2024年 NHK大河ドラマ「光る君へ」にまた新たな登場人物です。
源明子といい、藤原道長の妻の一人となります。
まひろ(紫式部)にまた新しいライバル誕生?
源明子は、父の不遇により人生を左右されます。
ですが、夫、藤原道長には愛され、それほど不幸ではない生涯を送ります。
一体、どのような妻だったかを、調べてみました。
大河ドラマでは、瀧本公美さんが演じておられて、その美しさが目を惹きそうです。
源明子、美人!
源明子は美人の誉の高い人でした。
その証拠に、藤原の兄弟(藤原道隆、道兼)2名に求婚されています。
藤原道長でさえも、最初は、妻にする気がない・・・などと言いつつ、結局は妻としてしまっていました。
とはいうものの、実際、どのくらいの美人だったか・・・という具合のことを記した文書は見当たりません。
しかし、藤原道長と源明子の娘たちは、美形だった、という文献は多いです。
藤原道長は肖像画らしきものが残っていますが、たいして美形とはいえません、これは平安時代と現代の感覚の違い、というものではなさそうです。
ですから、妻の影響が多く出た、という感じです。
「光る君へ」の中では、特に美人度がアップされていました。
白っぽい衣で、光り輝くような姿、そしてほんのチラリとした現れたかった最初の登場シーンが目を引きました。
チラリとしか姿を、見せないのが平安時代流です。
平安時代は、ほんのわずかな垣間見から恋愛するのです。
源明子も、ほんの少ししか見せなかった姿と、悲しい生い立ちが一緒になって、なおさら美人度をあげているように見えますね。
「光る君へ」では、どうも女性が姿を表しすぎるのが、欠点の番組かも知れません。
源明子の父
源明子は、皇族の出身であったにもかかわらず、藤原道長の正妻にはなれませんでした。
それには父、高明の影響があります。
その父親は反逆の汚名を着せられていたからです。
源明子の父、高貴な生まれ
源明子の父、源高明は、醍醐天皇の第10皇子として生まれました。
母親は醍醐天皇の妃の一人ですが、「更衣」という妃の中ではそんなに身分の高くない女性です。
7歳で、臣下である源氏姓を天皇から賜り、元服をします。
元服とは成人の儀式に近いですが、7歳という年齢、というのには驚かされます。
臣下になってからは順調に出世を遂げます。
優秀な文人であり、知識も豊富で、妻も藤原家からもらい、順調な人生に見えます。
源高明の人相を専門家に見させたところ、「貴人の相」と言われたのです。
ここまでの人生、「源氏物語」光源氏と大変よく似通っています。
どうやら紫式部は、周辺のいろいろな人から「源氏物語」の題材を拾っているようです。
人相見は、源高明ののちの、不運まで言い当てます。
光源氏と違っていたのは、失脚後、戻れなかったこと。
娘が、失脚により辛い目に遭ってしまったことが、挙げられます。
源明子の父 安和の変で失脚
967年、冷泉天皇は病弱なため、早々と皇太子を決める必要がありました。
候補の二人の親王は、 為平親王(ためひらしんのう)と守平親王(もりひらしんのう)でした。
二人とも冷泉天皇の弟です。
源高明の妻は、藤原師輔の娘でした。最初は三女を、そして三女が亡くなると五女をと二人の嫁に迎えました。
源明子の父 源高明の娘(明子の姉)は、為平親王の元に嫁いでおり、一方の守平親王の母は藤原師輔の娘、つまり守平親王は師輔の孫ということ。
源高明の妻と、守平親王の母は、姉妹でした。
安和の変の年、藤原師輔はすでに亡くなっており、藤原氏は、守平親王に味方しました。
なにしろ、守平親王は藤原師輔の直接の孫だからです。
969年、為平親王を皇太子にするために、為平親王側の人間が、すでに皇太子に決まっていた守平親王を排斥する陰謀を立てる、という密告がありました。
藤原氏はこれはチャンス、と捉えて邪魔者を排除しにかかったのです。
為平親王側にいた、源高明は失脚し、太宰権帥(だざいごんのそち)となって筑紫に追いやられてしまいました。
