紫式部・藤原道長はソウルメイト!恋仲になる?幼馴染ってほんと?妾の噂の真偽?出会いはいつ?

2024年、大河ドラマ「光る君へ」のなかで、紫式部藤原道長が仲良しです。

幼い時から始まった恋、という設定です。

しかし、実際のところ、藤原道長と紫式部の接点は、幼少期にはありませんでした。

二人の付き合いは、藤原道長の娘が中宮になって以降のことです。

ですが、道長と紫式部の間の恋愛関係を思わせる文書はたくさんあります。

では、二人がどんな気持ちでいたのか、文献から探ってみましょう。

紫式部と藤原道長はソウルメイト

大河ドラマ「光る君へ」の中での紫式部と藤原道長との間柄は、ソウルメイトの関係です。

これは「光る君へ」の脚本家 大石静 さんが、そのように2人を位置付けて書いています。

「ソウルメイト」(soulmate)というとそのまま訳すと「魂の友」なのですが、それだけだとよくわかりません。

では何かというと、魂同士がつながりのある人間関係で、前世からの縁がある人、と言われてます。

ちょっとスピリチュアルですね。

ソウルメイト同士は、何度も何度も生まれ変わって、そしてお互い助け合い、目的を一つに生きていく相手なのです。

それは、男性であるとも女性であるとも限りません。

また必ずしも恋人同士であるわけではありません。

「源氏物語」を見ると、「前世からの宿縁」という言葉が何度でも出てきます。

まさに「源氏物語」の思想をそのまま生かしてあるのが、紫式部、そして藤原道長の「光る君へ」での立ち位置なのです。

「源氏物語」全般から感じられるのは、仏教思想です。

その思想の一つに「前世からの因縁」があります。

これはスピリチュアル以上に深いものが感じられます。

紫式部(まひろ)と藤原道長は今後、恋人同士にはならない様子がすでに、見え隠れしています。

恋人以上の絆が作られていくことになります。

それは一体どのような形で現れるでしょうか?

決して切ることができない絆でしょうか?

紫式部・藤原道長 恋仲?

今、大河ドラマ「光る君へ」で、紫式部と藤原道長は、お互い気になる存在です。

2024年3月の時点では、「光る君へ」では、恋人という関係を出しています。

では実際二人はどうだったのでしょう?

紫式部と藤原道長が恋仲になっていたかどうかは、多くの作家や日本文学の学者たちからは議論されています。

藤原道長がどうも紫式部にちょっかいをかけたらしい、という和歌は残っています。

藤原道長の歌は

すきものと 名にし立てれば見る人の 折らで過ぐるは あらじぞと思ふ

(意味: 梅の実は酸っぱくて美味しいので好きな人は、枝を折らないで通り過ぎるものはいないだろう」

それに返した紫式部の歌は次のようでした。

人にまだ 折られぬものを誰かこの すきものぞとは口慣らしけむ めざましう

(意味: 梅はまだ誰にも折られていませんのに、誰が酸っぱいなんて思ったのでしょう)

「すきもの」を色恋が大好き、の「好き」とかけています。

これは紫式部が中宮 彰子の元で仕えていた時、中宮の部屋の前に梅の木があるのを見て道長が、歌を詠みました。

彰子の部屋前の庭で、での出来事ですので、紫式部が、宮仕えをする頃、つまり30歳代に入ってのことですから、10代の時の初恋とは、当然違っています。

紫式部は、「源氏物語」を書いているから、恋愛の達人みたく思われていたのでしょう。

そんな紫式部に、藤原道長が戯れに恋をしかけてみた、というところですね。

二人に恋愛の深い意味はなさそうです。

でも、ちょっと「源氏物語」にでも出てきそうな、駆け引き、みたいです。

ドラマで描かれているような、若い時の恋でありませんでした。

紫式部・藤原道長 幼なじみ?

「光る君へ」では、紫式部と藤原道長が出会って、淡い恋心をお互いに持つ展開でした。

では実際に二人は出会ったことがあるのでしょうか?

