「マルコポーロの冒険」マルコポーロ何をした人?投獄の理由。アニメ再放送!

「マルコ・ポーロの冒険」・・・・20年近く前のアニメーションです。「アニメーション紀行『マルコ・ポーロの冒険』」というタイトルでした。NHKで放映されました。

そのアニメーションが再放送されます。

実写部分を全体に散りばめた、アニメと実写のコラボといった作品です。絵、イラストではなく直接の映像が見られるので感動があります。

「マルコ・ポーロの冒険」から、どんなマルコ・ポーロが見えてくるでしょう?

「マルコ・ポーロの冒険」ではマルコ・ポーロの生涯を最後まで描いているでしょうか?

「マルコ・ポーロの冒険」のマルコ・ポーロは何をした人?

「マルコ・ポーロの冒険」アニメーションを見る限りでは、大人に(父と叔父)と旅行した子供、です。

生まれは1254年らしいですが、性格な年はわかっていません。ヴェネチア共和国人です。

一言で、マルコ・ポーロは何をした人?というと旅行をした人。つまり旅行家そして冒険家です。じゃあ、旅行で食べていけるのか?というと疑問ではあります。

でもその疑問を払拭する事実が・・・

父はニッコロ商人です。叔父はマテオと言いニッコロと共に商いをしていました。

この時代には中東との貿易を主に扱っており商売の拠点をアジアのコンスタンティノーブル(現在のトルコのイスタンブール)

マルコ・ポーロの幼少時代から父と叔父はコンスタンティノーブルで過ごし、マルコはヴェネティアと分かれて暮らしていました。

父たちは根っからの商人なのですね、金になりそうな機会を見つけては移動していました。

そしてマルコ・ポーロが17歳になった時に、父たちはヴェネティアに戻り、マルコを連れてアジアに向かいます。新しい商売口の誕生です。

ここで息子を危険な旅に連れ出した、ということは家族で一緒にいたいという家族愛なのか。商売を息子にも覚えたもらいたい、とその両方の気持ちが働いたのでしょう。

そのとき、ローマ教皇(グレゴリウス10世)が新しく変わり、フビライ・ハンに当てた教皇の新書を携えモンゴルに向かいます。

マルコ・ポーロ一行が上海に着いたときはマルコ・ポーロは21歳になっていました。元(モンゴル帝国)の皇帝フビライ・ハンに仕えました。

フビライ・ハンのもとで約17年過ごし、その間にアジア諸国を外交施設として訪れました。その経験が後に「東方見聞録」として生きてきます。

さすがにマルコ・ポーロも帰国したくなって、何度も願った結果、帰路の途中にフビライの娘、コカチン姫がイルハン国に嫁に行くために送り届けよ、という役目が与えられました。

コカチン姫とマルコ・ポーロがお互いに陰ながら想い合うシチュエーションが「マルコ・ポーロの冒険」の中に描かれて、見ていると映像でありながら切なくなります。

「マルコ・ポーロの冒険」のマルコ・ポーロと歴史

マルコ・ポーロの時代は、まだ大航海時代と呼ばれる時代には突入していませんでした。しかし、ヨーロッパの世界以外の世界に人々の目が向き始める時代でありました。

商人であった、マルコたち一家の旅はまさに大航海時代へと向かう幕開け的な役割を果たします。

マルコ・ポーロたちは船で旅したのではなく、陸路で元まで行ったのですから、航海ではありません。船で行ったとすれば、せいぜいヴェネチアからコンスタンティノーブルに渡るくらいなものでしょう。

しかしマルコ・ポーロの旅は壮大でした。この旅がきっかけでできた書物「東方見聞録」はまさに大航海時代の道標となりました。アジア諸国へのガイドブック、といったところでしょうか?

その中の特に気になるが「黄金の国ジパング」です。ジパングが語源となってJAPANとなったのですが、そもそも黄金の国って何?どこのこと?

実際には、マルコ・ポーロは日本に行っていません。

ではジパングは「東方見聞録」ではどう記述されているか?中国大陸の東の海に浮かぶ島だそうです。そして宮殿や建物は黄金でできて光り輝いている。あの国(ジパング)は金が取れる、と。

日本人である私たちがそれを聞いても???です。日本で金が取れるところ言えば、佐渡島の金山?北海道の1部?ほんの少ししかありません。国が金で溢れかえるほどにはとても、とても・・・

ジパングの話は、マルコ・ポーロが中国滞在中に耳にしたものでしょう。

もし1200年代で、日本で金の屋根が見られるところといえば、平泉の金色堂でしょうか?京都の金閣寺はまだできていなかった時代ですし。

1200年代後半といえば、日本では元寇襲来の時期。マルコ・ポーロの時代と被ります。マルコ・ポーロ本人は日本に行きたかったようですが、元寇が行き交う海を超えて「ジパング」まで行くのは無理なことだったでしょう。

フビライ・ハンがマルコ・ポーロを重用していたというので、あえて危険を犯すことを許さなかったのでしょう。

また、何度にもわたるマルコ・ポーロの帰国の願いをなかなか叶えてやらなかったことから、フビライ・ハンのマルコ・ポーロに対する寵愛ぶりが見えてきます。

歴史から生まれた現代の人気商品があります。マルコ・ポーロの名前を入れた紅茶です。

この紅茶を扱っている店は、マルコ・ポーロの出身地イタリアからでもなく、紅茶の本場イギリスでもなく、フランスの紅茶メーカー、マリアージュなのですけれどね。

フランスで150年以上も人気のあるブランド紅茶です。花と果実の香りがするフレーバーティーです。まろやかな味わいで、心身ともにリラックスできそうです。

「マルコ・ポーロの冒険」のマルコ・ポーロの投獄。なぜ投獄された?

「マルコ・ポーロの冒険」アニメはマルコがヴェネチアに帰国したところで、終わりとなります。しかしマルコ・ポーロの人生はまだ残りがあります。番組では長いストーリーには作りませんでしたが、ナレーションとちょっとした場面を出して終わっています。

マルコ・ポーロは帰国。ヴェネチアではジェノば共和国(イタリア半島北部に位置する)と戦争が始まり、マルコ・ポーロは戦争に志願兵として参加します。

そしジェノヴァの捕虜となります。そして1年間投獄されてしまったわけなのです。敵兵の捕虜ですからね。

投獄されたとき、同房にイタリア人の作家、ルスティッケロ・ダ・ピサという人物がいました。

ルスティッケロ・ダ・ピサがいたからこそ、「東方見聞録」ができたのです。

監獄での暇つぶしにマルコ・ポーロはアジアへの旅の話をします。作家のルスティッケロ・ダ・ピサはとても面白がり、その話をメモに書き留めました。

このメモが後に「東方見聞録」として出版されました。そして大変な人気を得ました。「東方見聞録」はマルコ・ポーロが書いた、と思われがちですが、実は違うのですね。

ルスティッケロ・ダ・ピサは作家であるため、話を盛った部分もありそうです。

1年で釈放されたマルコ・ポーロは故郷ヴェネチアに戻り、商家を継ぎ46歳で結婚し子供を授かります。

それでも、晩年には旅の話をするマルコは「ほら吹き」「嘘つきマルコ」などと呼ばれ耄碌呼ばわりされました。そして69歳で病気にかかりこの世を去ります。

「マルコ・ポーロの冒険」アニメとは

1980年代は、日本ではシルクロードが流行った時代でした。

NHKが「シルクロード」を綿密な取材をした番組を放映。喜多郎の音楽と共にとても人気のある番組でした。

その人気と相まって、アニメーション紀行「マルコ・ポーロの冒険」も見応えのある番組でした。

実際の写真が入ったアニメーションでした。通り道となった中央アジアの遺跡の写真も数多くありました。もしかしたら今では失われてしまった遺跡も写っていたかと思います。

アニメーションの作画は杉野昭夫、制作会社はマッドハウスで、当時人気があったアニメ「明日のジョー」や「エースをねらえ!」の作画を手がけた人物及び会社でした。

人気作家、会社が作ったということで、アニメーションも人気がありました。

1980年代はまだ、NHKとはいえ全番組を保存するというシステムではなく、番組のほとんどは失われていました。ですが再放送を望む声が上がっていて、NHKが一般からの協力を頼んだところ、個人のファンがビデオを残していたとのことでした。

そして、ビデオが見つかったところで、再放送に至ったわけです。

再放送は2023年3月13日〜15日にBSにて放映されます。

「マルコ・ポーロの冒険」と小椋佳

「マルコ・ポーロの冒険」の主題歌、オープニング曲、エンディング曲は、小椋佳作詞・作曲の歌が使用されました。

いくつかあり、どの曲も好評でした。

時代背景は、中国は元のフビライ・ハンの時代でしたが、フビライの先祖チンギス・ハンを歌った「蒼き狼」という曲もあります。

また、「マルコ・ポーロの冒険」を扱ったラジオのスペシャル番組のパーソナリティを務めました。このラジオ番組はとても面白く、小椋佳の「マルコ・ポーロの冒険」のために作られた曲を散りばめながらの解説でした。

その中に、父ニッコロ、と叔父マテオの歌もありました。二人の性質を表す感じの歌でした。

暗殺教団、の話にも触れられており、「アサシン教団」の「アサシン」がのちの英語の「assassin」の語源になった。

ある薬を使い人を気持ち良くさせ、判断力を失わせ人を自由自在に操ろうとする。その薬の名前は「ハシシ」といいます。その名前が語源となった薬が「大麻」つまり「ハシシ」(ハッシシ、とも言います)です。

また、番組では多く時間を割かなかった、マルコ・ポーロの晩年の話を入れています。

小椋佳がこの番組、そして作曲に対する意気込みを感じたラジオ番組でした。

 

 

 

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