧山は勝海舟の母、信(のぶ)のいとこになります。
瀧山と実成院(じつじょう院)
実成院は14代将軍 家茂のお母さんでした。
この方は派手好きで、お酒が大好きでした。
大奥に入ったものの(将軍の母も大奥に入る)毎晩酒盛り。
うるさい上に、大奥内の風紀も乱れそう・・・ということで、瀧山は実成院に注意しました。
それでもやめずに、乱痴気騒ぎを繰り返す始末、そこでさらに厳重注意。
実成院は、注意を聞きれるどころか、瀧山を逆恨みする始末。
何をされたかというと、実成院に食事の招待を受け、毒を盛られ命の危険に晒されました。
もう一回は、瀧山の部屋のすぐ近くで突如ボヤ騒ぎを起こされました。犯人は実成院でした。
実成院は、その後は大人しくしていたようです。将軍からキツく怒られたのでしょうか?
それにしても、生活はストレスいっぱいです。
辞職せずに勤め上げたとはスゴい!
瀧山の息抜き
ストレスが多い、大奥の生活でも時には楽しいこともありました。
実成院以外にも、正室様から上級の侍女たち(お年寄りクラス)へのお呼ばれがありました。
お呼ばれで美味しいものをご馳走になり、プレゼントも時にはもらいました。
侍女たちのとても楽しみな時でした。
他にも、ご正室様や、有力な側室様たちから、着物のお下がりをいただける時があり、大奥中の侍女たちが、浮かれ騒ぐほど嬉しい行事でした。
瀧山のような、身分の高い侍女でもやはり、正室様たちの豪華絢爛な着物は憧れの的でした。
侍女たち、一同ファッションショーを見るような楽しみだったようです。
瀧山も、キャーキャー言って参加したのかもしれませんね。
大奥 瀧山と篤姫
瀧山と第13代将軍家定の御台所(正室)篤姫の間には、政治的対立がありました。
家定没後、次の将軍に誰を推すか?
それぞれの「推し」がおりました。
お年寄りには二つの種類がいて、将軍様つき、と御台所様つきとがありました。
御台所つきは、御台様の国元から御台様に付き従ってきた、地位の高い侍女です。
篤姫は、徳川家13代将軍家定の元に嫁いできた、薩摩藩、島津家の姫。
篤姫の世話をするよう島津からついてきた、お年寄りが「幾島」(いくしま)でした。
ですが幾島も、江戸での篤姫が無事、徳川でやっていけるようになると、薩摩に帰国します。
そこで、篤姫の、身の回りの用事、新しい侍女の選抜などは、瀧山の手に任されました。
そのことについての対立があったかは実際には、わかりません。
その後、子供を残さずに亡くなった家定の後継として、篤姫は、一橋家の慶喜を推薦していました。
一方、瀧山の推しは、紀州の慶福でした。
どちらが将軍になるか、大奥内でも話題になっていました。
結果、次期将軍、14代目となったのは慶福で、彼が家茂という名になりました。
瀧山の方が勝ったわけです。
瀧山は将軍の決定にまで及ぶほどの強大な実力をつけていました。
この時点では日本一の実力を持つ女性と言っても言い過ぎではありません。
大奥 瀧山と家定
NHKの「大奥」Season2は瀧山と家定のエピソードを中心として進められていきます。
第13代将軍 家定は身体が弱かったのです。さらに障害があったのでは?と言われています。
そのせいでしょうか?子供がおりませんでした。
2008年NHK大河ドラマ「天璋院篤姫」では周囲の様子を知るためにわざと、障害があるふりをしていたという設定でした。
実際はどうだっか、今でも意見が分かれるところです。
ドラマの原作となる漫画「大奥」では、瀧山と家定が率直に言い合いをします。
瀧山と、家定のけんか(?)どうなるのか、これも今回「大奥」Season2の見どころになるでしょう。
大奥 瀧山と春日局の違い
徳川将軍の、奥方たち、正室と側室をまとめて住まわせるところが大奥というところです。
大奥が、奥方たちの住まいとしてはっきり、作られたのが、2代将軍秀忠の時でした。
春日局の場合
そしてそれをさらに、推し進めたのが3代将軍家光の時代。
特に、将軍の後継をはっきりさせるということ目的とした大奥作り、これを確立させたのが春日局でした。
春日局は、家光の乳母でした。
春日局が目的としたのは、将軍家の長男が次期将軍になること。正当な血筋を継ぐ、でした。
後継のためには、後継を埋めそうな女性を集める、ということを、多く作りの目的としていました。
これは家光が女性に興味をあんまり持たなかったことが原因となっていました。
一旦大奥の組織が作られると、大奥の制度は、徳川幕府終了の時まで続きました。
瀧山の場合
瀧山は幕末の時代に活躍しました。
大奥も成立して長い時間が経つと、大奥の女性たちの浪費による出費が増えて、幕府中層も頭を抱えるほどでした。
5代将軍 吉宗の頃に節約を図ったのですが、うまくいきませんでした。
そのまま幕末まで、ほとんど同じ制度のまま行ってしまいました。
瀧山は大奥最後の「お年寄り」となりました。
両者の違いとは
春日の局、瀧山、大奥の最初と最後にそれぞれ位置する最高責任者です。
初めの春日局はなんとしても徳川家を長男後継の秩序で存続させようとし、瀧山は、最後には穏やかに大奥を終わりにさせたいと、思った人なのかもしれません。
途中、将軍家の後継者決定に自分の権力を示したところもありましたが、春日局の時とは違うところがありました。
なにしろ、その頃、大奥に生まれる子供がいなかったのですから。
とにかく突然の断絶は避けたかったのでしょう。
大奥 瀧山が頂いた拝領品
大奥で重要な位についている人は、賄賂に当たるものを数多くもらいます。
瀧山もよくもらいました。そしてリストを作っておりました。
これは、大奥ができた時からの慣習です。
大奥に住む女性たちにはあんまり楽しみがありません。
ほとんどの女性は妙齢。ですが適齢期の娘たちは、異性との出会いは制限されます。
それなら、楽しみは贅沢しかないではありませんか。
それなりに、地位のある侍女(御局様?)には、幕府の要人と話ができる人もいます。
そういう人とコネクションが取れるようにと、御局様たちに付け届けをするのです。
次期将軍を選ぶ時、瀧山が推す人物が将軍になりました。
瀧山が持つ権力に驚いて、天璋院篤姫や和宮からも多くの贈り物をもらいました。
それが拝領品です。
瀧山は、几帳面な性格で、これらの贈り物を「戴物控」というリストにして残していました。今でいうとメモ魔?
