周明は実在?その読み方?「紫式部物語」の登場人物?衣装からわかる!正体は?宋とは?松下洸平好演。まひろとの仲。

2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」・・・第20話の予告編に、ワンカットで松下洸平が写っていました。

この人物は、周明という、宋から来た医師見習いです。

果たして、周明は実在したのでしょうか?小説「紫式部式部」に出てくる名前て似ていますが。

宋の言葉を話す、宋の衣装を耳つけているけれど、日本語を話す周明はの正体は。

ここでは、紫式部(まひろ)をもう一段進歩させてくれそうな人物、周明をご紹介します。

周明は実在した?

周明は、実在の人物ではありません。

NHKのHPで、周明 役の松下洸平さんが、「史実にないオリジナルキャラ」と言っていました。

「光る君へ」の脚本家が、大石静さん、と考えると、人気だったドラマの余韻を取り入れるために登場でしょうか?

周明という役はどうして作り出されたかというと、まひろの次のステップへの大事なキーマンにするためでしょう。

「光る君へ」の最初の頃に、出演していた「直秀」(なおひで)さんという方がいたのを覚えておいででしょうか?

「直秀」のまひろを大きく精神的に成長させてくれました。

「直秀」は、まひろに、一緒に遠くの国・・・海の向こうの国・・に行ってしまおうか、と誘いをかけます。

それが本気かどうかはともかくとして、まひろの他国への憧れはその頃から来ているようです。

制作スタッフは、「直秀」を越前への伏線として、描いていました。

で、今度実際に、出会ったのは宋からきた「周明」。

だからこそ、「周明」もまた、まひろの目を広げてくれる人物になりそうです。

周明の名前の読み方

「周明」これは 「ヂョウ・ミン」と読みます。周が名字でヂョウ、明が名前でミン、です。

漢字読みなら「しゅうめい」ですが、番組の中でもあえて日本語読みはせずに、中国語風に呼んでいます。

服装も、当時の中国風の装いです。

周明の身分は、医師の見習い、まだ一人前の医者ではない、ということです。

最初は、船医または、その助手だったと思われます。

しかし、見習いの医師が、なぜわざわざ日本までやってきたのでしょう?