高潔な人物として知られていた、源高明・・・失脚して、左遷される姿が、須磨に流される光源氏の姿と重なります。
源明子 父が失脚した後は
父、源高明は政治的に失脚しますが、叔父である盛明親王(もりあきらしんのう)の養女になり、盛明親王の死後は、藤原詮子のもとで世話になります。
源高明の失脚については、貴族達から同情が寄せられていました。
藤原詮子も、同情を寄せた一人だったのでしょう。
また、源明子の父を左遷させる陰謀を起こした、藤原一門として許してもらいたい気持ちがあったのでしょう。
のちに、藤原道長と結婚するようになったのは、藤原詮子のおかげと言っていいでしょう。
不運ばかりの女性ではなかったようです。
安和の変関係者の娘だったので、明子は、妻としての地位で、源倫子に負けます。
当時の結婚の慣習では、現代の、妻を夫の家に迎えいれるのではなく、夫が妻の家に住まいます。
倫子との結婚が、源明子との結婚より一年早く、藤原道長は倫子の実家、土御門殿にすみます。
それだけでも、明子は正室の地位から遠い位置にいるのに、さらに父親の左遷事件・・・もはや、源明子との結婚は、夫にとって対して重要ではありません。
ですから、明子の産んだ子は、道長の子供でありながら、あまり出世できませんでした。
男子は高い地位につけず、女子なら、入内はできても中宮にはなれそうにない、というほどでした。
それでも、道長は、倫子と明子両方に対しでは、平等に扱っていました。
倫子、明子だけでなく、藤原道長は、どの妻も平等に愛したと伝わっています。
その証拠に、妻同士のいがみ合いのようなこじれはなかった、という話でした。
一夫多妻の世界であれば、妻を平等に扱うことを夫は心がけなければなりませんね。
源明子さんは、この道長の扱いに救われたのではないでしょうか。
源明子とは、誰?
源明子は、のちに藤原道長の妻の一人になる女性です。
読み方は、みなもとのあきらこ、とか めいし とされています。
「栄花物語」では「はあきらけいこ」と読まれています、どうやったら、こう読めるのでしょうね?
生年 965年 没年 1049年あたりです。
父は、左大臣 源高明(みなもとのたかあきら)、母は、藤原師輔(ふじわらのもろすけ)の娘 愛の宮(あいのみや)。
母の方は、不明と書かれている資料もあります。
その中には、道長の父、兼家もいます。
藤原道長と源明子・・・仲はどうなった?
源明子、藤原道長と結婚!
源明子は、998年に藤原道長と結婚します。
なお、道長はその前年(997年)源倫子と結婚しています。
倫子も明子も、皇族から臣下に下った、源氏ですが、失脚した人物の娘であること、倫子より後に道長と結婚した、ということで、正妻扱いではありません。
つまり側室、ですね。
源明子の父、源高明は969年に失脚しているのですから、源明子には後ろ盾がありません。
平安時代は、実家に力、財力がないと、娘の嫁の行き先は見つけにくかったのです。
父が失脚して、バックボーンがなかった、にも関わらず、道長の兄たちも明子に求婚していました。
道長の姉、中宮だった藤原詮子が後見していたのがその理由だと思います。
円融天皇の中宮で、一条天皇の母である、藤原詮子は、非常に力ある女性だったことの証明です。
そして、源明子 自身も美人の噂が高い人だったのでしょう。
また、源明子の兄二人が、藤原兼家、道隆(道長の父と兄)に仕えていたことも関係があるでしょう。
「光る君へ」の中では、道長と源明子の結婚を、詮子が勧めたようなシーンが見られますが、実際も、何らかの形で、詮子が関わったと考えられます。
なにしろ、藤原詮子は、道長を非常に才能を信じ、目をかけていましたから。
源明子、道長に恨みはあったのか?
源明子は、2番手の妻の立場に置かれてしまいましたが、道長との間に子供もたくさん生まれ、決して軽んじられた生涯ではありませんでした。
それにしても、自分の父を追いやった一族の元に嫁に行く、という心境はどうだったのでしょう?