可能性は、限りなくゼロに近いです。

というのも、藤原道長の方は摂政が関白を生み出す、政治家として名門の家柄。

一方の紫式部は、下級役人です。

紫式部の父は、藤原為時と言って、藤原氏の一門ではありましたが、主流系ではありませんでした。

ですから、紫式部たちは、藤原一族の集まりに呼ばれることもなかったでしょう。

そこから考えると、幼い頃を見知っていた、ということはまずなかったと思われます。

しかし、藤原道長も紫式部も、平安時代を代表する有名歴史人物です。

子供時代の淡い恋、いかにも平安時代らしくいです。

叶わぬ恋・・・永遠の恋のテーマです。

紫式部、藤原道長の妾?

と、なんともセンセーショナルな話題ですが・・・

紫式部は、藤原道長の妾であった、と書かれた文書があるのです。

「尊卑文脈」(そんぴぶんみゃく)という1300年代後半に書かれたと言われる本があります。

何が書かれているかというと、「諸家大系図」とも言われる、天皇家と神道の系図、源氏、平氏、藤原家の系図を示したものです。

その中で、紫式部のことを『御堂関白道長(みどうかんぱくみちなが)妾』とあるのです。

しかしこの記載に関しては、現代至るまで研究家たちが、「疑わしい」と言っています。

もし、藤原道長が紫式部を雇い入れた時に、恋愛関係が成立したのなら、紫式部は30代になりそうな時だったし、藤原道長も式部より年上だということですから、あまり考えられません。

平安時代の女性は、30歳を過ぎると、老女扱いで恋愛の対象にななりにくいです。

せいぜい、藤原道長が戯れにモーションをかけた、なんて一時的なちょっかいくらいならあるかもしれませんが。

紫式部と藤原道長の関係

紫式部が藤原道長の、妾であった、というのはあやしくても、紫式部と藤原道長の間に、なんらかの感情があった、と匂わせる話があります。

記事の最初の方に書いた、梅の香りの話も、戯れの恋愛、の感じですが、他にも「紫式部日記」に出てきます。

藤原道長らしき人物と紫式部との歌のやりとりがあります。

道長(らしき人):よもすがら 水鶏(クイナ)よりけになくなくぞ 真木の戸口にたたきわびつる

(意味: 一晩中、水鶏よりももっと泣いて、真木のとを叩いていました。それは辛かったです)

紫式部の返した歌は

紫式部: ただならじ とばかりたたく 水鶏ゆえ あけてはいかに くやしからまし

(意味:ただ事ではないような戸の叩き方をする水鶏のせいで、もし戸をあげてしまっていたら、きっと後悔することになっていましたよ)

男性の方は、戸を叩いても叩いても、返事がないので悲しくて泣いてしまった。

それに対する紫式部の返事は、水鶏の鳴き声のようにすごい音で、怖くなってしまいました。

という意味を込めての和歌です。

紫式部の方は、何日か続いたところ結局戸を開けたのでは、と推測する人もいます。

もし、尋ねてきた相手が、藤原道長だったら、道長はすでに、エラい人物になっているから、必死に戸を叩いても開けてもらえず泣いてしまったというのは、カッコ悪いですよね。

このやりとりは多くの、作家や研究者が、紫式部と藤原道長と見ています。

紫式部は、若い時は、恋愛に対しては割と消極的なところがありましたが、遅めのけっっこん、出産、宮仕を通して、恋愛術も身についてきていたはずです。

紫式部が若い時、恋愛に奥手だった記事についてはこちらをご参照ください。

だからこそ、「源氏物語」にたくさんの恋愛を書くことができたのです。

その分、紫式部も大人になって、恋の駆け引きを楽しむことができるようになってきた、と言えましょう。

紫式部・藤原道長 出会いは?

紫式部と藤原道長、出会いは源氏物語絡み?

