大奥 平賀源内 キャストがかっこいい!病気をどうする?最期は悲しく・・・

2023年秋、NHKドラマ「大奥」の「医療編」スタートし、早速人気を集めています。

平賀源内は女性だったのです。

男装の女性、ですので、男女逆転の設定というのは面白いです。

トランジェンダー的な位置付けでしょう。

そんな女性が颯爽と、赤面疱瘡の謎解きに当たりますが、順風満帆というわけにはいきません。

男性に襲われるなど、視聴者が見て非常にショッキングな場面を目にします。

そんな苦境にもめげず、平賀源内は研究を怠りません。

ドラマの中では実在の、平賀源内の活躍も盛り込んでいます。

ドラマをみて、平賀源内の献身的な働きに、感動していただきましょう。

大奥 平賀源内 キャスト

NHK「大奥」で平賀源内のキャストは、鈴木杏です。

鈴木杏 かっこいい

評判は、非常にかっこいい!、想像以上、となかなの人気ぶりです。

セリフ回しがちょっと早口な感じですが、そこが勢いを感じさせます。

そして早口なのに、聞き苦しさを感じさせません。

さらに面白いのは、男女逆転の江戸時代ですが、平賀源内は男装です。

男装の麗人なのかな?

漫画原作の、平賀源内はむしろ男声っぽい顔の作りでした。

ドラマの平賀源内も、肌色が浅黒く(歩き回って、日焼けしたのでしょうか?)かなり男っぽい印象です。

大奥 平賀源内の場合

「大奥」の話は、男女の立場が逆転した設定です。

ですから、将軍、老中たちは皆、女性です。

大奥の、御台所(正室)、側室も全て女で、大奥への出入りは

将軍様以外、女子禁制です。

平賀源内も女性ですが、男装をしており、そして者の考え方も男性視点であり、恋愛対象は女性でした。

平賀源内は男であっても女であっても、どちらでも構わない人物、という描かれ方です。

つまりトランスジェンダーの立ち位置です。

「大奥」の漫画が描かれた真意は、ただ男女逆転パラレルワールドが面白い、というだけではありません。

これまで男性が担当してきた仕事を女性もこなすことができる、証明でした。

それと同時に、大奥という制度は、女であっても男であっても悲しい場所だ、ということです。

そして、男だから、女だから、ととらわれずに生きようとする人物として平賀源内の登場となりました。

実物の平賀源内も、既存の概念にこだわることなく、さまざまなアイディアを考えだして発明品を作り出しました。

その自由な気質を、女性の平賀源内として、生き生きとその人間性を書き上げたのだと思います。

大奥 平賀源内 病気と戦う

「大奥」の平賀源内の課題は、二つの病気です。

一つは、自分の仕事として与えられた「赤面疱瘡」の謎を解き、撲滅方法を探ること。

もう一つは、はからずも自分がかかってしまった病気「梅毒」に立ち向かうこと。

赤面疱瘡

平賀源内の時代に、赤面疱瘡治癒の方法の発見に至りました。

平賀源内の功績を語る前に、赤面疱瘡というものをおさらいしておきましょう。

赤面疱瘡という病気

よしながふみ原作漫画「大奥」、NHKドラマ「大奥」の背景にあるのが赤面疱瘡です。

徳川家光が将軍の時から蔓延し始めた病気、若い男子のみが感染し、死に至る。

病気のため男性の人口が4分の1まで減少してしまいました。

ですから女性が、将軍職につく事態となったのです。

疱瘡は、「ほうそう」と読みますが、「もがさ」と読むこともでき、昔から日本で時々流行する「天然痘」のような病気です。

かかると、高熱が出て、全身に真っ赤な水疱ができます。

罹患後、2週間ほどで治るとは言いますが、多くが命を落としました。

赤面疱瘡の始まり

赤面疱瘡が始めた発見されたのは、江戸時代初期化のようです。