贈答品は反物が多かったようです。
大奥 瀧山のその後
瀧山、大奥を出る
2008年の大河ドラマ「天璋院篤姫」では、徳川幕府が倒れて、大奥も閉鎖され、すべての女性が大奥を去る時、天璋院とともに、瀧山は最後まで残っていました。
しかし「七宝御祐筆間御日記」(しっぽうごゆうひつのまおんにっき)には次のようなことが書かれています。
なおこの日記は、津山藩江戸屋敷での記録されたものとして残っていました。津山藩は岡山にある国です。
日記によると、瀧山は慶應3年、願い出ていた大奥下りが認められて出ていった、とあります。
徳川幕府の政権返上は、慶應3年10月14日。
瀧山はその頃に出ています。
自分も徳川幕府と一緒に終わった、が胸の中の思いなのでしょうか?
ただ、混乱していただろう大奥の後始末を最後まで見届けないで、出てきた・・・って総責任者としてどうなの?と思うのですが。
瀧山の結婚?
徳川幕府の大政奉還が1867年ですので、そうすると瀧山が多くを離れたのは60歳を超えてからになります。
在職中は、こうした大奥勤めの間は結婚できません。
ですから、大奥を辞職してからの結婚もまず考えられません。
大奥を出ても、実家 大岡家は、既に父も亡くなり、次の代に変わっていたので、帰りにくかったようです。
大奥を下がってからは現職時代、支えてくれた侍女の実家に身を寄せました。
主従関係とはこういうところにも出てくるのですね。
瀧山が晩年過ごした場所はその元侍女のいた、埼玉県川口市でした。
瀧山の子孫
瀧山は結婚しなかったのだから、自分の子供はもちろん持っていません。
隠し子説もありません。
ではどうしたか・・?
養子をとり、そのものに「瀧山」の姓をつけて自分の名前を残したのでした。
養子は、元の侍女だった女性とその夫でした。
養子にした女性は、船津みね、ともまた侍女本の仲野とも言われ、どちらかはわかっていません。
養子ですから、瀧山と血のつながりはありません。
その子孫は、現在でも埼玉県川口市にて健在です。
大奥 瀧山の墓
瀧山は1876年(明治9年)、72歳で亡くなりました。
お墓は、大奥をやめてから住んだ、埼玉県川口市「錫杖寺」(しゃくじょうじ)にあります。
真言宗智山派のお寺です。
寺を訪れると、山門をくぐったところに「大奥、瀧山の墓」案内板があります。
戒名は「滝音院殿響誉松月祐山法尼」。
大奥 瀧山 役
瀧山役 古川雄大
2023年秋 NHK「大奥」Season2で「瀧山」を演じるのが古川雄大です。
テレビに、ミュージカルにも出演しており、今、大人気です。
実在の瀧山と違う設定は、実在は、旗本に生まれたお嬢様でしたが、こちらは美貌を売り物しにた生活を送っている、という点です。
どのような、「お年寄り」を見せてくれるか、その美男ぶりが楽しみです。
瀧山が仕える、家定は、愛希れいか です。
実はこの二人、ミュージカる「エリザベート」で共演をしていました。
愛希れいかはエリザベート役、古川雄大は相手役トートでした。
ファンたちは「エリザベート」の再来と楽しんで見ることでしょう。
瀧山役 浅野ゆう子
こちらの、瀧山は2003年と少々古いです。
フジテレビで放映された「大奥 最終章」で瀧山役を、浅野ゆう子が演じ話題になりました。
今でも、瀧山というと浅野ゆう子を思い出す人も多いです。
この時に浅野ゆう子は40歳を超えていて、風格たっぷりの、瀧山でした。
視聴者に「こわっ!」と思わせる見事な演技でした。
大奥総取締役 瀧山
大奥での最高権力者となった女性です。
最高権力者と言っても、正室である御台所(みだいどころ、御台様と呼ばれる)が頂点でです。
その下に側室たちがいます。
ですから、大奥を一つの屋敷をすると、大邸宅の働く女性をまとめる総大将みたいなもの、家政婦、というとわかりやすいかと思います。
立場的には、西洋の「ダウントンアビー」で見られるような家政婦に似ています。
当時の女性としてのキャリアウーマンです。
大奥の用事全てを取り仕切る役目を「大奥総取締役」とは言われていますが、これは正式名ではありません。
「お年寄」(おとしより)というのが正式な地位の呼び方です。
政治の舞台に例えると、「老中」に匹敵する役職でした。
「お年寄」とは言っても、実際には歳をとった女性ではありませんので、「年寄」という言葉を使うにはちょっと変な気がします。
そんなこともあって、後世「大奥総取締役」と、その役職をわかりやすくするためにつけたのです。
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