「光る君へ」の中では、藤原家に対し、一族の恨みがあるような様子でした。
その恨みを、兄が宥めていました。
源明子は本当に藤原家を、恨んでいたのでしょうか?
道長の妻になることは藤原家に復讐しようとしてのことだったのでしょうか?
実際には、子供を何人も産んでいるので、恨みよりは藤原道長に対し愛情を持った、と思いますが。
怨みがある→呪詛→生き霊に・・・?という「源氏物語」の六条御息所のモデルになる、なんて予想が・・・
源明子は、これから、藤原道長の愛情を一手に奪い取ってやろう、なんて考えているかも知れません。
相手を、夢中にさせることが、藤原家への復讐、なんていう考えもあります。
源明子は紫式部の知り合い?
大河ドラマ「光る君へ」の中では、源明子は、まひろ(紫式部)の存在を鬱陶しく思っているようです。
まひろと道長の距離が近すぎる、と感じていたのでしょう。
では実際はどうだったのでしょうか?
紫式部と源明子の、道長を通しては接点がありますが・・・
紫式部は、藤原道長の第一の妻、源倫子(みなもとのともこ)とは、付き合いがあります。
道長と倫子の娘、中宮 彰子のもとで女官として働いているからです。
源倫子についての記事はこちらをお読みください。
紫式部と明子がどれほど知り合い度が高いかは、倫子と明子がどのくらいお互いを見知っているかにかかってきます。
何色紫式部は、倫子と一緒にいることが多かったからです。
平安時代、一人の男性の、妻同士が付き合う機会は少ないです。
いえ平安時代でなくても、夫の別の妻には会いたいとは思いませんが・・・
それにしても、身分の高い女性は外を出歩くことはなかったですから、離れたところに住んでいた、女性同士、出会うことは稀です。
ところが「光る君へ」では平安時代の常識を超えるような展開が見込まれます。
番組の設定では、明子さんにとって、紫式部はちょっとストレスの元、となっているようですが。
思うに、源明子さんは、どこにでも自由気ままに飛び出ていき、感情を表す、そして文才がある、そんなに、心ならずとも憧れているのかもしれません。
源明子は、表面的にはおとなしく内に何らかの情熱を秘めた女性です。
源明子とまひろ こと 紫式部にもし共通点を探すとしたら、どちらも自分の大切な人を藤原兼家に関わる人によって奪われていることです。
そこでいて、どちらも道長に関わっています。
心の底で、どこか共通点を見出すかもしれませんね。
源明子の子孫は
源明子は、藤原道長との間に、、四男二女を産みます。
男子はあまり高い地位につけなかった、と言われていても、倫子の子供と比べるからです。
明子の子供は、四男と六男は権大納言(ごんたいなごん、大納言の次の地位)、次男は右大臣です。
次男、というの道長にとって、というわけですから、明子にとっては長男ですね。
六男の長家(ながいえ)は、歌でその名をあげ、歌道 御子左家(みこひだりけ)を起こします。
長家の子孫の一人に、歌人で名高い 藤原俊成(ふじわらとしなり、またはしゅんぜい)がいます。
その流れを汲む家が、冷泉家と京極家です。
現在でも、京都御所のすぐ近くに、冷泉家の屋敷があり、歴史の悠久さを感じますね。
源明子 の役は?
NHK大河ドラマ「光る君へ」に、源明子さんが、3月9日に初登場しました。
瀧内公美さんがキャスティングされています。
番組の中で、「大層美しい」と評判になっています。
瀧内公美は、これまで、ドラマで、テキパキと仕事をこなす役とか、恋愛体質とか切れ味の良い役が多かったように思います。
近いところでは、2023年ドラマ10「大奥」で、老中 阿部正弘(あべのまさひろ)を演じておられました。
将軍を献身的に支える役で、最後は自分の体調を押し切ってまで務めをまっとうした姿に感動を覚えました。
今回は、ちょっと、倫子さんやまひろ(紫式部)に負の感情を抱く役のようです。
その美しさが、もしかしたら怖くなるかもしれませんよ。
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