大奥ができるより前から、流行が始まりました。

大坂の貞吉という少年が、熊に襲われ、謎の高熱を出して死に至り、たちまちのうちに兄弟や、父親にまでうつり、やはり死亡してしまいました。

やがて全国的に流行し、ついには、将軍 徳川家光(いえみつ)まで感染し、亡くなりました。

不在となって将軍職を埋めるために、家光の娘 千恵を代理としました。

これは家光の乳母、春日の局(かすがのつぼね)が考えだした対策です。

一時的に終わるかと思われた女性将軍でしたが、この後も男性は生まれず、代々女性が男の名を名乗り将軍職を継ぎ、男女逆転の、徳川幕府、大奥が続くのです。

実在の家光も、天然痘にかかっています。

そこにヒントを得ての作品になったのかな、と思います。

赤面疱瘡 撲滅に向けて

赤面疱瘡がいずれ日本国を滅ぼす、と警告をした春日局、「没日録」という書物を残しました。

それを読んだ、吉宗が、家治(吉宗の次の将軍)の側用人、田沼意次に病気撲滅の方法を見つけるよう指示を出しました。

そこで平賀源内が長崎に派遣され、蘭方医 青沼(最初は吾作といった)を江戸に連れて戻ります。

江戸に青沼が入ると同時に、平賀源内は再び旅に出て、赤面疱瘡の治療法を探し続けます。

すると、赤面疱瘡にかかった熊、が発見されました。

熊の皮の裏側が、赤面疱瘡と同じ症状になっていたのです。

そして、赤面疱瘡の熊がいた村では、赤面疱瘡にかかって治った患者がいたことも発見されました。

そのことから、赤面疱瘡の菌(ウィルス)を人に、ごく少量植え付けて、軽い病気にさせれば、赤面疱瘡にかかることはない、わかりました。

漫画を見たところ、ワクチンの予防接種のようにも見えましたし、治すための血清のようにも見えますた。とにかく赤面疱瘡消滅に向けての第一歩を、踏み出しました。

赤面疱瘡、種痘の結果

やがて種痘接種が始まりました。

この接種の話は、天然痘の話と同じですね。

天然痘は、牛から始まっており、「牛痘」と呼ばれていました。

天然痘の場合も、牛から採取したものを接種するなんて・・・当初は反対意見が多く出ました。

それでも、赤面疱瘡の種痘接種により、伝染病は治りつつありましたが・・・・

松平定信の子供が、接種により死亡しました。

松平定信はもとより、田沼意次をよく思っていなかったこと、それが相まって、種痘接種の責任者 田沼意次は失脚します。

種痘接種開発に、力を尽くした青沼も処刑され、蘭学は禁止となり、赤面疱瘡事件は、悲劇となりました。

平賀源内がかかった病気

大奥 平賀源内 襲われる!

平賀源内は、ある夜、暴漢に襲われてしまいます。

通りすがりの犯行か?と思うと実は違うのです。

平賀源内は、幕府の権力争いに、知らず知らずのうちに巻き込まれてしまいました。

平賀源内襲われて

NHKドラマ「大奥」の2023年のドラマで非常にショッキングなことがありました。

なんと、平賀源内が襲われてしまったのです。

それも女性として・・・

いくら男女逆転の世界とはいえ、女性が受ける理不尽な暴力はなくならない、これが悲しいですね。

しかも、本人に何の非もないのに、傷つけたいがためとは、悪質です。

「大奥」の視聴者たちからもSNSに、悲痛な叫びそして、怒りを送っています。

田沼意次に恋心?

これは、幕府内に潜む権力争いの、犠牲になった事件です。

時の将軍は、10代将軍 家治(いえはる)、吉宗の孫でした。

家治の家臣が、小姓から上がった老中 田沼意次(たぬまおきつぐ)。

なにしろ平賀源内は、田沼意次のお気に入りだったからです。

ドラマでは、平賀源内は、田沼に恋心を抱いている様子。

田沼様の方も、また・・・?