藤原道長と紫式部が出会ったのは二人ともそんなに若い時ではありません。

紫式部が「源氏物語」噂を聞きつけて、藤原道長が紫式部をスカウトしにきました。

何にスカウトか、というと、道長の娘 彰子(しょうし)の家庭教師にするためでした。

藤原道長は、彰子を、一条天皇の妃にしました。。

紫式部は、結婚をしたものの、3年ほどで夫に先立たれて、失意のところを小説「源氏物語」を書くことで、自分の生きるモチベーションを上げていました。

そこに、藤原道長が紫式部のところにやってきて、天皇家に嫁に行っている娘の家庭教師にならないかと薦めます。

さらに藤原道長は、紫式部に援助も申し出たのです。

紫式部がもっと物語を書き進められるように、良質の紙、墨を送るというのです。

紫式部は「源氏物語」の執筆半ばで完成はまだです。

上質な和紙は非常に効果な代物でした。

古典などを読むと、上流階級の子弟でも、字の練習をするのに、字が上手い人からお手本をもらって、その上に何度も何度もなぞり書きをして、紙が真っ黒になるまで練習します。

練習量が増えたって、真っ黒な紙の上に書いていたのでは何にもわからないので、効果はないような気がしますけれどね。

援助に目が眩んだかどうかはわかりませんが、紫式部は、藤原道長の力のおかげで、源氏物語を完成させることができました。

ある意味、源氏物語が、あるのは藤原道長のおかげかもしれません。

藤原道長、なぜ紫式部を選んだ?

それは、帝の妃に上がっている、自分の娘 彰子に帝からの注目を引きたかったからです。

一条天皇の性格を調べていると、一条天皇は笛の名手とか学問に熱心、和歌、文学が大好きです。

道長は娘に天皇の気を引かせたかったです。

これは、彰子よりも前に一条天皇の妃になった、定子(ていし)に、対抗したというわけです。

定子、というより、定子の親である、藤原道隆に対してです。

藤原道隆は、道長と母を同じくする兄です。

兄弟とはいえ、政権争奪争いとなると兄弟とはいえライバルです。

娘のところに帝は通ってくるか?どちらに早く男子が生まれるか?男子は後の帝となりますから。

兄 道隆は娘 定子の侍女に、清少納言を入れました。

中宮の定子のいる部屋は、文学サロンとなり活気を帯び、帝のお気に入りの場所となり、帝とともに文学好きの公達も集まってきました。

公達を目当てに、美しい女官たちも集まり、一層華やいだ場所になっていました。

その噂を聞きつけて、藤原道長も真似をしようとしました。

『よくよく考えれば、藤原一族にも人気作家がいたではないか・・・紫式部という・・・・旦那を亡くして悲しんでいると・・・ちょうどいいではないか。

彼女を宮中に入れて、文学サロンを作れば、帝も足をお運びになる』と考えたのでした。

紫式部にしてみれば、夫を失った後の、就職口を見つけた、という感じでしょう。

育てていかなければならない、子供もいることだし・・・というのが紫式部の思いだったでしょう。

藤原道長と紫式部のここでの関係はウィンウィンですね。

紫式部・藤原道長との恋愛観をまとめてみると・・・

ドラマの位置付けは、紫式部・藤原道長はソウルメイト、です。

しかし、実際の歴史を調べてみると、二人の恋愛は実際にあったかは不明で、仮にあったとしても真剣な恋ではなかったようなのです。

紫式部と藤原道長という、歴史上の大物が、一つの番組に登場するとなると、二人の絡みを書かなければなりません。

ドラマで二人の人物を描く場合、その関係性は、恋愛か、親友か、敵対関係か、という筋立てになることが多いです。

「光る君へ」では、出会い、恋愛感情を持ち合う相手となり・・・そこから発展する、ドラマ仕立てが考えられます。

紫式部・藤原道長 二人の物語を続けていくには、ソウルメイト、これが一番見る人の心を惹きつける要素になりそうです。

ソウルメイト・・・現代の殺伐とした世界に生きる私たちが欲するものであるかもしれません。

また、仏教思想が深く根付いていた平安時代だからこそ、「前世」を信ずるが故のソウルメイト。

ソウルメイトという言葉と存在だ、過去と現在を繋ぐファクターになるのです。

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