現代でもそうですが、まだ一人前になっていないものが、海外留学する場合は、自国より優れたものを求めて渡航します。

周明もそうですが、当時の中国人は自国の文化に誇りを持っています。おそらく中国の方が日本より優れている、と思っていました。

「紫式部物語」の周明

周明は、実在の人物ではありませんが、モデルになった?と思われる本があります。

それは、アメリカ人の人類学者で小説家でもある ライザ・ダルビーが書いた「紫式部物語〜その恋と生涯〜」という作品に、「周明」らしい人物が出てきます。

物語では、紫式部が父と共に行った、越前で「周明國」と出会い、紫式部と恋に落ちるのです。

名前が、よく似た人物で、紫式部(まひろ)と、交流がある、というところが類似点です。

ライザ・ダルビーは、16歳で初めて英訳の源氏物語に触れて、日本文化に興味を持ち、研究者となりました。

「紫式部物語」は「紫式部日記」、「紫式部集」を参考にして書いている小説です。

おもしろ本ですが、フィクションもあるので、読む場合は心しておきましょう。

周明の衣装に注目

日本にやってきた、宋人たちの服装は、それぞれの身分を表しています。

周明は、朱仁聡(ヂュレンツォン)と共にやってきました。朱仁聡は商人です。

彼らの身分の違いは、被り物の形で違ってきています。

被り物のことを、中国の方の呼び方は「幞頭」(ぼくとう)です・

まず、日本人のそれとはかなり違っているので、番組で、「この人、どっちの国の人?」と思った時はまず、帽子の方を見るといいと思います。

周明の場合は、後頭部に紐のようなものを垂らしています。これは「幞頭」。

服装は、日本人の直垂のようなものではなく、丸首で薄めの色の丈の長い衣服でその上に、濃い色の袖のない上着をきています。

現代で流行している、重ね着みたいなものですね。

周明の正体

周明は、宋の国からきた医者ですが、船医として働いていました。

藤原為時(まひろの父)に対し、確かに医療行為を行っています。

しかし、全体的に謎めいています、正体は?絶対に何かある、と予測されます。

周明は中国語を話していますが、それは宋人なら当然のこと。

ところが、どうやら、周明は日本語もわかるようです。

周明は、事件に関し、朱仁聡が犯人かと思われた事件に、「無実だ!」と訴えるところもあります。

「光る君へ」のストーリー展開は、推理小説を思わせる雰囲気です。

本当に何者か?

医師なのか?法律家なのか?

宋の皇帝の息子・・・という大胆な推理をしている人もいますが、これからの脚本の進み方は、5月末時点では、残念ながら読めません。

もし、皇帝の息子、なんて言ったら、「薬屋のひとりごと」(日向夏 原作)のようになってしまうではありませんか?

周明のいた宋

周明は中国人というわけでしが、当時(1000年ごろ)は、”宋”(そう)。

中国って”唐”(とう)じゃなかったの?

”唐”は906年に亡んでいます。

宋は、唐の次の次の王朝で、最初は「北宋」(ほくそう)の王朝で、1127年から「南宋」となります。

周明や、紫式部のいた時代はちょうど「北宋」にあたります。

「北宋」の時代は経済、文化、技術が大きく発展し、特に紙幣の使用や印刷技術の進歩が顕著でした。

しかし、軍事力は他の王朝と比べて弱く、異民族との戦争が絶えませんでした。

宋は、自分の国力を上げるために、日本国との交易を考えていたのかも知れませんね。

唐は600年代に成立した国であり、日本にとっては文化、政治ともに優れた国でお手本にしたところが非常に多かったのです

平安人の頭の中には、中国は唐として、刷り込まれていたのでしょう。

周明 役 松下洸平の思い

周明は、非常に謎に満ちたキャラですが、松下さんご本人は、こう語っています。

「口数は少ないですが、使命感の強い芯のあるキャラクター」ということです。

また、ドラマのオリジナルキャラですが、共演者さんたちと芝居を重ねながら、リアリティーを追求していく

という意向をおっしゃていました。

オリジナルでありながら、いつしか本当にそんな人物がいた、と思いたくなる人物です、になるでしょう。

周明とと紫式部(まひろ)はどうなる?

周明にまひろ(紫式部)は・・・?

ご覧と通り、「周明」はイケメンです。

まひろが惹かれて、当然ですよね。

まひろが、京都にいるときに、恋した人は、藤原道長・・・・でも身分違いの叶わぬ恋でした。

まひろ、こと紫式部が父について越前まで来たのは、持って生まれた向上心はもちろんですが、過去の恋(藤原道長)のことを吹っ切る、気持ちもあったはずです。

周明と出会い、周明から異国の話を聞くのは、まひろにとって、とても刺激的で楽しいひと時となり、まひろの瞳が輝き出すこと請け合いです。

周明にしても、自分の話を目をキラキラさせて耳を傾けてくれる、まひろに好意を持つことになるでしょう。

まひろ、という人物は理屈っぽく、京都の優雅な公達なら素直じゃないとみられ、恋愛相手としては敬遠されそうな人柄です。

反面、勉学、学問に打ち込んでいる人物なら、まひろの洞察力に感心するはず。

尊敬が、親しさに、恋愛感情に結びついていく可能性ってありますよね。

周明とまひろ(紫式部)は結ばれない

周明とまひろの間柄はここまでです。

まひろとは、一緒になれないキャラクターなのです。

これまで、架空の人物を生み出してきた大河ドラマを思い出してください。

「光る君へ」の「直秀」・・・死んでいます。

歴史上活躍してはいけない人間だからです。

活躍すると、歴史そのものが変わってしまう恐れがあります。

ですから、「周明」はまひろと恋はしても、報われず、死の運命かあるいは帰国、という退場になるでしょう。

それとも違う展開が用意されているか?

周明と別れたまひろ(紫式部)京都に帰る?

まひろ(紫式部)も、わずか2年で京都に帰ります。

その理由の一つが、24歳で父 藤原為時(ためとき)の世話をするのがだんだんと嫌になった・・?

それだとすると、まひろさんちょっとワガママ?でもわがままとは考えにくい。

もう一つの理由が、藤原宣孝(ふじわらのぶたか)との結婚だった・・・というのです。

すでに京都を出る時から、愛情を告白されていたようです。

こうして見ると、だんだんと歳を重ねてくる まひろを父は心配し、「もういい」と言って京都に返す感じでしょう。

父は、周明と仲良くなっていく まひろを心配していました。

すでに、京都を出る前に藤原道長との経緯を聞いていたところから考えると、宋人とこのまま娘を付き合い続けさせるわけにはいかない・・と考えたのでしょう。

藤原為時は、人種で、差別する人物には思えませんが、娘の恋や結婚となると話は別。

平安時代では、まだまだ、異国人との結婚、恋愛には偏見が多いです。

父親としては、娘を偏見の渦に晒したくありません。

それに周明はやがて、宋に帰る身の上。まひろに宋になんて行ってほしくありません。

ここで、周明と まひろは別れる運命なのです。

周明が「平安時代」の日本にやってきた意味

まひろの父、藤原為時の任地となり、周明たちがやってきた越前とは、平安時代にはどんな意味があったのでしょう?

北陸に、周明たち、宋人が辿り着いた意味、はあったのでしょうか?

地理的には、現代の福井県越前町です。

福井、など北陸は、京都へのアクセスが便利なところです。

奈良時代から使われていた、九州 福岡の筑紫(つくし)に比べると、ずっと京都に近いです。

その分、外国人に敵意があった場合、京都へ攻め上りやすい、とういう欠点もあります。

藤原道長たち、朝廷は、それを恐れると思うのです。

北陸は、古くは、奈良時代は蝦夷を討伐に行くための拠点が作られた場所です。

蝦夷(えみし)という日本政府から見ると、地方にすむ中央の法などに従わない北方民族でした。

ですから、越前は北陸への玄関口ですから、万が一、相手が攻撃的に出た場合、軍事拠点の北陸なら、抑えることができる、と朝廷では考えていたようです。

越前の中心地は「武生」(たけふ)というところで、「府中」(ふちゅう)とも呼ばれています。府中といういうように、かつては、国分寺のあった場所です。

995年に、若狭国に宋人たち一行がやってきます。

朱仁聡(ヂュレンツォン)のもと70名ほどです。

その目的は明かされません。宋の国王からの密命を帯びて・・・という話も出てきます。

宋人たちに対しては、天皇をはじめとする日本政府で審議が決まり、宋人たちは越前に移され、そこの迎賓館で滞在することになります。

宋の目的は、密命はあるのか・・・?友好か、それとも・・・

周明、その後は・・・?

まひろが、越前から去ったのち、周明は宋に帰るのでしょうか?

後に、もしドラマに取り入れたら面白い、と思われる展開があるのです。

1012年のことです。

周明が、太宰府にいるかもしれない可能性があります。

藤原隆家(たかいえ)、藤原定子の弟ですが、目の病気にかかり、名医を探している時、福岡 太宰府に良い医者がいる、と噂を聞きつけて太宰府まで行きます。

その医者が、周明だったら・・・?そうなると周明は宋に帰っていないことになります。

そうなる展開を、期待しているのですが、どうなるでしょうね?

周明、再登場の予感

周明は、「光る君へ」から退場、となりました。

まひろも京都に帰ってしまいました。

しかし、物語の終盤近くに、再び姿を現すかもしれません。

まひろの方は、人生の大半を過ごし、人間的にも卓越したものの見方が、より洗練されてきました。

再会した、二人はどのような関係に発展してくのでしょうか?

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