背景に幕府の勢力争いが・・・

そこに、時期将軍職を狙う、田安家の松平定信(まつだいらさだのぶ)、そして一橋家(ひとつばし)の治済(はるさだ)の影がチラチラします。

2人とも、吉宗の孫なので、将軍 家治とは従兄弟同士(従姉妹同士?)です。

この2人の狙いは、田沼意次の失脚です。

解決法を見つけ出して田沼意次の株を上げさせたくなかったのが一つの理由。

田沼意次のために一生懸命働く、平賀源内にダメージを与える、というのが2人の目的だったのです。

直接襲わせるよう手配したのは、一橋治済。

本当の狙いは、自分の息子 家斉(いえなり)を将軍にすること。

おや?息子がいたのですね。

そうなのです・・・・もし赤面疱瘡の治療法が出れば、自分の息子以外にも男性の将軍職に当てはまるライバルが登場してくると、困るからです。

平賀源内 病気に罹る

平賀源内は、暴漢に襲われた後、身体に妙な赤い発疹が出ていることに気がつきました。

それは梅毒、と判明しました。

梅毒の治療法は、江戸時代にはまだなく、昭和の初めにペニシリンが開発されるまでは、感染すれば死の確率が高い病気でした。

平賀源内も、梅毒が悪化して死亡します。

平賀源内も、医者でしたので、梅毒にかかった自分がどうなるか予想がついたので、「どうせ失う命なら・・」という想いで、治療法懸命に探しました。

最後は目も見えなくなり、起き上がることもできなくなりました。

源内の病床に、かつて青沼のもとで働いていた、黒木が見舞いにきて、人に打つことができる、種痘(人痘)が成功との知らせを受け取ります。

梅毒患者と知って、わざわざ平賀源内襲撃を依頼した、人物こそが、一橋治済だったのです。

現代ならば、襲撃示唆罪に問われるところですが、そこは江戸時代の権力者・・・お咎めなしなのは、ドラマでありながら、見ていて腹が立ってきます。

大奥 平賀源内 最期

「大奥」での最後

ドラマ 大奥での平賀源内は、病死です。

梅毒で命を落とすことになるのでした。

病状がいよいよ、悪化したところに、黒木という者が見舞いにやってきます。

黒木はかつて、長崎から来た蘭学医、オランダ人とのハーフの青沼の片腕となって、赤面疱瘡の研究に取り組んでいた者でした。

黒木は、平賀源内に、赤面疱瘡の予防接種がどんどん進んでいる、と報告します。

これは、病状が悪化した源内を安心させるため言ったことでした。

平賀源内は、安心して最後を迎えることができるのです。

平賀源内 史実では

歴史上の平賀源内は、破傷風で亡くなっています。

その時は、殺人の罪で投獄されていました。

ある建築物の修理の件で、計画書が盗まれたと誤解し、仲間を殺してしまったからです。

その時の平賀源内は、疑心暗鬼な人物になっていました。

実際エレキテルの作り方を使用人に取られたことが原因です。

投獄された平賀源内は、牢内で破傷風にかかり、悪化したことで死んだ、ということです。

もう一つ、説があって、投獄されたことを恥じて食を食を絶っての衰弱死、とも言われています。

あるいは、田沼意次の好意を得て、生き延びた、なんて説もあります。

なぜかというと、平賀源内の遺体は幕府から埋葬許可が出ず、葬儀の際も、遺体がないまま行ったから、でした。

ドラマ「大奥」の平賀源内のほうが、その死は多少なりとも穏やかだったのかもしれません。

大奥 ドラマ 平賀源内という人物は

歴史上の平賀源内は、1728年〜1780年を生きた、学者であり、蘭学者であり、医者であり、発明家、さらに戯曲も書いた、というなんでもありの人でした。

「大奥」の平賀源内も、その多才で自由な性格を生かした存在です。

実在の、平賀源内と同じに発明品を作り出しています。

竹とんぼ

「大奥」ドラマ内で、平賀源内が、「竹とんぼ」を披露するシーンがありましたね。

歴史上の平賀源内が「竹とんぼ」の発明者、という説がありますが、実は違います。

日本古来からあった、玩具です。

奈良時代の古い邸宅あとから、竹とんぼらしきものが出土していますし、それは古い時代の中国から渡ったものと見られています。

また、竹とんぼは15世紀頃、西洋に伝わり、その仕組みをレオナルド・ダ・ヴィンチに影響を与えています。

じゃあ、なぜ平賀源内が、かと言いますと、空を飛ぶ玩具というとハイテクに見られて、そのイメージが平賀源内と結びついたからではないでしょうか。

石綿

平賀源内は、石綿を発見しました。

現代でいうアスベストです。

平賀源内は鉱物学者でもありました。

秩父山中で、天然の繊維性鉱石を発見しました。

繊維性鉱石とは、岩石が繊維状に剥げるもの、またはその剥ぎ取ったものから織られる繊維です。

ただし、岩石をパウダーにして織り込んだ繊維は、鉱物繊維とは言いません。

石綿の繊維は髪の毛よりもずっと細く、熱に強かったのです。

その糸で織った布を、火浣布(かかんぷ)と呼んでいました。

今では、アスベストは健康に害をなすので使用が禁止になっているのは誰もが知ることです。

でも、江戸時代では、火に燃えない、というところが珍重されていました。

土用丑の日の鰻

今では、夏 土用丑の日に鰻を食べます。

暑い日が続いて食欲がなくなってくる時に、ガッツリとエネルギーの源になりそうな鰻を食べて、元気を取り戻そう、と私たちは思っていまが・・・

土用丑の日に鰻を食べる、この歴史は意外と浅いのです。

夏のうなぎ料理は人気がありませんでした。

その理由は、鰻の旬とは秋から冬にかけてでした。

秋冬の鰻は、産卵を控え身に脂がたっぷり乗って、味もこっくりと美味しかったからです。

夏のうなぎは、だからそれほど美味しいと思われていません。

うなぎ屋が、当時江戸で、知恵者と評判だった平賀源内に相談したところ、源内は語呂合わせの宣伝を考えだしました。

「丑の日だから、『う』のつく食べ物を食べて運気をあげよう」という文句です。

それ以来、うなぎ屋さんは大繁盛となり、今日に至ります。

これは平賀源内が、優れたコピーライターであると、示した事実です。

その店は、東京(江戸)日本橋にある「春木屋善兵衛」らしいです。

「春木屋善兵衛」は古い店で、池波正太郎の「鬼平犯科帳」にも登場します。

もちろん丑の日に関する伝説は、これが全てではありません。

丑の日の鰻には、諸説ありますが、平賀源内ということでこの説を挙げておきます。

「丑の日」の語呂合わせなら牛肉・・・と思うのですが、日本人が牛肉を食べるのは、明治以降、それももっと一般的になったのは昭和になってからですので、牛はないのでしょうね。

これからのストーリー展開では、「解体新書」の話が出てくるかもしれません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました